2008年11月16日
マタイ25:14−30
2008年11月16日
マタイ25:14−30
十字架上で死ぬ前の週、イエス様はこの例え話を語りました。イエス様は十字架上で死んで、3日目に甦って、昇天されました。世の終わりに再び来られる事を予言されました。その日は裁きの日です:羊を山羊から分ける事のようで、会計帳簿(ちょうぼ)の本を開ける事のようです。イエス様が天に上って、物質的に弟子達から離れて行きますので、この例え話はイエス様ご自身についての事であると分かります。言われました、「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。」 その財産とは、救いの福音です。それを僕達、即ち弟子達やすべての信者達の手にゆだねました。それで私達も、イエス様の財産をいただきました。福音のメッセージが私達の手にゆだねられています。私達個人のものではありません。この福音は神様の御国の働きの為に私達にゆだねられています。
この例え話の中では、2人の僕は商売(しょうばい)をして利益を上げました。これは、自分の信仰を分かち合って、人を教会に招待(しょうたい)して、教会の中で働いて奉仕するキリスト信者のようです。キリスト教会的な道徳を持って、社会にも、自分の家にも、職場にも、クリスチャンとして生きる人です。言い換えますと、神様は、御自分の働きをする為に、キリスト信者達にタレントや才能やギフトを下さいました。それで、彼らは忠実な良い僕です。主を喜ばせます。3つ目のタレントを与えられた僕は、主人を怒らせました。穴を掘り、主人の金を隠しておいたからです。自分の信仰を隠しました。彼の信仰は、自分に対しても他の人に対しても神様に対しても役に立ちませんでした。そのタレントが無駄になりました。それで、怠け者の悪い僕だと呼ばれました。役に立たない僕と呼ばれていないで、むしろ悪い僕と呼ばれています。主人の僕で、主人に害を与えたので、悪い僕です。3人の僕にタレントが与えられました、それぞれの力に応じて、それぞれの能力に応じて与えられました。もしその3人目の僕がやってみたいと思いましたら、彼もそのギフトを上手に使って主人に仕える事が出来ました。しかし、しませんでした。しようと思いませんでした。それで、彼は反抗的でした。ですから悪い僕と呼ばれています。
主なる神様が私達皆にいろいろのタレントを下さいました。聖パウロは、それを「聖霊の贈り物」と呼びます。このギフトやタレントは、この地上で神の国のために働く為のものです。教会の中だけではなくて、どこででも使えます。言われている世俗的なタレントも、教会の中でうまく利用する事が出来ます。例えば、大工さんの技術や商売の知識などです。神様は全世界を愛しますので、教会の外にいる未信者をも愛します。この世を大事にする為に、その人にもいろいろのスキルとタレントを下さいます。多くの未信者には、素晴らしい神様から与えられたタレントがあるので、御国の為に使えましたら、大きな祝福になるでしょう。
今日のフォーカス視点は、1タレントを受けた人です。それをもらって、使わないで隠しました。主人を恐れたのです。商売を上手にしなければ、その1タレントを商売で失ったとき、主人に罰される事を恐れたでしょう。しかし、この例え話が教えるのは、僕達のそれぞれの力に応じてタレントが与えられた事です:5,2,1です。その1タレントが与えられた時、主人がその人の能力を知っていて、その僕がそれを上手に使う事が出来ると知っていました。少なくても、お金を銀行に入れておけば、利息がつくでしょう。上手に扱う事が出来る人に預ける事が出来ましたのに。タレントの数は大切ではありません。それを使う事が大切です。信仰、そのものがタレントではないと私は思います。しかし信仰は、私達にあるギフトが神様から贈られたと理解します。それで、感謝を持ってそのギフトを使いましたら神様の国の恵みになるでしょう。
自分に与えられたギフトは何でしょうか。それが分からない場合は、どうしましょうか。探しましょう。それで聖霊は私達を助けて下さいます。聖霊は、神様のタレント・スカウトです。聖霊が私達に知恵を与えて、導いてくださるように祈ります。
イエス・キリストは地上で一番多くのタレントを持つ人でしょう。 賢くて、公に話す事が上手ですし、奇跡が出来ます。しかし、聖書によりますと、この地上に来られた時、その天国的な栄光を捨てました。しかし神様のタレントを使って、十字架上の死から逃げませんでした。むしろ死にました。その時こそ、隠れたタレントをもちいて悪魔と戦いました。それで悪魔の永遠の力を滅(ほろ)ぼしました。死を乗り越えて、3日目に甦られました。その復活によって天の父は言われます。忠実な良い僕だと。イエス様は弟子達が全世界に出ていって福音を述べ伝える権利を与えました。ペンテコステの日に、聖霊は来られて弟子達がそれを出来るように、福音を述べ伝える話す力・タレント・ギフトを与えました。
今日の例え話は神様の愛を表します。神様の富は無限です。ご自分の働きをするために、私達が一億円を失ってもかまいません。ただ私達が忠実に働くように願っています。神様は私達が神様の怒りを恐れないようにと願っておられます。なぜなら天国は贈り物だからです。私達がどれだけ上手に商売をしたかではなく、また私達が与えられたタレントやギフトを完全に使ったかでもありません。私達の愛と働きと知恵が決してかんぺきではないからです。私達はイエス様を信頼します。私達の為に死んで下さった方はいつも私達を憐れみます。
洗礼を受けた時、私達はキリストに呼ばれ、神の国の財産をゆだねられました。それで今、神の国の財産を使う事が許されています。神様の国のギフトを楽しむチャンスが与えられています。私達も神様と同じように、他の人を憐れんで赦す事が出来ます。ものを大事にする事よりも、人を大事にする事が出来ます。お金で買った物を大事にする事よりも、私達の愛する人を大事にします。誘惑が来るでしょう。そのギフトやタレントの責任から逃げる誘惑です。他の人もその責任を果たす事に困るかもしれません。それで、第一テサロニケ5:11が言うようにしましょう。「励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。」と。例えば、赦しのタレントを持って出かけ、それを隣人の赦しを買うことに投資します。仕返し、罰、怒り、差別、自己中心、欲張りなどの為にそのタレントを投資しません。神の国は生きる為のもので、イエス様が「主人と一緒に喜んでくれ」と言われる希望と確信を持って生きるためです。私達の働きが決してかんぺきではないので、イエス様はその言葉を私達に話したいと思います。イエス・キリストこそが忠実な良い僕であるからです。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会