棕櫚の日曜日、2015年3月22日
ピラトはイエス様に有名な質問をしました。「真理とは何か。」(ヨハネ18:38.)
ピラトはその日の裁判官でした。 ナザレのイエスと言う人のケースの真理について決断しなければなりませんでした。イエス様は社会的な革命家(かくめいか)でしょうか?政治的な反乱者(はんらんしゃ)でしょうか。偽の王か?ローマ帝国に対する反逆者(はんぎゃくしゃ)でしょうか。
又は、イエス様は無罪でしょうか。ねたみの為だけに、ユダヤ人に告発されたでしょうか。
実はピラトは、イエス様についての真理を全部知りませんでした。
イエス様は本当にユダヤ人の王でした。
しかし、同時に全世界の王でした。宇宙の王です!
ピラトはイエス様を死刑すべきではないと思いました。しかし、それは真理ではありません。真理とは、イエス様が御自分の上に、世界の罪を取りました。それで、イエス様は世の罪の為に死なければなりません。それが真理です。
ピラトは裁判官ですが、この福音書の記録を読むたびに、私達も裁判官になります。私達もイエス様に聞きます。「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問(じんもん)します。
私達も聞かなければならないのは、「真理とは何か」と。
どのように決めるでしょうか、どのような判決を与えるでしょうか。
先ず、その裁判の所に立つのは、誰でしょうか。イエス様だけではありません。私達も裁かれています。私達もピラトの前に立つべきです。私達が死刑されるべき罪を犯したでしょうか。それとも、ただ鞭に打たれて、又は、罰金ですむでしょうか。
イエス様は御自分の上に私達の罪を取ります。私達の代わりに鞭で打たれました。侮辱(ぶじょく)されて、唾(つば)を吐(は)きかけられた時、それは私達の為でした。
私達の代わりでした。
もしあなたがピラトでしたら、あなたはイエス様を十字架上で死刑を宣告しますか。
するべきです。ご自分の上に世の罪があったので、死刑はふさわしいでした。
それは真理です。
ピラトはその真理を見ませんでした。イエス様が本当にユダヤ人の王であると見ませんでした。十字架に札を付けました。その罪状書きには「ユダヤ人の王」と書いてありました。
ピラトはそれが冗談(じょうだん)だと思いましたが、本当の真理でした!
真理は何ですか。本当の事は何でしょうか。あなたは分かりますか。信仰があるので、あなたは知ります。イエス様についての真理を知ります。イエス様は本当にユダヤ人の王であると分かります。又ユダヤ人の救い主であり、世界の王、世界の救い主、自分の救い主であります。
真理は何ですか。それは、私達の罪の罰を受ける為に、イエス様が十字架上で死にました。それで私達の罪が赦されています。イエス様は三日目に甦りました。それで私達には神様との平和があります。イエス様が死んで復活しました。私達もします。
それは真理です。そして、聖書の「真理」と言う言葉は、「アーメン」です。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会