“新しい掟、互いに愛し合いなさい”

2007年5月6日、復活後第4主日
第1日課 使徒 11:4-18
書 ヨハネ 13:31-35

子どもへのお話 “キャッチボールしましょう”又“フリズビーの愛”
説教 “新しい掟、互いに愛し合いなさい”

イエス様は新しい掟(おきて)を与えました。言われました、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

このお互いの愛は、“キャッチボール”や“フリズビー”の遊びのようです。人を愛します、そして、愛されましたら、その愛を返します。そして、キャッチボールと同じように、うまくなる為には練習が必要です。

ほかの愛の戒めもあります。神を愛しなさい、隣人を愛しなさい、敵を愛しなさい。しかし、このお互いの愛は、イエス様に従う人々の交わりの為に特別な愛です。この愛で、私達は同じ教会のメンバーに親切とそんけいを表します。同時に、私達の教会の宗派に属していないキリストの弟子、キリストに従う人々にも親切とそんけいを表します。

どうしてこの二つ目の意味を与えますかと言いますと、それは今日の第一の聖書日課、使徒11章のためです。コルネリウスと言う人は、ローマの軍隊の百人隊長でした。彼はイエス様を信じましたが、ユダヤ人ではありませんでした。ユダヤ人達は、異邦人と全然接触しませんでした。ペトロはユダヤ人でしたが、神様は彼に幻を見せました。その幻の中で大きな布、シーツのようなものが天から降りて来ました。そのシーツの中には、いろいろの動物がいました。「汚れた」とユダヤ人達が思う動物もいました。しかし、神様は、そのすべてが清くて、「食べられる物」と宣言しました。

この幻は例え話しのようです。その意味とは、すべての人々、どこの国でも、どの人種でしても、イエス・キリストによって清められていると意味します。ですから、この神様からの啓示があったので、コルネリウスの家に行く信仰がありました。この信仰によって、コルネリウスと交わりを持って、イエス・キリストについての福音を述べ伝える事が出来ました。今度、彼らもお互いに愛し会う事が出来ました。

この愛はイエス様が与えて下さった新しい戒めに基づいていました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ペトロは、神様がコルネリウスを愛したと見たので、今度、キリストがコルネリウスを愛したと同じように、ペテロも、コルネリウスを愛さなければなりません。これは、そんけいと親切と思いやりと交わりを意味します。

キリストの私達に対する愛は、私達のお互いの愛の源(みなもと)です。キリストがその他の人を愛すると同じように、私達もその他の人を愛します:そんけい、親切、又、第一コリント13章の言葉のようです。イエス様は言われました、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と。どのようにしてイエス様が私達を愛したでしょうか。私達を救う為に十字架上で死んで下さいました。このようにして私達は他の人を愛します。愛があれば、人の為に命を与えます、死んでも、生き続けても;キリストと同じように生きて愛します。

ペテロはコルネリウスと共に神様の御言葉の交わりがあった時、聖霊は皆を満たしました。私達の場合も同じです。聖霊の力によって、私達はキリストが私達を愛したように、お互いに愛し合います。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会

ニアフッド牧師の説教