2009年6月7日、三位一体主日、堅信式
父と + 子と聖霊の御名により。アーメン。
三位一体の神様の御名を唱えるのは、礼拝の始まりと礼拝の終わりの祝福と説教の始めです。洗礼の時にもこの聖なる名前を唱えます。実は、この言葉を唱える時いつも自分の洗礼を思い出しらた良いと私は思います。何故ならば、バプテスマこそが私達の礼拝にも、祈りにも、説教にも、神様の御言葉に意味を与えるからです。これはマジックの言葉ではありません。むしろ、この言葉が私達に思い起こさせるのは、私達の礼拝に力を与えるのは神様のお働きのみだということです。この神様の働きとは、私たちを創造し贖い、そして私達を聖なるものとしてくださるからです。
今日、堅信式があります。ウースター兄弟のリチャード兄とアンドルー兄が洗礼を受けた時、彼らは赤ちゃんで、彼らに何が起こっているか分かりませんでした。両親やスポンサーの信仰によって洗礼盤のもとに連れてこられました。両親やスポンサーは自分達の信仰を告白して、キリスト教の信仰に従ってこの男の子達を育てるように約束しました。今日、リチャード兄とアンドルー兄が自分で自分の信仰を公に告白します。クリスチャンとして人生を送るように約束します。自分の信仰を確認して、そして教会の側からはその二人が本当に三位一体の神様を信じると告白する事を確認します。この二人はキリスト教の根本的な教えを学んで自分の証をしました。
先々週の小教理問答書のクラスで、復習として、聖なる三位一体の神様を説明して下さいと彼等に聞きました。彼らは正しく答えまして、神様がお一人ですが、3つの人格として御自分を現わして下さいますと答えました。次に、どうして神様が一つだけである事が大切かと彼らに聞きました。ヒンドー教や神道のように、千の神々はどうでしょうか。どうして一人だけの神様の方が良いでしょうかと。先ず、神様がお1人ならば、どの神が正しい神様か、またどの神様に祈れば良いか心配しなくても良いです。全能の神様が私達のすべての祈りを聞いて下さいます。同時に、この神様が全能であるので、神様に出来ない事がないので、ほかの神々が必要ありません。ここに神様の素晴らしい愛も見えます。御自分の一人の子、イエス・キリストが私達を罪から救いだす為に十字架上で死ぬ為に送りました。イエス・キリストが私達の人生の中に来られて、私達と同じように苦しんで、私達と同じように死にました。ですから、三位一体の神様が私達の痛みも、私達のすべての必要も知っています。神様が私達の祈りを聞いて下さる事の確信を持って祈る事が出来ます。
私達は祈る時、父と子と聖霊の御名によって祈ります。大切な事とは、ます神様に祈る事です。忙しくなって祈る事を忘れる事があります。がっかりした時、祈る事を諦めます。誠の神様の代わりに、ほかのものの中に問題の答えを探します。そして、そのものが私達にとって楽しみや解放を与えるほかの神々のようになります。しかし、この世のものが決して私達に永遠の命と幸せを与 今日、私達皆は自分達の洗礼を覚えます。その洗礼を受けた時、三位一体の神様の御名が私達の上に唱えられていました。この時、私達は神様の子供になりました。ですから私達には神様と話す権利があります。彼が私達に話して下さるみ言葉を聞きたいと思います。この罪深い世の中でクリスチャンとして生きる勇気を与えて下さいます。父なる神様にいつでも呼ぶ事が出来る特権があります。とくに必要がある時に祈り、また幸せの時に賛美する事です。今日はその幸せの時の一つです。三位一体の神様を信じる信仰を確認して、それを堅く確信します。 える事が出来ません。
父と + 子と聖霊の御名により。アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師沖縄ルーテル教会