フィリポとエチオピア人の高官、
「読んでいることがお分かりになりますか」
2006年5月14日
復活後第4主日、母の日
使徒8:26―40
さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、 帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。
フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
彼が朗読していた聖書の個所はこれである。
「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」
宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」
そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 *フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。
フィリポとエチオピア人の高官、
「読んでいることがお分かりになりますか」
「読んでいることがお分かりになりますか」
とフィリポはエチオピア人の宦官に聞きました。エルサレムに礼拝に来て、帰る途中彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していたのです。「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言いました。馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼みました。フィリポはその箇所から始め、イエス様についての福音を延べ伝えました。聖書を理解するカギとは、イエス様でした。宦官の心が開かれて、イエス様を自分の救い主として信じました。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」と言いました。フィリポは宦官に洗礼を授けました。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去ったので、宦官はもはやフィリポの姿を見なかったのですが、喜びにあふれて旅を続けたのです。喜びがあったのは、彼は聖書を理解する事が出来たからです。イエス様は神の子であり、神の小羊であり、救い主であると分かったからです。多くの人々は、聖書が分かりにくいと思います。実際には、その背景が分からないと分かりにくい多くの箇所があります。例えば、旧約聖書の半分ぐらいはイスラエルの歴史です。その時代の地理、政治、経済、習慣、宗教などが分からないと、今の世界の出来事を理解する事より難しいでしょう。それで、「フィリポ」が必要です。聖書を説明する本や聖書研究のクラスが必要です。このようにして、聖書はもっと面白くなります。しかし、それだけでは足りません。
馬車に乗っている人は、エチオピアの国の政治家でした。エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官でしたので、経済と政治と歴史がよく分かる人でした。しかし、預言者イザヤ書の大切な箇所を理解する事が出来ませんでした。実は、彼の質問でしたら、ユダヤ人の聖書学者達にも答えられないものでした。フィリポに聞きました、
「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」フィリポは答えが分かりました。イザヤはイエス様について話しているからです。イエス様は、十字架上で死んだ神の子羊でした。又、世の罪を赦す為に、喜んで犠牲になりました。フィリポは、多くの聖書の箇所を理解する方法はイエス様であると説明しました。イエス様は神様の約束の成就です。それで、宦官がようやく理解したのは、預言者が宦官の自分に語っている事です。イエス様についてのメッセージは、旧約聖書でしても、新約聖書でしても、自分のためのメッセージであると分かってきました。イエス様は、宦官の自分の為に苦しみを受けて死んで下さった事が分かりました。宦官の自分の罪は、イエス様の恥を受ける理由でした。
毛を刈る者の前で黙している小羊のようにイエス様は口を開かないで、彼の為に苦しみを受けました。それで、自分の信仰を告白して言いました、「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」それで洗礼を受けました。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去ったので、宦官はもはやフィリポの姿を見なかったのですが、喜びにあふれて旅を続けたのです。エチオピアの国に帰りますと、その国の中で福音を延べ伝えました。現在のエチオピアの教会のルーツは、彼の働きによります。私達も、聖書のカギを理解しますと、「喜びにあふれて旅を続ける」事が出来ます。喜びの人生になります。なぜならば、イエス様の死と復活によって、自分の罪が赦されていると分かるからです。イエス様は、聖書を理解するカギです。旧約聖書の中では、ユダヤ人にとってなぞなぞにしか見えなかった箇所でも、私達はイエス様と聖霊の働きを見ます。未信者がただのチャンスや運だけを見る所では、私達は自分の人生の中でのイエス様の働きを見ます。他の人が進化論や大混沌を見る所では、私達は神様の創造の働きを見ます。自分の人生の目的を見たり、天国の永遠の命の自分の将来を見たりします。
しかし、私達にはフィリポはまだ必要です。
「読んでいることがお分かりになりますか。」私達は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と答えます。ある所は、小さい子供でも分かりやすい所があります、例えば、良い羊飼いであるイエス様です。ある所は難しいです、例えば、神の子羊であるイエス様です。ですから、聖書の勉強や説教やクリスチャンとの交わりが大切です。私達の人生の為に、聖書が説明されています。又、私達の愛する人々のためにも説明されています。私達にはフィリポはまだ必要ですが、ある時、私達はフィリポのようになります。ほかの人に聞きます、
「読んでいることがお分かりになりますか。」「自分の人生の中で起こっている事がお分かりになりますか。人生とは何であるか分かりますか。イエス様について話しましょう。イエス様があなたを愛している事が分かりますか。」福音をたの人に話さなければ、その人は福音を理解する事が出来ません。いつか、フィリポと同じように、聖霊はあなたをどこかで誰かに話す為に送るかもしれません。その時、馬車の中の旅行を楽しんで下さい。福音を話す事を楽しんでください。その後、二人共喜びにあふれて旅を続けるでしょう。最後に、今日は母の日です。私達の母はフィリポのようでしょう。即ち、お母さんは子供に聞きます、
「読んでいることが分かりますか。」「人生とは何であるか分かりますか。イエス様について話しましょう。私も、イエス様もあなたを愛しています。」このようにして、家庭での馬車での旅は楽しくなります。そして、母と共に、喜びにあふれて人生の旅を続けます。アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会
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