『釣り伝道』

顕現節第3主日
2008年1月27日

マタイ4:17−25

イエス・キリストと出会うと、私達の人生が変わります。私達が祝福されます。

イエス様は出会った人々の人生を祝福しました。今日の福音書には、イエス様は4人の漁師を始め、多くのガリラヤの人々を祝福しました。彼らの諸会堂で神様の国の福音を述べ伝え、人々のあらゆる病気や患wazuraいを癒されました。癒しや福音の慰めと喜びによって、神様の宗教的なものも、物質的なものも、人々の人生の中に与えて下さいました。

イエス様は私達の人生の中にも来られて、私達をも祝福して下さいます。先ず、呼びかけで始めます、『私について来なさい』と。そして、私達はイエス様について行って、彼が行く所に行き、彼がなさる事をします。彼と同じようになるように習います。言い換えますと、私達はイエス様の弟子になります。その4人の漁師はイエス様に従っていき、イエス様の宣教と教えと癒しの働きに加えられました。私達もイエス様に従う時、同じ宣教の働きに参加します。私達は証をします。たとえ病気を癒す事が出来なくても、私達は福音の御言葉による力と希望を与える事が出来ます。

その漁師を選ぶ時、「人間をとる漁師にしよう」と言われました。即ち、彼らの新しい職業とは、人々を神様の国に集める事です。それで、教会のために魚を取る事は伝道をする事という例tatoえになりました。狭い意味では、伝道は新しい人を教会に連れて来る事です。教会の宣教の働きは教会がするすべての働きですが、狭い意味では、『宣教』は新しい人を教会に連れてくる事です。それで、私達には、『釣りの伝道』の宣教の働きがあります。魚を釣って、船に入れる事のようです。人を教会に誘って神の国に入れる事のようです。イエス様の最初の12弟子だけではなくて、すべてのクリスチャンはこの宣教の為に働きます。すべてのクリスチャンがイエス様に呼ばれていますので、イエス様が神の国を述べ伝えたように、私たち皆はイエス様に従って行きます。言い換えますと、すべてのクリスチャンには、伝道の働きがあります、良い知らせを述べ伝え、イエス・キリストを救い主として信じるように呼びかける働きがあります。

しかし、ある人は、教会が『伝道をしなさい』と言っている事を聞きますと、畏osoれます。イエス様について話したり、人を教会に誘sasoったりする事が恐kowaいと思います。分かりやすい理由があります:例えば、もしかしたら、人を誘いましたが、人がそれを『いや』と言ったので、個人的に拒kobaまれたと感じたでしょう。又、イエス・キリストについて話した時に、誰かが笑って、侮辱したかもしれません。又、相手が怒ikaったかもしれません。これは軽karuiい迫害でしょう。又、ハラスメントがあったでしょう。先週のテレビのニューズの番組である人が言ったのは、他の人にいじめられたのは、自分がクリスチャンである事の為ではなくて、自分が宗教を大事にするからです。私達は魚のように、他の人と共に同じ罪の池の中で泳ぎません。即ち、他の人々の生き方を受け入れなければ、伝道が難しくなります。伝導する時間をとる為に、ある人は自分が忙しいと思います。又、別の事をしたいと思います。実は、伝道には、多くの忍耐、知恵、訓練と聖書についての知識が必要です。しかし、同時に、簡単で、子供でも、『イエス様があなたを愛しますよ』と言えます。

ただのおそれや怠慢(たいまん)いじょうの理由があります。即ち、イエス様を信じないからかも知れません。イエス様の呼び掛けを忘れたでしょうか。『私について来なさい。人間をとる漁師にしよう』と。自分の洗礼を忘れているでしょうか。洗礼によって、イエス様は私達を罪と死の海の水からとって、私達を変えて、今度、神の国の新鮮な空気を吸い込む事が出来るようにしてくださいました。私達の洗礼によって、イエス・キリストは私達皆がこの『釣りの伝道』に参加するように呼びかけています。洗礼の水によって、イエス様は私達を釣って下さいました。私達に『クリスチャン』と言う名前を下さいました。私達に十字架のしるしが付けられています。それは、私達がイエス様の死と復活によって救われているしるしです。イエス様の働きを見ますと、伝道の働きがどんなに危ないか分かります。私達の罪が赦されていると宣言する時、彼がご自分の命を私達に捧げました。そして、彼の復活は私達に新しい命を下さいます。

イエス様は『私について来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われました。釣りを考える時、私達が普通に考えることは、一人の人が一本の釣りざお

を持って一回一匹、魚を釣る事です。これは淋しく、つまらなくて、がっかりして失望してしまうような釣りでしょう。私は個人的にこれがよく分かります。私は下手な漁師だからです。しかし、イエス様は、ガリラヤ湖で生活の為に魚を獲る猟師たちに話しました。彼らは網amiを使ってチームで漁をしました。そして、主の助けによって多くの魚を獲る事が出来ました。実は、新約聖書の中では、イエス様の助けがなければ、ペテロは一匹の魚もとりませんでした。伝道も同じです。聖霊が働いて、人の心の中に信仰を造らなければ、だれも救われません。弟子達がチームで働いて魚をとりました。そして福音を述べ伝える時もチームで働きました。例えば、ハワイには、フラダンスの歌の一つは「ブキラウ」についてです。「ブキラウ」とは、団体のパーティです。皆はビーチに行きます。そして、皆さんは長い網を持って、ちょっと沖の方に行きます。そして、皆さんが網を持ってゆっくり浜の方に歩きながら、多くの魚をネットの中に集めます。そして、その沢山とった魚を祝う為に、バーベーキュー・パーティをします。これは、素晴らしい伝道の姿です。即ち、皆は一緒に働いて、網を打ち、人を教会に来るように誘います。

来週は私達の教会の総会です。 この教会がする宣教について話します。「ブキラウ」の伝道方法が、教会として良い働き方法でしょう。この『釣りの伝道』を一緒に計画する方法は、イエス様がご自分の弟子達に教えた方法でしょう。そして、お互いに働きますと、イエス様がいつも私達と共にいます。聖霊は私達を導いて下さいます。福音の力によって生きる時、私達の伝道の網を打ちます。釣りの餌esaとは、イエス様の愛、赦しと約束です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会