誘惑されている時、約束を思い出します
2009年3月1日、 受難節第一主日
マルコ1:12−13(9-15)
1:12 それからすぐに、御霊がイエスを荒野に追いやった。1:13 イエスは四十日のあいだ荒野にいて、サタンの試みにあわれた。そして獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた。
創世記9:8−17
9:8 神はノアおよび共にいる子らに言われた、9:9 「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。9:10 またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。9:11 わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。9:12 さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。9:13 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。9:14 わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。9:15 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。9:16 にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。9:17 そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。
誘惑されている時、約束を思い出します
毎年、受難節の最初の日曜日の福音書の日課は、イエス様の荒れ野での誘惑です。イエス様は40日間荒れ野にいました。断食しました。サタンによって誘惑されました。その誘惑はイエス様が神の子でありながら、父なる神様の信頼をこわすようにというサタンの試みでした。自分を救う為に苦しみと死を捨てるようにという誘惑でした。しかしイエス様がそれをしましたら、私たち人間の救い主になりません。ですから普通この日の説教とは、どのように私達がイエス様と同じように、私達の信仰をこわす誘惑に抵抗する事が出来かです。
しかし今日の旧約聖書の日課は、創世記9章であると見た時、非常に面白いと思いました。その話しは大洪水の後に、再び全世界を洪水によって、この世を滅ぼされることはないように、神様はご自分と契約を立てられます。その契約はモーセとすべての創造物に対するものです。そして、その約束のしるしとして、神様は空に虹を置きました。創世記9:16-17でこのように言われました、「虹が雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。9:17 そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである。」
どうして受難節第一主日の為に、このノアと洪水の話が選ばれているかと不思議に思いました。もしかしたら、雨が四十日四十夜地上に降り続いた(創世記7:12)と同じようにイエス様も四十日間、昼も夜も断食したからでしょうか(マタイ4:2)。ここに断食との関係はありません。すべての動物が十分食べる為に箱舟に食物を入れたからです(Gen.6:21)。残るのは誘惑のテーマです。試みられたのはだれでしょうか。先ずノアでした。聖書の中では、誘惑と言う言葉には、テストする意味がよくあります。ノアが神様の命令を果たすかどうかテストされました。ノアの回りにいた人々が、確かにノアを馬鹿にしたでしょう。ノアは来るべき滅びを警告しましたが、彼らは彼を無視しました。そして、そのきょだいな浮く事だけが出来る箱を作って、動物とその食物を準備する大変な仕事がありました。しかし、その働きを止める誘惑があっても、ノアはその誘惑に抵抗して、箱舟を作る事を終えました。そして40日間の雨が来ました。150日間、海の上をさ迷いました。しかしノアは絶望の誘惑に落ちいりませんでした。
創世記6:9によりますと、ノアは「神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」のですが、その反対に、地上の上にある数え切れない人々は、誘惑に陥りました。
創世記6:5-8はこのように説明します。
6:5 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、6:6 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。6:7 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」6:8 しかし、ノアは主の好意を得た。
主なる神様は地上の悪を見ました。それで世界を滅ぼして、ノアとノアの家族で新しい世界を作ろうと思いました。神様は御自分の創造された世を愛しました。それで悲しんで、悪のあまりのひどさに心が苦しいほど痛いでした。そして、この世を滅ぼす事も神様の心を悲しませ、苦しめたでしょう。再び決してしたくないほど苦しいでしょう。神様は硬い約束を立て、再び洪水によって世界を滅ぼさないように契約を立てました。そして、その契約のしるしとは虹です。その虹は神様のサインのようで、神様のハンコのようです。全世界の創造物との契約にそのサインが必要でした。何故ならば、この世を滅ぼす誘惑が何回も何回も何回も神様にあったと思うからです。もしその約束を立てなければ、神様は確かにこの世界を滅ぼしたでしょう。脅しもって、地域的に小さな所を清めた事があります。ソドムとゴモラの悪の為に、その2つの町を滅ぼしました。出エジプトの後に、不信仰なイスラエルの人々を、彼らの悪の為に滅ぼそうと神様が思いましたが、モーセは神様に、神様の約束を思い出させました。500年後イスラエルの北の王国が遇像礼拝に陥った時、神様はその国を滅ぼしました。そしてエルサレムも、不信仰の為に滅ぼしました。実は神様は、全世界を罪の為に滅ぼすべきでしょう。大洪水の後の人間は、すぐ大洪水の前の人間と同じ程度 罪深かったでしょう。現在も同じように罪深いでしょう。人間的に言いますと、神様は何回もこの世を滅ぼすように試みられたでしょう。
しかし神様は御自分の約束を忘れませんでした。世界を滅ぼすよりも、救い主を送りました。今度ノア時代のような箱舟ではありません。イエス様は十字架上でこの世の罪の為に溺れてしまいました。私達も洗礼の水によって溺れます。しかしイエス様と共に死ぬので、イエス様と共に生きかえります。バプテスマの水によって清められています。十字架は私達の箱舟です。十字架は誘惑や罪や死がある時、私達の救いです。
私達には誘惑が来ます。私達の神様への信仰を試みます。私達は神様の愛を疑います。神様は本当に自分を赦して下さるか疑います。自分が天国に行けるかどうか心配します。神様が自分に力と健康と愛を下さるかどうか考えます。しかし神様の約束について、決して心配して疑う必要がありません。神様は素晴らしい約束のしるしを下さいました。そのしるしとは、虹を始め、十字架も、空っぽのお墓も、そして洗礼を受ける時に私達の額に書かれた十字架です。それで洗礼は私達を救い出す洪水になります。そして、私達の愛する人もその神様の愛と憐れみと救いの箱舟に乗っています。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会