全世界の救い

2014年1月5日、顕現主日

イザヤ60:1−6、フェソ3:1−12、マタイ2:1−12、詩編72

クリスマス・イブ、私達の主イエス・キリストの誕生日をお祝いしました。信仰によって、私達はベツレヘムに旅をして、天使の歌を聞きました:「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」聖書の朗読や歌や祈りによって、私達は飼い葉桶の所に行って、救い主になる子供のキリストを見ました。今日、博士達と共に旅をして、私達はベツレヘムに戻ります。今日新しく見るものは何でしょうか。 今日強調する事は、イエス様が全世界の救い主になる事です。クリスマスの時、羊飼いなどは全部イスラエル人でした。イエス様は先ず、イスラエルである神様の選ばれた人々に来られました。イエス様はユダヤ人の律法の下に生まれました。旧約聖書の預言を成就しました。しかし、今日、顕現主日をお祝いするのは、このイエス様が、ユダヤ人だけの救い主ではなくて、異邦人の救い主でもあることをです。

博士達はユダヤ人ではなくて、東の国から来た人でした。多分、現代のイラクの国の当たりから来たでしょう。ユダヤ教の信者ではありませんでした。「占星術」の学者と呼ばれています。ギリシャ語では「マゴイ」です。その言葉から "magic" と"magician" 「魔法」と「魔法使い」が来ます。「博士」と言って、多くの物を学びました、例えば、★です。科学者としての天文学ではなくて、星占術の方でした。キリスト教会は星占いなどを認めません。何故ならば、今の為にも未来の為にも、神様を信頼するからです。ですから、博士達の職業は、私達の為に恥ずかしいと思います。しかし、私達が恥ずかしくても、神様は天の空に奇跡を行いました。それは、イエス様の誕生を宇宙に宣言する為です。詩編19が言います、「天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。」現代の天文学者や神学者は、博士達が見た★や天の現象は何であったか分かりません。いくつかのすいそくがありますが、分かりません。例えば、水星、ノヴァ、一つの星座の中の惑星の位置かも知りません。しかし、何かの特別な方法で、神様は博士達にその星の意味を表して下さいました。

それでエルサレムに来て、言いました、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」面白いと私は思いますが、生まれた子供がユダヤ人の王であると分かりましたが、星は子供のキリストがいる所までに導く事が出来ませんでした。しかし、その詳しい啓示は、聖書の中に有りました。聖書の学者達はすぐ分かりまして、教えました。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」博士達は出かけて、星を見て、そして、その星は子供がいる家まで導いたので、大喜びました!「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」のです。イエス様の為に、ふさわしい贈り物でした。黄金は王様の為にふさわしい物ですし、乳香は礼拝でいけにえと祈りをささげる祭司の為にふさわしい物ですし、そして、没薬は十字架上で死ぬ救い主の為にふさわしい物でした。この贈り物はイエス様について本当の事を表しました。

そして、夢の中で、神様は博士達にもう一つの啓示を告げます。即ち、ヘロデ王に何も話さないで、違う道で国に帰るように告げました。

この博士の物語の中で、神様は私達に大きな神秘を啓示して下さいました。実は、星やほかの自然の現象によって啓示されていません。自然の素晴らしくて綺麗な物は神様の力と栄光を現す事が出来ますが、本当の理解は神様の御言葉である聖書によって啓示されています。聖書を通して教えられている大きな神秘とは、ユダヤ人の王として生まれたイエス様は、全世界の救い主でもある事です。博士達は、ただ、最初に来てイエス様を礼拝する異邦人でした。ユダヤ人だけではなくて、異邦人もイエス様のお生まれ、死と復活によって救われています。イエス様の十字架上での死は全世界の罪を赦す為でしたので、クリスマスの天使が歌った「地上に平和」を下さいます。今日の使徒書、エフェソ3章には、聖パウロはすべての人々を救う神様の御計画についてはっきり話します。

博士達は誰にも話さないように、密かに国に帰るように注意されていましたが、私達には違う事が教えられています。この子供のキリストについてすべての人々に話すように命令されています。天国に帰る前に、イエス様はその12弟子、及び、すべての弟子になる人々にこのように言われました。「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

教会の礼拝の時に、献金をささげる時、私達は博士達のようです。私達の献金は私達の礼拝と信仰のしるしです。しかし、私達の神様への贈り物は、神様から下さった素晴らしい数多くの贈り物の小さな部分です。命をも、赦しをも、救いをも、永遠の命をも下さいました。そして、福音を宣べ伝える時、私達はこの贈り物を多くの人々に与えます。福音は少ない数人だけの為にではなくて、子供のキリストが世の救い主であると信じるすべての人々の為です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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