フールはだれでしょうか

2007年4月1日、しゅろの主日

今日は4月1日で、言われている「エープリルフール」、「四月の馬鹿」の日です。あなたは他の人にトリックをする人ですか、それとも、トリックにやられる方でしょうか。トリックのワナに捕まえられましたら、自分が馬鹿と感じますか。面白い冗談でしたら、楽しみましょう、本物ではないで感謝しましょう。実は、私達皆は、自分が思うより、大きな馬鹿でしょう!

イエス様は、「エープリルフール」の冗談をする人ではありませんでした。ある人はイエス様が馬鹿であり、イエス様が人々をだます者でありと思いました。又、ある人々は、イエス様の前で自分が馬鹿にさせられる事が恐れました。ほこりを持っているので、他の人が自分がどんなに馬鹿か知られたくありませんでした。

イエス様は人々をに例え話しを教えた時、ある人々は腹が立ちました、それは、彼らはイエス様に馬鹿者のように見せられたからです。ただの遊びではありませんでした。イエス様はまじめでした。イエス様は、彼らが自分達の愚かさが分かって、神様を信頼して悔い改めさせたいと思いました。その時代の宗教の指導者達は、愚かなかも知れませんが、頭が悪い訳ではありませんでした。イエス様が例え話しを話すと、彼らはすぐイエス様の意味が分かりました。私達も、愚かな物ですが、頭が悪い訳ではありません。イエス様が私達にも話して下さっていると分かるからです。

この2000年の間、キリスト教が大きな冗談のように考えている人がいます。信者ではない人にとっておかしいものがあるでしょう。未信者は、キリスト信者達が聖書を信じるので、馬鹿だと思います。もちろん、信者達には、もし神様がそのように言われましたら、神様を信じて信頼するので、この世にとって変と思うものを受け入れる事が出来ます。科学者達がそれを見る事が出来なくても、神様がこの世を創造して、今もこの世を守って下さると信じます。神様が私達を愛して、試練によって私達を導く事を信じますが、心理学者が、私達人間が、自分が神様のように、自分の未来を作ると思います。富や力や幸せを得る為に何をしても良いと思わないで、優れている道徳があると信じます。その道徳によって、私達は敵を愛して、私達の愛を必要とする人々を愛します。神様が私達の振る舞えを見ると信じます。神様が罪をまじめに思うと信じます。神様が私達罪人を罰する事よりも、私達を赦したいと思う事を信じます。神様がご自分の御子を遣わして下さったと信じます。私達がイエス様の誕生の2000年後生きていましても、私達の罪がイエス様の死の原因(げんいん)であると信じます。そして、彼の死は私達に赦しを与え、彼の復活は永遠の命を与えると信じます。そして、世の終わりに、イエス様が再び来られる時の永遠の命を待ち望みます。これらを信じる事は馬鹿でしょうか。愛がある時、人々は馬鹿のように見られる事をします。ですから、私やあなたのような馬鹿者、愚かな者の為に死んで下さる神様の愛も馬鹿のように見られるかも知れません。しかし、聖霊は私達に信仰を与えて下さったので、福音が馬鹿と思いません。聖霊の知恵によって、神様の愛が決して冗談ではないと分かります。

神様にはユーモアを解(かい)する心があると思いますか。あると私が思います。多くの動物や鳥や花を見て、神様が楽しく創造したみたいです。猿や、カンガルーや、人間でさえも、おかしいものが沢山あります。礼拝後の祝福の言葉は、「願わくは、主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように」ですが、「どうか、主があなたの上に笑顔を照らすように」と翻訳しても良いと言われています。私達がイエス様の十字架上の死が私達の救いの為であると受け入れる時、神様は笑って喜びます。

福音は冗談ではありませんが、笑ったり歌ったり楽しんだりするべきものです。聖書の中の楽しい言葉は、このようなものです:「ハレルヤ」、「ホサンナ」、と。。。

「アーメン。」

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会

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