クリスマス・イブ、2013年
クリスマスの天使達が歌いました、「地には平和、御心に適う人にあれ。」綺麗な祝福です。毎年の今ごろ、多くの人々は親切な心で愛の業をしようと思うので、天使達の歌の一部が満たされています。しかし多くの人々の為には、平和と神様の御心が、自分のクリスマスのソックスの中に、クリスマスツリーの下にありません。
平和とは何でしょうか。人々が欲しくて祈る平和はどの形のものでしょうか。人によって違います。例えば、戦争のなかにある国や暴力の所に住む人にとっては、平和とはもう殺し合う事がしかない事です。迫害された人やキリスト信者であるので殺された人にとっては、平和とは夜中に自分の村に敵が来ない事です。いじめられた人にとっては、平和とは一人でいる事です。貧しい人にとっては、平和とは食卓の上の食べ物と住む所です。淋しい人にとっては、友情と愛情です。病気の人にとっては、癒しと力です。など、等、等。
クリスマスの平和は、このすべての人々に平和をもたらす事が出来るでしょうか。私達のクリスマス・イブの礼拝とこの説教はあなたの心と人生に、あなたの愛された人の心と人生に、平和をもたらす事が出来るでしょうか。それは私達の希望であり、私達の信仰であり、神様の約束です。又、神様はそれを宣言しました。天使はそれを羊飼いたちに告げまして、そして、私達の為に福音書に記録されました。もし神様がそれを宣言すれば、神様はそれを実現するでしょう。
しかし、この世はエデンの園ではありません。平和は、ただの天国の希望でしょうか、それとも、地上の平和に希望があるでしょうか。どのようにして馬小屋に生まれた小さい赤ちゃんが、この世に平和を実現するでしょうか。どのように十字架上で殺されるイエス様がこの世に平和を実現するでしょうか。その平和を見つける為に、先ず、平和は神様からの贈り物である事を、理解しなければなりません。平和は神様の働きです。神様の業です。我々の人間が平和を作ろうと思う時がありますが、実は平和をばらばらに壊すのは、私達人間であるので、本当の平和を人によって作る事が出来ません。神様がそれをしなければなりません。そして、素晴らしい方法で神様はそれをなさいます。
人々は平和を作る為に、交渉(こうしょう)をしたり、カウンセリングをしたりして、又束縛(そくばく)と暴力を使う場合があります。しかし神様は平和を交渉(こうしょう)しないで、平和を宣言します。そして、一番平和的な方法でその平和をもたらします。先ず、イエス様は力の無い赤ちゃんとして産まれました。後で、犠牲になる柔和な羊のように、暴力的な人によって、十字架につけられて殺されましたが、3日目の復活によって、その暴力と憎しみを征服しました。罪が赦されました。私達が自分の罪から救われています。罪の結果から救われています。
ですからクリスマスの時、地に平和をもたらすのは神様です。人々に御心を表しました。今の時期、神様の平和の宣言が、多くの人々の愛と喜びの中に成就されています。私達の祈りと歌から始まります。神様が先ず私達を助けて下さったので、貧しい人や台風のような天災に苦しむ人を、献金によって助けます。神様は私達の罪を赦して下さいましたので、私達の心がソフトになったので、他の人を赦す事が出来ます。神様が私達を地獄の滅びにおとさなかったので、私達は他の罪人や問題を起こす人に対して、希望と忍耐を持ちます。
この争いと病気のある世の為に、神様は平和を実現する為に働いています。この世の中に神様の働きを見る為に信仰が必要です。しかし、神様の業がなければ平和が不可能である事を、常識(じょうしき)から分かります。この世の問題を解決して、誠の平和を作るのは神様だけです。ですからキリストがこの地上に生まれました。キリストによって、神様は私達と共にいます、インマヌエル。私達に赦しと安心と希望を与える為に、キリストは生きて死んで復活しました。それで、クリスマスは神様の愛と平和の約束としるしです。
アーメン。
クリスマスの平和と愛が、今も永遠にも、あなたの心と思いにありますように。アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会