最もひどい罪

2011年、4月17日、しゅろ主日
マタイ26と27章

イエス様は私達の罪を赦す為に十字架上で死んで下さいました。多くの罪の種類があります。しかし、どの罪が一番ひどいでしょうか。それは殺人だと私は思います。盗みは悪いですが、何かを盗んで警察があなたを捕まえましたら、普通その盗んだ物を返すかお金で払い戻す事が出来ます。しかし人を殺す事によってその人の命を奪ったら、決してその人の命を返す事が出来ません。ですから、すべての人の命は尊く、守らなければなりません。

もし殺人が一番ひどい罪でしたら、最もひどい殺人はどれでしょうか。それは神様を殺す事だろうと私は思います。神様はすべての命の与え主であるので、神様を殺す事によって、創造物のすべての命を奪う事になります。この世で犯された一番悪い罪とは、人が神の子であるイエス様を殺した時だろうと思います。

神様を殺そうと思いましたら、多くの方法があります。一つの方法は神様を冒涜(ぼうとく)する事です。それは神様の力と栄光を汚す事です。もう一つの方法とは遇像礼拝です。それは自分の信仰と信頼を、石や鉄で出来た命の無い物に置く事です。又、自分の人生の一番大切な物として、人や物や活動に置く事です。遇像礼拝とは誠の神様の代わりに、別の物や別の欲望を満足させる事です。もう一つの神様を殺そうと思う事とは、自分の人生の中で神様の事を忘れる事です。毎日の活動が忙しくなって、神様の為に時間が無いと思いましたら、神様の愛と恵みを忘れる事が出来ます。又、怒りは神様を殺す事が出来ます。事故や病気や不幸が来る時、それが神様のせいだと不平を言い、その災害が起こるのを許した神様を信じようと思いません。又、自分の人生から神様を追い出して、神様を無視する事によって神様を殺そうと思う事もあります。神様の命令や神様の律法や規定が邪魔で、自分の欲望の罪を許さない時、神様が迷惑になりますので、良心が痛くなっても、神様を無視したいと思います。

イエス様はこのような罪を赦す為に死んで下さいました。御自分を殺す私達を赦す為に死んで下さいました。ユダヤ人やローマ人が実際に釘でイエス様を十字架に付けましたが、私達の罪は彼らの罪より軽く有りません。イエス様は彼らを赦す為にも、私達を赦す為にも死んで下さいました。

確かに悪魔はイエス様を殺そうと思いました。人々の声によってサタンがイエス様を試みました。「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」と誘惑しました。

そして十字架上にいる時、本当の人殺しは父なる神様であるように見えます。イエス様は言われました、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。わが神、わが神、なぜあなたは私をお見捨てになったのですか」と。父なる神様は本当にイエス様を見捨てたのでしょうか。神様の御こころ、神様の意志、神様のご計画はイエス様が十字架上で死ぬ事でしょうか。はいそうです。ヨハネ3:16はそう教えます。神は、その独り子をお与えになったほどに、世[の罪人]を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。このようにして、この世の罪深い人殺しが、命を与え主を殺す事によって救われています。イエス様は犠牲者になる事によって、命が罪人に与えられます。イエス様は甦られます。罪が赦されています。永遠の命と救いが罪人に与えられています。

私達が赦されています。新しい命を受けます。人生の新しい目的も受けます。私達の人生の目的とは、生きる事であり、他の人にも命を与える事です。何故ならば、聖霊は今、私達の心の中に生きていますので、十字架が命のしるしであると教えて下さいます。このメッセージを私達は説教したり、教えたり、述べ伝えたりします。これは赦しの福音です。最も大きい罪を赦す最も大きい赦しです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会


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