レントの説教シーリズ:受難週の出来事、
第3回目、聖火曜日マルコ11:20〜13:37

2015年3月8日、受難節第3主日

今日の聖書日課で、幾つかのユダヤ人のグループはイエス様に質問をします。このインタービュウの目的とは、イエス様を裁判にかける時、イエス様に対する罪を探す事です。それでイエス様に対する裁判はこれで始まります。

その攻撃とイエス様のディフェンスを見ましょう。そして私達の反応を見ましょう。

火曜日の朝、イエス様とその12人の弟子達は、エルサレムに向かって歩きました。前の日の朝にイエス様が呪われた木を見ました。その木が完全に枯れてしまいました。  イエス様の力のしるしです。不信仰の為に、エルサレムに起こるしるしでした。また祈りの力のしるしです。イエス様は祈りと赦しの関係を話しました。それは、人を赦さないと、その呪われた木と同じようになるからです。

ユダヤ人の宗教の指導者達はイエス様を攻めました。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか」(マルコ11:28)。彼らがイエス様に説教する許可を与えませんでした。どこのラビの先生がその許可を与えたでしょうか。勿論、その質問は質問よりも非難です。即ち、「お前には、その権威がないよ」と。しかし、イエス様が言われるのは、自分の権威が人間からではなくて、神様から来る事です。そのユダヤ人の指導者達は、バプテスマのヨハネが、どこから洗礼をする許可を貰ったか知らないといいました。それでイエス様は答えました。「それなら、何の権威でこのような事をするのか、私も言うまい」(11:33)。マルコによる福音書を読む私達は、判断しなければなりません。イエス様のこのような事をする権威が、どこから来ると思いますか。その証拠を見ましょう。イエス様が本当にメシヤの救い主でしょうか。イエス様は、あなた自身の人生の中で、権威を持つでしょうか。イエス様がそのイチジクの木を呪ったと同じように、あなたをも呪う事が出来ますか。私達の人生の中には実があるでしょうか。 赦しの為に祈りましょう!神様に、感謝と賛美と奉仕をしますか。または、私達と私達の教会をそのぶどう園から追い出すでしょうか。私達は確かな土台の上に、建てられているでしょうか。

次は、ローマ皇帝に税金を納めるべきかどうかの質問がありました。イエス様はこのように答えました、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(12:17)。ポンテオピラトの前の裁判の時、イエス様がユダヤ人の王としてローマに対する反逆者であると言われました。イエス様の答えが教えるのは、私達が、一本の足がこの世界の国に立っていて、もう一本の足が天国に立っているので、両方に責任がある事です。それで神様を愛して、隣人をも愛する事です。教会の献金によって神様の国に奉仕し、税金によってこの国に住む隣人に、奉仕する事になります。しかし私が思うのは、イエス様がユダヤ人に言うのは、神様に神様のものをちゃんと返しなさいと言う事でしょう。それで私達もこのチャレンジを受けます。私達も裁判にかけられています。私達はこのイエス様の言葉に従うでしょうか。そして、イエス様が何を返したかを覚えましょう。十字架上で、犠牲として、神様に御自分の命の血を返しました。皇帝の国に住むこの世の人々を救う為に、御自分の命をささげました。

サドカイ派の人々の復活についての質問は大切です。イエス様は未来を知るでしょうか。未来があるでしょうか。死の後には命がありますか。十字架上で死んだ後に、イエス様が再び生きるでしょうか。死んだ者が本当に甦る事が可能でしょうか。科学や人間の歴史を見ると、答えは「いいえ、出来ない」となります。奇跡的な癒しがあります。イエス様が、ラザロのように幾人かを甦らせましたが、その人々は再び死にました。聖火曜日の三日後は聖金曜日です。イエス様の為に希望がありますか。イエス様は三日目に甦りましたが、私達には希望があるでしょうか。新約聖書全体の証しは、天国でキリストと共に永遠の命がある事です。私達はそれを信じます。

「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と言う質問にイエス様は2重の答えを与えました。即ち、神様を100%愛する事、そして、隣人が自分であるように愛する事です。礼拝の最初に私達は罪を告白します。その二つの規定を完全に守っていないと告白します。しかし、その愛の大切さを告白しますので、その律法学者に話した事を私達にも言って下さいます、「あなたは、神の国から遠くない」と(12:34)。

キリストとダビデ王の関係について、イエス様はユダヤ人たちに聞きました。  「ダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか」と(12:37)。理屈に合わないのです。私達クリスチャンの理解では、ダビデ王の28世代の後にダビデの子孫として生まれた、人間であるイエス様は、永遠からの神様の子であるので、ダビデの主になります。そして、これは、イエス様の権威に対する答えになります。またサドカイ派の人々の復活と永遠の命に対する答えになります。イエス様はユダヤ人の王であるので、彼が先に私達に下さったものを彼に返します。

聖火曜日は忙しい一日でした。やもめは自分が持っていたすべてのお金を神様に寄付したように、イエス様は私達の為に命をささげました。私達は、イエス様に何を与えたでしょうか。

そして、火曜日の夕方、マルコ13章で、イエス様は世の終わりについて語ります。イエス様は綺麗な町であったエルサレムから出ました。エルサレムの町と神殿はシオンと言う山に建てられました。谷の向こうにはオリーブ山がありました。そこにイエス様と弟子達が行きました。神殿を見る所に行って座りました。神殿は大きい建物で、白いがんせきで出来て、屋根には、金のドームがありました。イエス様はエルサレムの破壊を予言しました。それはA.D.70年に現実になりました。ローマの兵隊はその神殿を完全に壊して、その綺麗な石を運んで、別の所で別の建物を作りました。勿論、その金と価値があるすべての物を奪い取りました。弟子達がパニックにならないように、忠告を与えました(13:7)。目をさまして、その時期のしるしを見る事です。地震や飢饉が起こります(13:8)。また、政治的な事をも見ます。戦争がエルサレムに来るからです。「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」(13:14)と言われました。その予言はみたされました。

また、信者達に対する迫害をも予言しました。憎まれ、逮捕され、殺されます。しかし、信仰の為に裁判に掛けられる時、その裁判は福音を述べ伝えるチャンスになります。私達は今日、そのような時代に生きています。例えば、アフリカや中東に住むクリスチャンが、キリストを信じるので殺されています。信じるのは、キリストの愛と赦しと永遠の命についての約束です。その人にも私達にも、イエス様はこのように言われました。「また、私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(13:13)。その予言はみたされました。

また満たされていない予言があります。これも私達は関心を持っています。それは世のおわりです。裁きの日、復活の日、キリストの再臨とも呼ばれます。イエス様は言われました、「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」(13:26-27)。私達が迫害を受ける時、この言葉は私達に希望を与えます。勇気を与えるのは、神様が私達を捨てないと分かるからです。それはいつになるか分かりません。しかしイエス様は世の終わりのしるしについて話しました。地上や空にもしるしがあります。それで、イエス様がそろそろ来るだろうと思います。それで、イエス様は私達に言われます、「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである」(13:33)。

私達が自分の罪を考える時、キリストの再臨を恐れるかも知れませんが、信仰があるので、準備が出来ています。準備しているのは、キリストがもう既に来られたからです。それはクリスマスの話し、受難週の話しとイースターの話です。 聖餐式でイエス様が、今もう既に私達と共にいる事を記念します。そして受難週の最初の日、しゅろの日曜日に、エルサレムに入城した、イエス様を迎え入れた人々の賛美を歌います。「ホサナ。主のみ名によりて来たるものに めぐみあれ いと高きところにホサナ。」

アーメン。


聖火曜日マルコ 11:20〜13:37

かれたいちじくの木の教訓
11:20 翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。 11:21 そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」 11:22 そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。 11:23 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。 11:24 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。 11:25 また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」 11:26 *もし赦さないなら、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちをお赦しにならない。

権威についての問答
11:27 一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、 11:28 言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」 11:29 イエスは言われた。「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。 11:30 ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」 11:31 彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。 11:32 しかし、『人からのものだ』と言えば……。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。 11:33 そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」

「ぶどう園と農夫」のたとえ
12:1 イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。 12:2 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。 12:3 だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。 12:4 そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。 12:5 更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。 12:6 まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。 12:7 農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』 12:8 そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。 12:9 さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。 12:10 聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。 『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。 12:11 これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える.』」 12:12 彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。

皇帝への税金
12:13 さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。 12:14 彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」 12:15 イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」 12:16 彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、 12:17 イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。

復活についての問答
12:18 復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。 12:19 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。 12:20 ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。 12:21 次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。 12:22 こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。 12:23 復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」 12:24 イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。 12:25 死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。 12:26 死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。 12:27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」

最も重要な掟
12:28 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 12:29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 12:30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」 12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。 12:33 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」 12:34 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

ダビデの子についての問答
12:35 イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。 12:36 ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』 12:37 このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。 12:38 イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、 12:39 会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、 12:40 また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」

やもめの献金
12:41 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。 12:42 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。 12:43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 12:44 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

神殿の崩壊を予告する
13:1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」 13:2 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

終末の徴
13:3 イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。 13:4 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」 13:5 イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 13:6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。 13:7 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 13:8 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。 13:9 あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。 13:10 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。 13:11 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。 13:12 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。 13:13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」

大きな苦難を予告する
13:14 「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。 13:15 屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。 13:16 畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。 13:17 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。 13:18 このことが冬に起こらないように、祈りなさい。 13:19 それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。 13:20 主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。 13:21 そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。 13:22 偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。 13:23 だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」

人の子が来る
13:24 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、 13:25 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。 13:26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 13:27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

いちじくの木の教え
13:28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。 13:29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。 13:30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。 13:31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

目を覚ましていなさい
13:32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。 13:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。 13:34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。 13:35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。 13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。 13:37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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