2012年12月23日、アドベントIV
ルカ1:26-38
今の時期は多くの人々にとって忙しい時期です。クリスマスやお正月の準備で忙しいです。買い物、食べ物、飾りつけ、宴会、礼拝、歌、祈り、訪問、心配、体重が増える事、忍耐がなくなる事、そして同時に、楽しく過ごします。いらいらする時、クリスマスの習慣がシンプルでしたら良いなと思いますが、その忙しさは、クリスマスの大事な部分であるみたいです。聖書の最初のクリスマスの時から、人は忙しかったようです。
先ず、天使ガプリエルはいそいでした。 先ずエルサレムに行き、ザカリアにバプテスマ・ヨハネの誕生を告げました。 次にナザレに行き、マリアにイエス・キリストの誕生を告げました。 次にヨセフの所に行き、マリアの子供が救い主なるキリストであると説明しました。
マリアとヨセフはいそいで、ベツレヘムへ旅しました。多くの人々がその町に来て、住民登録の為に忙しがったので、宿には部屋がありませんでした。
天使が再びいそいで、ベツレヘムへ旅しました。羊飼い達にキリストの誕生を告げました。羊飼い達は飼い葉桶の中の赤ちゃんを見る為に走って行きました。最後に、星の占いの博士達は、イスラエルの新しく生まれた王様を拝みに行きました。
どうしてこの皆さんが忙しかったでしょうか。信仰があったからです。救い主がお生まれになったと信頼したからです。神様の愛と平和を見つけられると言う希望があったからです。そしてキリストを見つけると、大きな喜びがありました。
信仰と希望があるので、人々は何かをして忙しくなります。希望のない人はけっして自分の家を出ませんし、勉強しません、医者に行きません、友達を訪問しません、祈りません。
信仰と希望があるので、人々は教会に来ます。神様は私達を受け入れて、赦して下さると言う信仰があるからです。神様が私達に平和と愛と喜びを下さると希望します。そして希望と信仰があるので、その平和は自分の心の中だけではなくて、目で見える平和と安全がすべての沖縄の人にあるように祈ります。
クリスマスになっても独りで自分の家を出ない人がいます。ある人は病気です。ある人は怠け者です。ある人には家族や友達がいません。ある人はイエス・キリストの福音を知りません、又それを否定します。ある人は、行く所があると知りません。ですからクリスマスのメッセージはいつも招待です。羊飼い達は言いました、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と。今度私達は言います。「教会へ行こう。クリスマスのストーリを聞こうではないか」と。
勿論、クリスマスに一番忙しいのはイエス・キリストです。ベツレヘムで生まれる為に、遠い天国から来られたからです。天国が遠いと言う時、天国が宇宙の何万光年も離れている事と意味しません。距離の事でありません。神様がいつも私達と共にいると言うからです。地位の遠さです。遠い全能の神様である地位から無力な子供まで、造り主である、命を与える主から生まれた赤ちゃんまで、偉大なる裁き主から裁かれて死刑に宣告された者にまでになりました。又、聖なる聖なる聖なる全能の主なる神から、十字架上で最も罪深い者にまでになりました。死にましても、キリストはその時にも、私達の救いの為に忙しいでした。私達の罪を赦して悪魔の力を征服しました。神様の愛はいつも忙しいです。
クリスマスは忙しい時期です。私達は忙しいですが、神様はなお更に忙しいです。私達の人生の中で働いて、希望と信仰を始め、力と癒し、愛と友達、平和と喜びを与えて下さいます。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会