古里の預言者

2009年7月5日、聖霊降臨後第5主日 

マルコ 6:1-13、エゼキエル書 2:1-5

エゼキエル2:1
彼(主)はわたしに言われた。「人の子よ、自分の足で立て。わたしはあなたに命じる。」2:2 彼がわたしに語り始めたとき、霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた。2:3 主は言われた。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。2:4 恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。2:5 彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。

マルコ 6:1-7
6:1 イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。6:2 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。6:3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。6:4 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。6:5 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。6:6 そして、人々の不信仰に驚かれた。
6:7 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。

昨日はアメリカの独立記念日でした。沖縄に住む多くのアメリカ人はホームシックになり、自分の国にいれたらなーと感じたでしょう。と同時に、ある沖縄の人は「ヤンキー、ゴーホーム」と感じ、アメリカ人が自分の国に帰って欲しいと感じたでしょう。しかし自分の町に帰っても、もしその古里の人々があなたを受け入れなければ、どうでしょうか。イエス様には、そのような経験がありました。今日の福音書4節、「6:4 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。 預言者は尊敬されていますが、自分の家族や自分の民がその予言者を受け入れません。それなのにイエス様は自分の家族や自分の故郷の人々に福音を述べ伝えなければなりませんでした。それは彼に与えられたミッションでした。すべての人に良い知らせを伝えるためです。旧約聖書の預言者エゼキエルにも同じミッションがありました。自分の民、イスラエルに神の御言葉を述べ伝えるように、主なる神様によって送りだされました。しかし主はエゼキエルに警告しました。その人々が反抗的で、石頭で、頑固な人です。その民がエゼキエルの言葉を聞かないだろうと警告しました。それなのに、その神様の御言葉を聞かなくても、それを述べ伝えなければなりませんでした。

エゼキエルでしても、イエス様でしても、私達でしても、預言者は何を話すべきでしょうか。その話すべき神様の御言葉は何でしょうか。エゼキエルが最初に語った言葉はイエス様の言葉に似ていて、それは私達の最初の言葉でもあります。イエス様の最初の公の言葉はマルコ1:15です。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と。

エゼキエルが、バビロンの捕囚となっている自分の国の民、イスラエル人の所に送られました。イエス様は約束の地に住むイスラエル人の所に送られました。私達も、多分自分の国の人に、自分の家族に、このグローバルな世界的な家族に送られています。私達のメッセージも同じです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と。言い換えますと、まず私達は神様の存在を述べ伝え、そして神様の愛、神様が私達を助ける為に私たちの近くにおられる事、そして神様が私達の人生を導く事を述べ伝えます。私達は御国の良い国民として、すべての道徳、倫理、霊的な良い業を与えられています。悔い改めとは、自分の失敗を認めて、自分の人生を変えたいと思う事です。そして福音を信じることとは、赦しと清めと新しい人生を送る力です。

毎年7月4日になりますと、アメリカ人は自分の国を愛する事、愛国心についてよく話します。現在の日本人はあまりその理想について話しませんが、日本中どこに行っても、人々には自分の県や自分の古里に対するプライドがあります。自分の国を愛する事が大切です。イエス様は「隣人を愛しなさい」と言われました。それに含まれているのは、自分の国や町を愛して奉仕する事です。自分が預言者ではなくても、自分の国や社会の中には悔い改める必要性があると見ます。私達の愛する故郷や国は完全ではありません。その罪をリストアップする必要があるでしょうか。例えば、暴力、欲張り、強盗、性的暴力、酒酔い運転、自己中心的な行動などなど。私達の国や故郷の人々には悔い改めて変わる必要があります。ですから私達は、彼らに対する神様の声になる必要があります。道徳的,倫理的,そして霊的模範の為の声です。誠実さ、正直と正義の為の声です。

聖書が教えるのは、神様はこの世を愛して下さったので、御自分の一人の子を送られたと言うことです。ヨハネ3:16「3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」イエス様は罪に対する裁きを、御自分の国の人達に話しました。しかし聞く耳のある人には神様の愛も話しました。そしてイエス様はその罪の結果をも彼らに見せました。十字架上で死にました。又イエス様は悔い改めと信仰の結果も見せました。3日目に甦りました。

イエス様がこの世を愛して下さったので弟子達を全世界に送られたと、聖書は語ります。彼等はイエス様が語られたと同じ、簡単なメッセージを述べ伝えました。マルコ1:15、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と。神の国は今のこの時代の国々にも来ました。王国にも、民衆主義の国にも、独裁者のいる国にも来ました。

私達もその悔い改めと信仰への言葉を聞きました。イエス様の死と復活によって自分の罪が赦されていると知っています。神の国が私達の心に来ました。ですから、私達はこの世の国々の為に祈ります。世界平和のために祈ります。愛とお互いの理解の為に祈ります。正義の為に祈ります。経済や政治上の安定の為にも祈ります。同時にこの世の人々が、誠の人生の平和の源を知るように祈ります。即ちイエス様の愛を知るように祈ります。その時、私達はただの社会的な改革者よりも、預言者になります。これは隣人に対する本当の愛です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド
沖縄ルーテル教会牧師


説教のリスト