人間をとる漁師:あなたの働きとは?

2007年2月4日
イザヤ6:1-8、第一コリント14:12ー20、ルカ5:1−11

今日は私達の教会総会です。今日は、キリストの働きをする為に、この教会の今年の活動計画を立てます。今日の聖書日課は、神の働きをするために召された人々についてですので、私達は彼らから学ぶ事が出来ます。聖霊から力と導きをいただきます、それは、預言者イザヤ、弟子ペテロと使徒パウロのことを読む時です。

まず、神様がイザヤを召します。イザヤは、天国の恐ろしい幻を見ました、栄光と力に帯びている神様を見ました。セラフィムは、神殿の土台が揺れ動ごく程、大きい声で歌いました。そして、祭壇の煙が神殿を満たしました。イザヤは恐れました。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」するとセラフィムのひとりが、祭壇から火鋏で取った炭火をイザヤの唇に触れて、その唇を清めました。彼の罪を赦しました。そして、主なる神様の招きを聞きました。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」イザヤは言いました。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」

信仰によって、私達も神様の栄光の幻を見ました。特に、十字架上のイエス様の栄光と復活の栄光です。私達は自分の罪を知っているので、福音を語るための資格が無いと分かります。しかし、私達は聖霊の炎によって清められています。祭壇から来るキリストの体と血が私たちの唇に触れました。これによって、私たちには主の招きに答える価値があります。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」 私達も言います。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」

聖ペテロは漁師でした。彼はセラフィムや煙を見ませんでしたが、おびただしい魚を捕る奇跡を見ました。彼の反応はイザヤと同じでした。自分は全能の神様の御前にいると感じました。彼は恐れました。ペテロは、イエス様の足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言いました。しかし、イエス様はご自分の愛と赦しを見せて下さいました。イエス様はペテロから離れて行くよりも、ご自分のミッションの為に、ご自分の後について来るようにペテロを招きました。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と言われました。

ペテロは漁師だったので、今度人をとる事が出来ました。マタイは税金を集める徴税人だったので、今度人々をイエス様の下に集める事が出来ました。私達にも、いろいろなタラントや賜物があるので、キリストのミッションのためにそれを使う事が出来ます。教師や大工や歌う人や祈る人や遊ぶ人などです。そして、一つの教会として、私達はお互いにキリストの為に働きます。

聖パウロがコリントの町の教会に手紙を書く理由は、その教会には多くの問題があったからです。私達はその手紙を読んで、私達の助けとなるヒントを得る事が出来ます。今日読んだ箇所は、教会の中の秩序を強調します。福音を 一番よく述べ伝える為、よく理解されて、人々が信じるた私達の教会の一番大きなコミュニケィションの問題とは、日本語と英語の問題ではありません。二人が一緒に英語を話していても、時々コミュニケィトしません。二人の日本人が日本語を共に話しても、相手を理解する事が出来ない時があります。ですから、聖霊が私達の思いと心を通訳するように祈ります。聖霊はキリストにあって愛と赦しと平和と喜びの言葉を話します。

ですから、私は教会の総会が好きです。聖霊が私達の間で働いている事を見れるからです。そして、それは、おびただしい魚を捕る奇跡よりはるかに素晴らしい奇跡です。めに秩序が必要です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会

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