私達は神様のぶどう園で働きます

2008年10月5日
マタイ21:33−46

あなたの仕事や職業は何でしょうか。先生かそれとも生徒でしょうか。飛行機のパイロットか、バスの運転手でしょうか。職場は事務所の中か外でしょうか、自分の家でしょうか。仕事があるかそれとも引退しているでしょうか。親でしょうか、それとも子供でしょうか。

神様のぶどう園の中では、あなたの働きは何でしょうか。教会の中の仕事と言わないで、神様のぶどう園の中の働きです。このぶどう園は、目で見える教会より大きいです。今月、10月は、宗教改革記念日を祝う月です。マルチン・ルター達が教えたのは、神様のための働きとは、修道院の中の修道士や修道女に限られていない事です。どのような社会的な地位や人生の状態であっても、すべてのキリスト信者は神の国の中の働き人です。世俗的なものと聖なるものを分離すること出来ません。勿論、そこには清くない活動でキリスト信者を誘惑する罪深いものもあります。神様のぶどう園の中で罪がその働きの一部と全然言いたくありません。ここで言おうと思うのは、あなたの仕事、職務、毎日の活動は、神様の働きをする為に、神様があなたを召命している場所です。例えば、もしあなたがレストランのウェイターでしたら、そこがあなたに与えられた神様の働きの場です。毎日の活動の中で、どんな事でしても、その中で私達が神様の為に働くべきです。なぜならその働きとは、隣人を愛する事であるからです。

今日の福音書の中では、イエス様はぶどう園の悪い農夫の例え話を語ります。そのぶどう園を借りていた農夫の問題とは、そのぶどう園を支配したいと思い,主人から奪おうと思って、先ず、つかわされた僕達を殺したり、最後に、主人の息子さえも殺してしまいました。ぶどう園とはイスラエルの国で、家の主人とは神様で、農夫はファリサイ派の人や祭司長達で、収穫とは信仰と愛と礼拝で、僕達は旧約聖書の預言者で、息子はイエス・キリストです。イエス様が預言するのは、イスラエルであるぶどう園の支配とその宗教が彼らから取られて、イエス様を信じて真実な人に渡す事です。

現代のぶどう園の農夫とは、キリスト信者です。現代の僕とは、牧師と教会学校の先生と親と友達で、これらの人々が神様の為に働いて、神様に収穫の実を神様に収めるようにと思い起こさせる人々です。即ち、自分の人生の中で、愛の実、愛の収穫がある事です。私達がその人々の声を無視する時、私達は神様の声を無視します。十戒を守りなさいと言っている人々の忠告を聞かないで自分の好きなままをする時、それが、預言者に石を投げて殺す事のようです。その人を完全に無視すると、最後に自分の人生からイエス様をも無視します。それで、イエス様を十字架上につけた人々と同じになります。そして、この例え話が教えるのは、子を拒む人は神様をも拒みますので、神様は彼らを拒んで、ひどい目に遭aわせて殺す事です。

福音の神秘とは、捨てられた子が隅の親石となりました、私達の人生の土台になりました。この不思議な、驚くべき福音とは、私達が捨てたお方が、私達を選ぶ事です。神の御言葉を述べ伝えるメッセンジャーを送ります。聖霊を送ります。悔い改めと信仰を持って、私達が神様のぶどう園に戻る事が出来ます。信仰と信頼を持って、人生を送ります。

それで、すべての職業、働き、人生に於いて、私達が神様の為に働く事が出来ます、それは、イエス様いつも私達と共にいるからです。イエス様は私達がその所に呼ぶからです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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