互いに愛し合いなさい

2010年5月2日、復活最後第四主日

ヨハネ13:34−35

34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

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イエス様は言われました、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。」

イエス様がこの新しい掟を話した時は最後の晩餐の時で、かれは弟子達と一緒でした。イエス様は私達にも話します。私達も信者だからです。クリスチャンの交わりとして、私達もお互いに愛し合う事を望みます。イエス様が話しているのは、敵や全然知らない人を愛するようと話していません。むしろ私たちがもう既に知っている人、もう既に心から愛する人を愛するように話します。これは当たり前の事ようです。私はあなたを愛して、あなたは私を愛して、そして私は更にあなたを愛します。このようにしてその愛が増えます。義務ではないし、愛の得点が幾らか数えないので、今度誰が愛のおかえしをする番でしょうかなどと考えません。その愛は瞬間的生まれるか、または時間がかかるでしょうか。喜んでするものや、そうしたくない時もあるでしょうが、愛があるのでします。

A

「互いに愛し合う」事は何でしょうか。先ず最初に、お互いに親切で尊重しあい、助けます。勿論。しかしイエス様は異なった方法で愛を計ります。それは『隣人を自分のように愛しなさい。』ではなくて、『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』です。ですから、この愛を自分の弱い愛によって、罪深い自分の能力によって計らないで、むしろイエス様の愛によって計ります。『わたしがあなたがたを愛したように』とイエス様は言われました。どのようイエス様が私達を愛して下さったでしょうか。先ず、イエス様は人々に神の国について話しました。私達は他の人にイエス様について話す時、私達はその人が永遠の命に入ることを祈り、その人に愛を表します。次にイエス様は人々に愛を表して、人を癒したり甦らせたりしました。私達はその愛を表して、苦しんでいる人を助けます。私たちには人を甦らせる力がありませんが、自分の限られている力を使って、人がより良い人生を送るように助けます。例えば赤十字に寄付します。三番目に、イエス様は私達の罪を赦す為に十字架上で死んだ時、その愛を表して下さいました。ですから、私達がイエス様と同じように他の人を愛する時、[A]心からその人を赦しますと[B]私達は他の人の為に死にます。

B

それは最高の愛です。最後の晩餐の時、イエス様は再びその愛の掟を話しました。このように言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ 15: 12-13). これは最高の愛です:即ち、お互いに相手の為に死ぬ事です。相手に自分の命を与えます。相手が生きる為に自分が死にます。相手が生きる為に自分が生きるのです。他の人の為に死んで生きている事によって、私達は本当に生きるのです。何故ならば同時に、相手はあなたの為に死んで生きるのです。彼らは私達に新しい命を与えます。何故でしょうか。それはイエス様が私達を愛する方法だからです。イエス様が死んで甦ったのは、私達が完全に生きる事が出来る為です。イエス様は言われました。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10:10)。

C

この新しい愛の戒めは、完全に守る事が不可能な、もう一つの律法になりますか。はっきりと言いますと、私達はいつも心を尽くして神様を愛さない、いつも隣人を自分自身のように愛さない、敵を愛さないでしょう。ですから教会の中で、お互いに親切にし、お互いに愛し合う事が出来るでしょうか。愛する力はどこにあるでしょうか。この力はイエス様の中にあります。今日の福音書でこのように読みました、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」しかし、この言葉をこのように翻訳しても良いです。即ち、≪私があなたがたを愛した理由とは、あなたがたがお互いに愛し合う事が出来る為です。≫神様の愛は、私達が愛する事が出来る力を与えます。ですから、これはただの守る事が出来ない掟ではありません。愛する力です。私達が愛する事が出来る為にイエス様は私達を愛しました。

D

イエス様は言われました、『互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。』愛はキリスト信者のしるしです。それは、愛がイエス様のしるしであるからです。今日、この説教の中ではどのように私達が、沖縄ルーテル教会としてお互いに愛し合うべきかについて話さなくても良いでしょう。しかし、それについて祈ったり、役員会で話したり、交わり会の時これについて話したり、生かしたりします。聖餐式の時、この愛をお祝いします。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会


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