聖なる三位一体の神

三位一体主日、2013年5月26日


「父と子と聖霊の御名によって、アーメン。」

神秘

今日は三位一体主日であるので、聖なる三位一体の神様の神秘について考えなければなりません。私達が言うのは、神と言うものは一つしかいませんが、神には3人のいかくがあると言います。聖書は神が一つだけであると言いますので、それを信じます。同時に、聖書は父も子も聖霊も神であると啓示するので、それを信じます。3つの神であると言いたくないので、三位一体の神と呼びます。これを神秘と呼びます。1+1+1=1. 1 X 3 =1. 1³= 1. (1を三乗すると1である。)³√1=1. (1の立方根は1である。) 数学的や哲学的や文法的に不合理的であるので、これは神秘です。神学は科学ではありません。私達クリスチャンには神秘と奇跡は平気です、説明しなくてもいいです。実は、神聖な神秘は礼拝へとみちびきます。私達は神様の御前に立って、恐れと畏敬の念と驚きと神様に対する感謝と誉れへと導きます。

三位一体の教理の教えが神秘でしても、私達クリスチャンは、自分の礼拝の生活と毎日の生活の中で、この三位一体の神の教理の使い方が分かります。

インヴォケイション(呼び掛け)

礼拝の最初にこの言葉を言います、「父と子と聖霊の御名によって、アーメン。」この呼び掛けの言葉には4つぐらいの目的があります。1.「これから礼拝や説教が始まるよ」と言います。今からの一時は特別ですと言います。ですから、この世のものを横に置いて、目と心を天国に向けて仰ぎましょう。今は聖なる時、ここは聖なる場所ですので、神様がここにいますので、礼拝と祈りをしましょう。2.この三位一体の呼び掛けは、私達がどなたを礼拝するかを思い起こさせます。ここはキリスト教の礼拝です。仏教や遇像礼拝やほかのカルトではありません。それで、私達クリスチャンが、誠の神様の御前で平安を持つ事が出来ます。3.この呼び掛けは、日本の神道の神社の入り口の鐘のようではありません。神様を眠りから起こさなくてもいいです。私達は神様の御名によって集まりますと、神様はいつも私達と共にいる事を覚えます。4.呼び掛けですが、神様の電話番号に電話をかける訳ではありません。私達は神様といつもつながれているからです。「神様よ。私達の教会に来て下さい。」と呼びかける必要がありません。かえって、人々が礼拝に来るように呼び掛けます。「皆さん、ここに来て下さい。私達の礼拝堂に入って、三位一体の神様を礼拝しましょう」と。そして人々は答えて言います、「アーメン。ここにいます。神様を礼拝しましょう!」と。

洗礼

礼拝の最初の言葉は私達の洗礼式を思い起こさせます。「あなたに洗礼を施します。父と子と聖霊の御名によって、アーメン。」それで礼拝の最初に、自分の洗礼を思い出します。その洗礼を受けた時の約束を思い出して、再び言います。罪の告白と赦しと言います。それは、洗礼の続きです。

多くの人の為に、三位一体の神様の働きは私達が洗礼を受けた時から始まります。イエス様はこの宣教命令を言われました。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」〈マタイ28:18−20〉。実は、洗礼だけではなくて、その教える事も、出かけて行って弟子にする事も、三位一体の神様の名前によって行います。神様の働きをする為に、神様は私達に権威と力を与えます。

祈り

祈る時、私達の多くの祈りがこのように終わるでしょう、「イエス様の御名によって、アーメン。」と。教会の式文の祈りの場合、この言葉がよくあります、「あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」これは魔法術な言葉ではありません。祈りを聞かせたり答えてもらう為の鍵やパスワードではありません。クリスチャンは、簡単に「神様、助けて下さい」と言うと充分です。しかし、時々私達は不注意で神様の力を忘れます。神様の愛を疑って、神様が私達の個人的な問題を助けて下さらないと思います。その時、祈るのを諦めます。しかし神様の事を諦めましたら、救いをも諦めます。しかし、イエス様の御名によって祈る事は、全能の神様に祈る事です。神様が本当に私達を愛すると分かります。父はイエス様を私達の為に生きて、死んで、復活する為に送りました。それで私達は神様の愛を知ります。神様の力を知ります。ですから祈りの最後に私達は言います、「アーメン。そのようになりますように。」と。

第二の戒め。

第二の戒めが言います、

あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない(出エジプト20.7)

問 これは、どんな意味ですか?

答 わたしたちは、神を畏れ、愛さなければなりません。それで、わたしたちは、神のみ名を使ってのろったり、誓ったり、魔術を行ったり、うそをついたり、だましたりしないで、むしろ困ったときには、いつでもみ名を呼び求め、常に祈り、ほめたたえ、感謝するのです。

言い換えますと、三位一体の神様の名前の正しい使い方とは、「困ったときには、いつでもみ名を呼び求め、常に祈り、ほめたたえ、感謝するのです。」言い換えますと、三位一体の神様の名前の正しい使い方とは、キリスト信者として生きる事です。

第一の戒め。

そして最後に、第一の戒めが言います、

あなたは、わたしのほかになにものをも神としてはならない(出エジプト20.3)

問 これは、どんな意味ですか?

答 わたしたちは、何ものよりも、神を畏れ、愛し、信頼しなければなりません。

言い換えますと、キリスト信者として生きる事です。自分の人生の中で、100%神様を愛して信頼しましたら、あなたの人生は100%平和と喜びで一杯のはずです。それは、人生の問題がまったくない事を意味しません。しかし、私達の問題のただ中でも、神様が私達と共にいると分かります。創造主として、贖い主として、清めぬしとして私達と共にいます。どの問題があっても神様に呼び掛けます。全能の神様に常に祈り、ほめたたえ、感謝するのです。

「父と子と聖霊の御名によって、アーメン。」

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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