天使との触れ合い

2011年12月18日
待降節第4主日B

ルカ1:26−38
1:34マリアは天使に言った。「どうして、そのような事があり得ましょうか。私は男の人を知りませんのに。」
1:37 「神に出来ない事は何一つない。」
1:38 「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」

天使ガブリエルは神様からのメッセージを持ってマリアの所に行きました。それは天使の仕事です。即ち、メッセージを配達する事です。聖書の中では、ある時、そのメッセージを述べ伝える為に天使は直接、人に話しました。ある時、夢の中に現れました。又、聖霊は人の心に神様からのメッセージを霊感によって伝えました。しかし、人がそのメッセージを最初に受ける時、その人の反応はマリアの反応と同じです。即ち、誤解(ごかい)し、否定(ひてい)し、拒否(きょひ)して、そして最後に受け入れる事です。モーセの事を考えますと、燃えている芝(しば)の所で神様からのメッセージを受けた時、エジプトにあったイスラエルの民を自由にさせる働きを断りました。なぜなら自分には出来ないと思ったからです。しかし、神はモーセと共に行くと約束しました。又、アブラハムとサラの事を考えますと、子供が生まれると聞く時、彼らは笑いました。自分達が年を取ってしまっていたからです。しかし、み使いの言葉どおりに成りました。又、預言者ヨナを考えますと、ニネベに神のみ言葉を述べ伝えなさいと聞く時、彼は逃げました。大きい嵐と大きい魚によって、神様が教えたのは、神様が働きの命令を下す時、預言者はそれを聞いてそれを果たさなければならない事です。

マリアは言いました、「どうして、そのような事があり得ましょうか。私は男の人を知りませんのに。」 マリアは、もう少し詳しい説明がほしいでしょうか。それとも、天使からの働きをしない理由を探したでしょうか。天使のメッセージを完全に受け入れたのは、証拠(しょうこ)を見せたからです。即ち、「神に出来ない事は何一つない。」と言う証拠を受けたからです。その時、言いました、「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」

天使があなたに話した事がありますか。実にあるでしょう。天使と言う言葉の意味とは、メッセンジャです。 私達皆は、その天使のようなメッセンジャから神様のみ言葉を聞いた事があります。その天使の声とは、伝道師、牧師、教会学校の先生、信者同士です。その声は、神様の愛と赦しを語りました。私達が最初に聞かされたメッセージは、多分、「神は愛です」のようなことばでしょう。又、最初に聞かされた聖書の物語はクリスマスのストーリでしょう。最初に聞いた時、それを信じたでしょうか。それとも、マリアのように、もう少し説明してもらいたいと思ったでしょうか。「どうして、そのような事があり得ましょうか。私は罪人のに。」「どうして、そのような事があり得ましょうか。私は科学を信じるのに。」 その時、そのメッセンジャは「神に出来ない事は何一つない。」と教えました。信仰によってそれを信じる時、私達にも不可能な事はありません。信仰、信頼、と平和が来ます。

天使があなたの所に来て、あなたに神様からの特別なミッションの働きを与えた事がありますか。感じた事がありますか。神様が自分に呼び掛ける事を感じた事がありますか。そのメッセージは、別の人から、夢の中、幻しの中、自分の想像、自分の計画の中に来るでしょう。宗教的な働きでしょうか、例えば、宣教師になり、牧師になり、新しい伝道のプロジェット、特別の伝道計画をサポートする、神様の事を教える・証をする事、人を教会に誘う事、教会学校を教える事、など。又、別に宗教的な働きではなくても、しかし、キリスト信者の人生の普通の働きに呼び掛けた事があるでしょう:例えば、隣人を愛する事、社会運動やプロジェットでしょう。この働きが自分自身の為に大き過ぎると感じる時があるでしょう。「どうして、そのような事があり得ましょうか。私に教育やトレイニングがないのに。」「どうして、そのような事があり得ましょうか。私にはお金も時間がないはのに。」「どうして、そのような事があり得ましょうか。私はこの事が神様からよりも自分の空想から来ると思うのに。」「どうして、そのような事があり得ましょうか。皆がその事に反対だのに。」

その時、赤ちゃんのキリストを見ます。 飼い葉おけに寝かせて、母マリアに抱かれています。どうしてこの子供が私の救い主になる事が出来るでしょうか。鞭打たれ、侮辱され、十字架の丘に連れられたキリストを見ます。この人が本当に私の救い主になる事が出来るでしょうか。十字架上で死ぬイエス様を見ます。キリストが死にましたら、本当に私の罪を赦して私に命を与える事が出来るでしょうか。そして、復活の朝の天使に聞きます。「彼はここにおられません。甦られました!」どうしてこの事があり得るでしょうか。「神に出来ない事は何一つない。」

この言葉はキリスト信者の人生の力です。約束の言葉です。アブラハム、モーセ、マリアは神様の約束を信じました。ペテロ、パウロ、使徒達は、復活の朝の天使の約束やペンテコステの聖霊の約束を信じました。すべてのキリスト信者はガブリエルの言葉を聞いて、キリストの誕生、死、と復活をお祝いします。このクリスマス、私達もマリアの信仰を受けます。私達はクリスマスと復活祭の栄光を見ました。神様は、人間にとって不可能な事をなさいました。即ち、私達に救いと永遠の命を下さいます。それで私達はマリアと共に言います、

「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会


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