クリスマスの天使:#1
天使ガブリエル、ザカリア、私

待降節第一主日、2015年11月29日

今年の待降節・クリスマス・顕現節のテーマとして、天使について説教するようにしました。何故ならば、クリスマスのストーリーには天使が神様の救いの御計画を表す、大事な役割を持つからです。「天使」や「み使い」や「エンジェル」とも言います。英語の「エンジェル angel」と言う言葉は、新約聖書のギリシャ語の「知らす」と言う言葉から来ます。神様のメッセージを伝える者です。ところで、「伝道」という言葉は、救いのメッセージを教える事です。英語の言葉は “evangelism” です。クリスマスの天使、イースターの天使、キリストの昇天の時の天使も、イエス・キリストによる私達の救いについての、神様のメッセージを話すメッセンジャーでした。

今日見たいと思う天使はガブリエルです。バプテスマのヨハネの父・ザカリアのところに来ました。これはルカの福音書第一章に書かれています、
ルカ1:5~25, 39~80。

ザカリアは祭司として、神殿の中で祈ったり、香をたいている時、主の天使が現れました。ザカリアと彼の妻エリサベトに男の子が産まれると伝えました。この子は、メシアが来る前に、イスラエルの民を救い主の来られるときの準備をします。産まれる時から、彼は神様に聖別されて、聖霊に満たされた人になります。聖霊に満たされているので、彼は主の預言者になります。実は、彼の誕生に関する出来事を見ると、彼の両親も聖霊に満たされた預言者として、言葉や歌によって主の救いを述べ伝えます。

しかし、一つの大きい問題があります。ザカリアはガブリエルにそれを話します。すなわち、彼も妻も歳を取って、又、妻は不妊の女だったので子供を産む事が出来ません。それで天使のメッセージは不可能で、ナンセンスだと思いました。ザカリアは天使に言いました。「何によって、私はそれを知る事が出来るのでしょうか。私は老人ですし、妻も年をとっています」(1:18)。ザカリアは、天使と話している事を知りました。そのメッセージが神様から来たと知りましたが、それなのに、そのメッセージを信じる事が出来ませんでした。信じられないのは、あれが非論理的(ひろんりてき)で、自分の妻が赤ちゃんを産む事が出来ないと思ったからです。ですから、彼の質問、「何によって、私はそれを知る事が出来るのでしょうか」とは、本当の質問よりも、そのメッセージを否定する事です。ガブリエルの権威を疑います。ザカリアは証拠が欲しい、しるしが欲しいと思います。

天使は自分の権威を見せます。言います、「私はガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝える為に遣わされたのである」(1:19)。天使の言葉は神様の言葉です。このメッセージは神様からの直接な言葉です。ですから、真実で、天使が言う通りになります。

ザカリアがしるしをお願いしたので、与えられまた。ガブリエルの話した言葉を信じなかったので、赤ちゃんが生まれる時までに、ザカリアは言葉を話す事が出来ないというしるしでした。そして、その通りになりました。

ストーリを読み続けますと、ザカリアの妻エリサベトが妊娠して、男の子を産みました。ザカリアが「ヨハネ」と言う名前を付ける事は、彼が本当に天使の言葉を信じて信頼した事を表したので、名前を付ける時から再び話す事が出来、神様を賛美しました。近所の人々も、この奇跡を見ました。ルカ1:66が言います、『聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及(およ)んでいたのである。』

ルカ第一章の多くの細かい事について話す事が出来ますが、一番面白いと思う所は、ガブリエルとザカリアの間の対話です。どのようにザカリアが福音のメッセージに反応したかです。これが大切だと思うのは、もし私がザカリアでしたら、彼と同じように反応するだろうと思うからです。ですから、私は彼から習う事があります。

自分が天使と出会ったら、どのように反応するでしょうか。どのようにその人が天使であるかどうか分かるでしょうか。どのように、そのメッセージが神様からのメッセージであると分かるでしょうか。ザカリアの場合には、神殿の祈りと香(こう)を炊く時間でした。これは、私達の教会の礼拝の時、聖餐式の時間のようでしょう。天使のメッセージが語っているは、私達の聖書の朗読、説教、讃美歌と祈りの中です。私達がザカリアと同じように反応する時がありますか。ルカ1:12、「ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖(きょうふ)の念(ねん)に襲(おそ)われた」と。もし説教者の話しや聖書朗読が私達の心を刺したら、私達の人生の罪を裁いたら、私達の良心の状態に語りましたら、私達は不安や恐怖を感じる事があるでしょう。自分の罪を見て、神様の裁きを見て、神様の御前に自分の価値がない立場を見たら、裁きの恐怖(きょうふ)の念(ねん)に襲(おそ)われるでしょう。

又、ザカリアのように、私達は福音がナンセンスのように、不可能な空想のように否定するでしょうか。イエス様がおとめより産まれる事、三日目に復活する事は不可能、科学的な論理に合わない事です。それが私の罪を赦せるか。多くの人々が福音のメッセージを聞く時、それが普通の思いでしょう。キリスト信者達もこの事について考えます、福音の中心であるからです。そして、信仰によってそれを信じます。

私達の信仰はザカリアの信仰のようです。彼は証拠が欲しい、しるしが欲しいと思いました。それで、ガブリエルはしるしを与えました。即ち、天使の言葉を信じてその子供に「ヨハネ」と言う名前を付けるまでに、話す事が出来ないと言うしるしでした。私達も証拠、しるしが欲しいと思います。福音の証拠とは、イエス様が死んで三日目に復活した事です。それは唯一の証拠です。しかし、私達の信仰が弱い時、信仰を強くするしるしが欲しいと思います。一つのしるしとは、福音を信じるクリスチャン達の愛です。心を尽くして思いを尽くして主なる神様を愛するので、自分自身のように隣人をも愛します。自分の家族を初め、友達をも、敵でさえも愛します。自分の生き方とは、もう既に復活したように活きるのです。即ち、自分の洗礼を活かします。洗礼を受けた時、罪に対して溺れ死んで、キリストと共に甦りました。ザカリアの息子が産まれた時、天使から教えられた名前を付けました。私達が洗礼によって再び生まれ変わる時、私達には聖なる三位一体の神様、父と子と聖霊の御名が与えられています。

ザカリアは信仰を表して、字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書きました(1:63)。私達は信仰を告白して、使徒信条を詠んだり、主の祈りを祈ったりします。

天使の仕事とは、良い知らせを告げる事です。今度のクリスマス、クリスマスの物語を教える時、私達は神様のエンジェルのメッセンジャーになります。翼(つばさ)や後光があれば楽しいでしょうが、ガブリエルの場合と同じように、いつも簡単な仕事ではありません。私達のメッセージも誤解され、信じられていない、攻撃されて、侮辱されるケースがあります。イエス様がサンタに、天使がトノカイに変えられてしまいます。しかし、私達は真実を知ります。福音を知ります。永遠の命と救いを知ります。この子の名は「イエス様」です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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