2011年1月2日, 新年礼拝
あけましておめでとうございます! この新しい年の初めに、「初め」と言うテーマで話しましょう。新しい年が始まりますと、人生の新しいスタートが出来ると思います。古い事を忘れます。古い事を赦します。新鮮できれいに初めます。それを表す聖書の言葉は悔い改めです。私達が犯した誤りと罪の為に悔しい、失敗したと思って、もっと良くなって欲しいと思って、神様の赦しをお願いして、神様の赦しを信頼して、聖霊の力によって自分の罪深い人生を変えるように祈ります。赦しがあるので希望があります。去年よりも、今年の方が良い年になるように望みます。又今年こそ、神様により近くなるように、また家族や友達ともより近くなるように祈ります。
この新しい初めをいつ始めましょうか。元日がより良いでしょう。私達のカレンダーによりますとそうです。私達はその時点から始めますが、今日の聖書の個所によりますと、神様はいにしえの昔から既に始められています。「初めに、神は天地を創造された。」「初めに言があった。」これは天地創造の時の事ですが、そのずっと前にも、イエス様はもう既に神様と共にいましたと聖書に書かれています。それが大切であることは、創造の時に神様は私達の救いの為に、もう既に働いておられた事です。創造と救いが手と手でつないでいます。創造の御計画の中には救いの御計画もありました。神様が全(すべて)を知る事の「全知」の神なので、人間が罪に陥ると御存じでした。救いは後で考えられた思いではありません。物事が悪くなる時の緊急的な助けではありません。神様は悪い世界を造りませんでしたが、同時に、間違いを犯さない機械を造りませんでした。人間を造りました。魂を持って、感情を持って、判断が出来、愛する事が出来る人間を造りました。機会は愛する事が出来ません。壊れた機械を道具で直しますが、壊れた人間は愛でしか直しません。ですから、愛する人間を創造した時、神様はもう既に御自分の愛する独り子イエス・キリストを送るように計画されました。それは、この世に神様の愛を表す為です。
救いが永遠の時から始まったと言えるでしょう。キリストの御生誕から、又キリストの死と復活から始まったとも言えるでしょう。世の終わりの時に救いが来るとも言えるでしょう。又自分がイエス様を自分の主・自分の救い主であると信じる時、自分の罪を赦す為に、イエス様が死んで甦ったと信じる時に、救いが始まるとも言えるでしょう。
今年の初めに、キリストがもう既に私達の救いを始めた事をお祝いしましょう。新しい創造です。それで、悔い改めと信頼と希望と愛と平和と喜びを持って、A.D.主の年2011年と数える、新しい年を始めましょう。
アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会