ローマの信徒への手紙:
「正しい者は信仰によって生きる」

2008年5月25日
ローマ1:17

ローマ1:16−17
16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

今から9月まで、毎週の使徒書の日課は、聖パウロが書いたローマの信徒への手紙からです。それで、この夏、この手紙と親しくなりましょう。毎週の説教は先ず、短い聖書研究から始まり、そして、「これはどんな意味ですか」で終わります。

ローマの信徒への手紙は、聖パウロによって書かれています。彼は、まだその町に行った事がありませんが、いつかその町とそのキリスト教会の信者達に会いたいと思いました。ローマにも福音を述べ伝えたいと思いました。パウロには、ユダヤ人ではない異邦人にたいする福音宣教の働きが与えられていました。多くの所にしたと同じように、ローマ帝国の都でも説教したいと思いました。このローマへの手紙は、パウロがローマに来る前にローマに住む人々へのメッセージです。今日の使徒書は、聖パウロの教えの要約です。ローマ1:16−17。16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

「正しい者は信仰によって生きる。」この文には、ローマ信徒への手紙の中でよく使われている3つの言葉があります:「正しい者、信仰、生きる事」です。これを説明する為に、パウロは長い16章もの手紙を書きましたので、3つぐらいの段落(だんらく)があり、一つの説教で説明する事は到底(とうてい)無理でしょう。ですから、今日、その序文(じょぶん)をします。

正しい人の反対とは、神を知らない、悪を行なう、神様の怒りを受けるべき罪人です。正しい人は正しい事をする人ですが、すべての人々は罪人であるので、罪を犯さない人が一人もいないので、完全に正しく生きる事によって正しくなる人がいません。ですから、イエス・キリストの福音とは、この正しさは、人の行ないによってではなくて、イエス・キリストの行ないによってきます。これは、赦しと呼ばれています。それで、「正しい人」を違う方法で定義します、即ち、神様との正しい関係を持つ事です。パウロは後でこの事について話して、ユダヤ人と神様の関係について話します。異邦人にも神様との正しい関係を持つ事が出来ると話します。何故ならば、神様との関係が正しくなければ、救われていないので、生きる事が出来ません。(ところで、口語訳聖書には「正しい人」を、「義人」と言います:「信仰による義人は生きる」と。)

日本語の文法はあいまいですが、ギリシャ語では、この文法は未来系です。「正しい者は信仰によって生きる。」それは、天国での未来の永遠の命の事でしょうか、それとも、地上でイエス様を自分の救い主として信じた後で、神様との正しい関係で生き始める事でしょうか。勿論その両方です。永遠の命への約束ですし、今も既にその命をいきる生き方です。生きる為に、どの力があるでしょうか。どの導きがあるでしょうか。振る舞いの程度は何でしょうか。私達の人生は信仰によって導かれています。

今朝(けさ)時間が足りないので、この表現の深さを探る(さぐる)事が出来ません。信仰とは何ですか、信じる事とはなんですか。そして、その「によって」と言う言葉は何を意味するでしょうか。「信仰による、信仰の為に、信仰で、信仰と共に、信仰があるからなどです。」そして、信仰とは、忠実とも意味する事が出来ます。即ち、忠実、信頼、約束を守る事です。それはだれの信仰でしょうか。 即ち、私達の忠実さかそれともイエス・キリストによって約束を守る神様の信仰でしょうか。口語訳聖書の翻訳はちょっと違います。「信仰による義人は生きる。」それで、信仰が私達を正しくするか、それとも、信仰が私達に命を与えるのでしょうか。それとも、この両方でしょうか。この両方でしょう。信仰によって正しくなった私達が信仰によって生きるからです。私達は神様に対して忠実ですが、なお更に、神様はご自分の約束にたいして忠実です。

小教理問答書には、マルチン・ルターはいつも聞きます、「これはどんな意味ですか」と。同じように聞きましょう。正しい者は信仰によって生きる」事はどんな意味ですか」と。私達は生きていると意味します。この世の悪が私達を攻撃する時、私達の罪が私達の良心を食い尽くす時、病気やけがや弱さが私達を攻撃する時、私達はこの神様の約束に頼ります。正しい者は信仰によって生きる。この世は正しくない、正義がないと感じる時、神様の約束は正しいと信頼します。決断しなければならない時、家庭で、仕事で、ビジネスで、道徳で、将来のことを決める時、信仰によって生きる事が出来ると言う信仰があります。この確信があるので、キリスト信者はすべての心配を乗り越える事が出来ます。即ち、私達は、十字架上で死んだキリストと共に生きます。甦られたキリストと共に生きます。再び来られるキリストと共に生きます。

今週の暗唱聖句をローマ1:17にしましょう。正しい者は信仰によって生きる。今週、この生き方で生きましょう。主なる神様との正しい関係を持って、神様の約束を信じる信仰によって生きましょう。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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