使徒パウロの弟子になりたい

聖霊降臨後弟3主日、2013年6月9日


ガラテヤ1:11−24
1:11 兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。 1:12 わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。 1:13 あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。 1:14 また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。 1:15 しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、 1:16 御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、 1:17 また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。 1:18 それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、 1:19 ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。 1:20 わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。 1:21 その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。 1:22 キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。 1:23 ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、 1:24 わたしのことで神をほめたたえておりました。

使徒パウロの弟子になりたいと思います。もし聖パウロが今日生きていましたら、彼の生徒になりたいと思います。先生の足下で学んで、教室の一番前の机に座って、クリスチャンの人生の生き方、いや、すべての人生の生き方を学びます。私がパウロを選ぶのは、彼が信仰の英雄ヒーローだからです。彼は私に希望と元気を与えるでしょう。彼の事をよく説明する聖書の箇所はガラテヤ1:23でしょう。「かつて我々を迫害した者が、あの当時 滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」。彼の心の中で、聖霊は彼の人生を完全に変え、信仰の奇跡を行いました。

パウロが生まれたのは、キリキア州のタルソス市で、そして、エルサレムでラビ・ガマリエル先生のもとで律法や先祖の言い伝えについて、厳しい教育を受けました。生徒達の一番すぐれている生徒でしたし、熱心に神に仕えていました(使徒22:3)。今日の考え方でしたら、ユダヤ教の厳しい正当派の人でしょう、パリサイ派だからです。彼はすごく熱心で、最初のキリスト教の殉教者ステファノが石投げで殺された時、彼はその場にいました。自分自身は石を投げなかったのですが、石を投げた人々の上着をあずかったので、自分はその殺害に賛成していたのです(使徒7:58-8:1)。その後、パウロはキリスト信者を迫害しました。その人々を引き出してろうに送る権威を得ました(使徒8:3)。「狂信者」「頑固な宗教的な差別をする人」と言う言葉が適当かどうか分かりませんが、それに近いでしょう。

そして、パウロはクリスチャンになりました。以前彼が憎んでいたものになりました。雷の稲光のように、神様は天から光の中の幻を送りました。大きな電気ショックのようで、思いと、心と魂の磁極が逆になったみたいです。新しい人間になりました。最初の内には、クリスチャン達は彼を信頼しませんでした。豹は自分の斑点を変える事が出来るでしょうか?信者達はパウロが教会の交わりの中にひそかに入るトリックだろうと思いました。彼を信頼する事が出来るまで時間がかかりました、そして、最後にこのように言う事が出来ました、「かつて我々を迫害した者が、あの当時 滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」。

人が自分の考え方や生活ぶりを変える事が非常にむずかしいです。タバコを止めよう、お酒や麻薬を止めようと思う人、又、ダイエットをしよう、運動しよう、自分の人生を整理したいと思う人は、人生を変える事がどんなにむずかしいか分かります。自分の考え方を変える事もむずかしいです。 差別やいろいろの頑固な思いは心に深く彫り込まれていますので、それを消す事は不可能に近いです。私達には自分の経験があるので、誰かが生活を変えたと言いましたら、私達は疑います。人が本当にタバコを止める事やダイエットを続ける事が出来るでしょうか。又、新しい趣味を始めた人が止めるだろう、どのぐらい続くだろうかと思います。信頼することが出来ない者とは、政治の党を変える人、哲学的な考えを変える人(例えば、共産主義から資本主義に変える人)や宗教や宗派を変える人です。何故ならば、根本的な過激的なチェンジのために、過激的な刺激が必要だからです。例えば、医者が言う健康への警告、警察や親に対するおそれ、より良い世界の幻、稲光、地獄の恐れや、聖霊の働きです。

聖パウロは、ガラテヤの人々に、自分の心や人生の中のチェンジが聖霊の働きだったと説明しました。彼らはその話をもう既に知りました。聖パウロは彼らの間で宣教の働きをしたからです。しかし、パウロは彼らにその事を思い起こさせました。パウロは厳しくて真面目なユダヤ人でした、それは神様のご計画でした。何故ならば、ガラテヤ1:15,「私を母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子を私に示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた。」ダマスコへの道の途中で、イエス・キリストの特別な啓示を受けました。神様は彼に特別な宣教の働きを与えました、即ち、ユダヤ人ではない人々、異邦人の中で福音を述べ伝える事でした。この福音のメッセージは自分の考えではないし、ペテロや他の弟子から習ったものでもありませんでした。この福音のメッセージは聖霊からの啓示でした。来週から、このメッセージの内容を詳しく見ますが、全部イエス・キリストに基づいています。

若い時から、聖パウロは聖書やその伝統的な解釈を学びました。 確かに、聖書の大きな部分を暗記したでしょう。彼は専門家でした。ユダヤ教で大満足でした。そして、イエス様を発見しました。最初は、キリストがユダヤ教を全滅させるだろうと思ったでしょう。しかし、キリストが律法を成就した事が分かりました。実際に、キリストは律法をパウロが想像する事が出来ない程厳しくしました。 何故ならば、神様は私達の心や思いが分かるので、憎しみは殺人になり、しっとは盗む事になり、欲望は姦淫になります。パウロは決して律法をやさしくしません、守りやすくしません、投げ捨てません。代えって、イエス・キリストによって、律法が成就されています。十字架上での犠牲によって、罪が赦されて、律法が要求する罰が果たされました。私達キリスト信者は、クリスチャンとして人生を送るのは、良い人々として産まれた訳ではなくて、又、自分の努力からでもなく、神様が豊かに御自分の恵み、あわれみ、と愛を下さるから生きるのです。

その生き方を聖パウロから習いたいと私は思います。一緒に、彼のクラスに入る為に申し込みましょう。神様の恵みに頼る生き方を習いたいと思います。聖パウロから習いたいと思いますのは、聖霊に満たされて、自分の罪深い人生を変える事です。私は聖パウロのようになりたいと思います:信仰から来る確信で満たされて、神様を信頼する事から来る勇気で満たされる事です。ですから、パウロは私のヒーローです。クリスチャンの人生を送りたいと思うすべての人々、勇気と平和を欲しいと思うすべての人々のヒーローです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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