今日、何を記念すべきでしょうか?
主の変貌かセイントバレンタインの日か旧歴正月か

顕現節の最後の主日、主の変貌
申命記34:1-12, ヘブライ 3:1-6, ルカ9:28-36

   今日は2月14日です。教会のカレンダーでは主の変貌の主日です。別の教会のカレンダーでは、セイントバレンタインの日です。セイントバレンタインと言う人は教会の祭司でした。西暦270年に殉教者として、ローマの皇帝アウレリアンによって殺されました。又、中国の暦では今日は旧暦のお正月で、虎の年です。今日何を記念すべきでしょうか?

   多くの人はセイントバレンタインの日を選ぶでしょう。それは多くの人は、チョコと花とロマンチックなギフトが好きだらかです。愛をお祝いする日だからです。それはロマンチックな愛です。教会はロマンチックな愛を否定しません。イエス様御自身は結婚式に出席して、そのお祝いの為においしいワインを作りました。もし教会が何か、これに対して言う事があれば、第6の戒めを人々に覚えさせる事です。即ち、清く、貞節な、 上品で倫理的な愛です。神様は人間を男と女として創造されましたので、それは神様からのギフトで、それをエンジョイする事が出来ます!    

   勿論、本当にセイントバレンタインを記念しましたら、彼が殉教者として死んだ事を覚えなければなりません。イエス・キリストを信じる信仰を告白したので、ローマ皇帝は彼を殺しました。彼のイエス・キリストに対する愛と忠実さの強さを考えましたら、それは私達のキリストに対する、また他の人に対する愛の模範になります。あなたは自分が愛する人の為に死ねますか。又、バレンタインの日に適当な表現でしたら、自分の愛する人がいないと自分自身が生きる事が出来るでしょうか。愛がなければ、自分が愛する人がいなければ、人生は生きる価値があるでしょうか。神様はどんなに私達を愛するかを現わしました。それは、チョコや花を送る事によって示さないで、ご自分の独り子イエス・キリストを送る事によって示して下さいました。イエス様はその愛を表して、十字架上で死にました。それは、ご自分の愛する者が生きる為でした。私達が生きる為にイエス様は死にました。それで、私達の人生に価値を与え、尊厳(そんげん) を与えます。ですから、その事によって私達は本当の愛が何であるか分かります。それで、私達が他の人を愛する事によって、私達はキリストの愛の内に成長する事が出来ます。チョコレットや花は私達の愛のしるしです。自分がその人の為に犠牲を払う気持ちを表します。贈り物は犠牲だからです。    

   教会のカレンダーによりますと、今日は主の変貌主日又は主の変容主日とも言います。その変容の山の上で、イエス様の形が変わったので、弟子達はイエス様の天国の栄光を見る事が出来ました。その山の上でイエス様はエリヤとモーセと話しました。救いの働きについて話しました。これからエルサレムで起こる事、イエス様の逮捕、鞭打ち、十字架上の死について話しました。その変容の山の栄光の反対に、ゴルゴダの山の上で、イエス様はすごい恥と痛みを受けます。今日は受難節の前の最後の日曜日です。今週の水曜日は灰の水曜日で、受難節の始まりです。受難節で私達はイエス様の犠牲を見ます。十字架上で死んで、3日目に甦る事によって、イエス様は私達に永遠の命の贈り物を下さいます。十字架上で殺された時、ものすごい苦しみを受け死にました。変貌の栄光や復活の栄光に対して大きく違います。    

   この変容の主日を記念すべきだと思います。まず私達に希望を与えるからです。もしイエス様の苦しみについて考えすぎましたら、イエス様が本当に神様である事を忘れる可能性があるかも知れません。又、自分の苦しみについて考えすぎましたら、神様の愛と救いの約束を忘れる可能性があるかも知れません。その約束とは、私達をこの罪と痛みの世から天国の栄光に連れて行く事です。ですから、この日曜日には私達は自分の未来の天国の栄光を、ちょっと見る事が出来ます。

   又、この変容の主日を記念すべきもう一つの理由とは、イエス様とその2人の旧約聖書の預言者との出会について聞きますと、神様が本当に私達の救いの為のご計画があることを思い起こさせるからです。私達が毎日の人生を送っている時、私達の為の神様の愛と御計画を忘れる可能性があります。自分の人生を見て心配になります。自分の仕事を見てガッカリします。他の人を見て、その人が本当に自分を愛するかどうか心配して、自分が本当にその人を愛するかどうか心配して、――又、考えるのは、自分がその人の為に本当に犠牲を払うかどうか、自分の時間とお金と命でさえも犠牲にするかどうか考えます。神様は私達の救いの為に御計画を持ちます。神様は私達の人生の中で今日も明日も働いて、いや、昨日も、私達の人生の中で働いて下さいました。ですから、私達の以前にあった問題の真ん中にさえも、神様はいつも私達と共にいました。イエス様の栄光は私達の人生の中にありました。復活の栄光も、十字架上での犠牲の栄光も。その十字架が表わすのは、イエス様が私達の人生の苦しみの中に入る事が出来る事です。癒す事が出来ます。導く事が出来ます。復活させる事が出来ます。私達にも変容、回心、新しく生きる事ができます。悔い改めがあり、赦しがあり、再生(さいせい)があります。このようにして私達は変容の主日を記念します。    

   それは、セイントバレンタインの日をよく記念する方法でもあるでしょう。私達が愛する人との愛を確認します。

   そして旧暦のお正月はどうでしょうか。神様が世界のすべての人々を愛して、皆が救いたいと思う事を覚えましょう。神様は永遠のお方です。彼の愛は永遠の愛です。

   アーメン。

   マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会


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