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千人を食べさせる奇跡:あなたはパンを何個持ているか
2011
年7月24日マタイ14:13−21
14:13
イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。14:14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。14:15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」14:16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」14:17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」14:18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、14:19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。14:20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。14:21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。
5千人を食べさせる話は、イエス様の有名な奇跡の一つです。ここで、私達はイエス様の偉大なる力を見ます。たった五つのパンと二匹の魚から女と子供を別にして、男の人、五千人ほどが食べものを頂きました。素晴らしい奇跡でした。その日、他の奇跡もありました。病人をいやされました。奇跡とは、自然の物理の法則を破ることです。例えば、水をブドウ酒に変える事、水の上を歩く事、パンと魚を増やす事、甦る事、罪を赦す事、永遠の命を与える事などです。ある人が奇跡を信じませんが、私は奇跡を信じます。私が信じるのは、もしイエス様が神様でしたら、そして、もし神様は全能のお方でしたら、勿論、イエス様は奇跡を行うことが出来ます。奇跡は私にとって問題が全然ありません。私の信仰は復活の奇跡に基づています。それは、3日目のイエス様の復活も、世の最後の日の体の復活もです。
5千人を食べさせる話に、イエス様の素晴らしい奇跡の力を見、同時に、イエス様の素晴らしい愛と憐みをも見ます。その日、イエス様は病気の人を癒して、そして、すべての人々を食べさせました。彼らを深く憐れんだのは、彼らにイエス様が必要だったからです。憐みは悲しさの一種です。イエス様が舟に乗ってひとり人里離れた所に退かれたのは、独りで祈りたいと思ったからです。それはヘロデ王が、バプテスマのヨハネを殺した後です。イエス様は、悲しかったです。イエス様がはじめ、多くの人が悲しかったのです。皆に愛された預言者が殺されたのです。皆は、新しい霊的なリーダーが欲しいと思いました。ヨハネの後、人は神様の御言葉を受ける為に、イエス様のところに来ました。人は神の御言葉を聞きたくて、イエス様の行き先の海の向こう側まで、何キロをも歩きました。イエス様は人々を見た時、彼らの霊的な状態が分かりました。イエス様は人々の病気を癒しましたが、人々の魂をも癒しました。神の国についての慰めを与える言葉を話しました。神の愛と憐みについて話しました。そして、その憐みを表して、群衆を食べさせました。その日、イエス様の言葉を聞く為に、人々は急いで家を出たので、食べ物をあまり持って行きませんでした。イエス様は、人々の魂の状態だけではなくて、人々の体の状態をも心配しました。霊的な栄養をも、物質的な栄養も必要でした。神様の完全な愛が必要でした。
イエス様は弟子達に群衆に食べ物を与えるようにチャレンジしました。しかし、見つけたのは5つのパンと二匹の魚だけでした。それで足りませんが、弟子達はイエス様を信頼しました。では、あなたには、どのぐらいのパンがあるでしょうか。あなたには、どのぐらいの憐みがあるでしょうか。人は、この世の中で飢えています。人は食べ物が必要とします。アフリカのソマリアには、大きなききんがあります。人は飢えて死にます。難民のキャンプに逃げます。アフリカだけではなくて、世の中の別の所にも同じような問題があります。しかし、私達は他の国を見なくてもいいです。この島で、失業や貧しさの為に、十分食べていません。私達の冷蔵庫や台所に食べ物でいっぱいであっても、ニーズが大きすぎます。5つのパンと2匹の魚しかないのと同じみたいです。私達は弟子達のフラストレイションを感じます。自分の無力を感じます。憐みにマッチする力や経済力がありません。
憐み、同情があります。悲しみの一つです。私達は他の人に対して憐みを持っているのは、私達に対するイエス様の憐みを知っているからです。この世の罪と悪と無力さの為に、神様は悲しみました。その悲しみと憐みは、神様の愛に表わされています。イエス様は私達を愛して、私達の罪を赦す為に十字架上で死んで下さいました。イエス様は、私達がまだ卑しい罪人であった時に私達を憐れめました。この愛が私達の心を満たして、他の人に溢れます。ですから、世界のすべての人を食べさせる力がないので、私達はいらいらします。
しかし、私達が完全に無力ではありません。聖霊の力があるからです。聖霊は私達に信仰を与え、命のパン、神様の御言葉を下さいます。聖霊は私達の目を開けるので、私達は他の人の状態を見る事が出来ます。
先ず、私達は祈ります。「日ごとの糧を今日も与えたまえ」と。自分の為にも、すべての人々の為にも祈ります。
私達はいろいろのチャリティに寄付します。今は、東日本の災害の為の献金箱があります。毎年の秋、沖縄の他の教会と共に、「世界食糧」キャンペインに参加します。
そして教会の働きを支えます。それは誠の命のパン、福音の御言葉をすべての人々に述べ伝える為です。
ガリラヤの湖の畔に、5千人程の人々はパンと魚を受けました。私は、その中の一人のように感じます。自分が癒された人のようです。神の国について福音を聞いた一人の人のようです。私は食べて満足します。
アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会