2007年7月29日
ペンテコステ第9主日
ルカ11:1ー13
ルカ11:9ー10 求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
どんなに大きな音を出してたたいたら、神様はその門を開けて下さるでしょうか。何回その門に戻って、たたいて、たたいて、たたかなければならないでしょうか。この質問は、長い間、神様に祈って、答えを見つけることが出来ない人のことです。「神様、お願い、門を開けて下さい。」電話をかける時、相手が電話を取るように、「速く電話に出なさい。君がいると分かります。電話を取って下さい。」「神様、あなたがいるとわかります。電話を取って、門を開いて、私の祈りを聞いて下さい。」と。神様は永遠の者ですが、私達はそうではないので、自分の願いを速くきいてもらいたいと思います。そうしないと、いらいらします。もちろん、神様の答えが嫌いなので、その答えを受け入れたくないかも知れません。「主よ、一億円を下さい。」神様は「いいえ」と答えるかも知れません。イエス様は、良いお父さんのように、子供が魚が欲しい時、蛇を与えないでしょう。又、子供がさそりを求めても、さそりを与えないでしょう。子供が自分のお父さんを信頼するように、私達も天の父なる神様を信頼しなければなりません。
本当の問題とは、私達は門をたたいていますが、神様が答えて下さらなという事ではありません。イエス様は、神様が私たちの祈りに答えますと約束してくださいました。私達はそれを信頼します。自分の信仰の経験から、神様が答えて下さると分かります。本当の問題とは、私達がたたかない事です。その理由が沢山あります。先ず、神様が私の事に対して関心を持ってないと思う事があります。又、神様に頼まなくても同じですので、自分でがんばろうと思います。又、神様が私達に欲しものを下さらないと思うから、祈らない事もあります。又、神様には私達を助ける力が無いと思う事もあります。又、祈りについやす時間がもったいないと思う人がいます。祈りよりも、働きましょう。祈りよりも、汗を出す事です。このような考え方全部は、間違っている信仰や弱い信仰からきます。これを乗り越える為に、祈りに答えると約束した神様を信頼する事のみです。
もっと大変な状態とは、神様の門をたたかないのは、その門がどこにあるかわからないからです。と言うのは、人々はイエス様の事を知らないからです、それで、祈りの中でイエス様の御名を呼ぶ事が出来ません。キリスト信者でない人々がそうです。ですから、私達は彼らにイエス様の門への道を教えなければなりません。イエス様は言われました、「探しなさい。そうすれば、見つかる。」日本では、教会に来る新しい人々を「求道者」と呼びます。この求道者はイエス様とその救いを探しています。聖書を学んでイエス様を探します。そして、聖霊は信仰と導きを与え、洗礼の水まで案内します。「探しなさい。そうすれば、見つかる。」次に、門をたたけば、開かれるのです。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。」何を求めたら良いか私達にわからないかも知りません。では、何でも、好きなものを求めましょう。良いかどうか分からなくても、信仰を持って求めましょう。神様は、私たちが願うものより良い物を下さるかも知れません。欲張りでも、馬鹿馬鹿しくても、求めてみましょう。それが良くないと、神様は「いいえ」と言われるでしょう。頼みましょう、そして、「御心のままに行ってください。」と言いましょう。イエス様でさえも、ご自分が祈ったもの全をいただきませんでした。ある時、汗が血の滴るように地面に落ちたほど一生懸命に祈っても、父なる神様はイエス様の祈りを聞きましたが、イエス様が祈られた通りになさいませんでした。ゲツセマネの園で、苦しみを受けて十字架上で死なないように祈りました。このように祈りました、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」イエス様は父の御心が分かりました。永遠からの神様のご計画とは、私達人間を救う事でした。ですから、私達の罪を赦す為にイエス様が十字架上で死にました。そして、3日目に甦りました。イエス様が復活したのは、国と力と栄えとが、彼のものになるためです。天国に昇天されましたので、国と力と栄えがあります。そして、天国から、私達の祈りを聞き、私達の悲しみも喜びも見ていて下さいます。私達の愛も、惜oshiしみも分かります。私達が願う前から、もう既に私達の願いを知ります。
「もし神様がもう既に、私達が願う前に私達の祈りを知りましたら、祈らなくて良いでしょう」と思う人がいます。私達が祈るのは、神様が私達の欲しいものが分かるからです、それで、私達の祈りは賛美と感謝になります。私達の祈りは私達の信仰を現します。神様には、国と力と栄えがあると言う信仰です。そして、「御心になりますうに」と祈りますと、私達の心は、完全に神様を信頼する事です。
どのように祈りましょうか。何の為に祈りましょうか。主の祈りはすばらしいガイドです。イエス様が教えた祈りであるので、確信を持って、その祈りのものの為に祈る事が出来ます。正しく主の祈りを祈ったら、少なくても5分かかるでしょう。今日の必要な糧をリストアップしたら、赦してもらいたい罪をリストアップしたら、他の人を赦さなければならない罪を考えましたら、時間かかるでしょう。
いつも絶えずに祈りましょう。求めましょう。探しましょう。いつも、音高く神様の門をたたきましょう。門を開いて私達に答えてくださいます。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会