キリストの光の中で生きる
2011
年4月3日、受難節第4主日服新書 ヨハネ
9章 生まれつきの盲人をいやす第二日課
エフェソ 5:8-14エフェソ
5:8 あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。5:9 ――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。――5:10 何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。5:11 実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。5:12 彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。5:13 しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。5:14 明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。「眠りについている者、起きよ。
死者の中から立ち上がれ。
そうすれば、
キリストはあなたを照らされる。」
イエス様は生まれつき目の見えない人を癒しました。その人はイエス様がどなたであったか、最初分かりませんでした。しかしイエス様が良い人であると思って、次に預言者であると思って、最後にイエス様が救い主であると信じました。言いました、「目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」開いたのは目だけではなくて、彼の心も理解も開いて、イエス様が本当にどなたであるかが分かって、見る事が出来ました。
その後、その人がどうなったか知りません。多分イエス様の信者になったでしょう。しかし、イエス様をもう見えなくなった時、どうなるでしょうか。イエス様がエルサレムの町から出る時、どうなるでしょうか。彼は再び目が見えない状態にならないように、気をつけなければなりません。以前のくせに戻る事は駄目です。古い黒いめがねを再びかけてはいけません。目を閉じて歩き回る事は駄目です。生まれた時から、目が見えないと言う、暗い状態になれていました。しかし新しい信者として、神様の光の中に生きる事を習わなければなりません。
これは私達の為にも、同様に注意すべきです。また、エペソの教会の為にも注意すべきことでした。エフェソ
5:8、「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています。光の子として歩みなさい。」以前エフェソの信者たちは、異教の遇像礼拝者で、その生活振りも乱れたものでした。聖パウロは、その以前の生き方について話すのは恥ずかしいことだと言います。イエス様のいない状態は暗闇でした。聖霊がない人生でした。しかし今は彼らの目が開かれています。神様の光を見ました。その光は彼らの罪を照らしたのです。即ちその「実を結ばない暗闇の業」を明らかにしました。しかしその同じ光は、救いの福音と聖霊の働きをも表しました。それで彼らも、生まれながら目の見えなかった人と共に、言う事が出来ました。「目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」私達はパウロの話を聞かなければなりません。聖パウロは、彼らがその古い異邦人の行き方、その遇像礼拝の道に戻らないようにと警告します。目を閉じて眠ってはいけません。なぜならば、それは再び死ぬ事ようだからです。それでパウロは書きました、
それはキリストの死と復活の力です。それは福音です。キリストの光の内に聖霊に満たされます。愛と礼拝で満たされている人生です。
今は受難節なので、私達が目を開けて、イエス様を見るように導かれています。十字架上のイエス様を見る時、私達は自分の赦しを見ます。イエス様の苦しみを見る時、自分の平和を見ます。イエス様の死を見る時、イエス様と共にある私達の死も見ます。イエス様の復活を見る時、私達の永遠の命を見ます。今日私達も、以前目が見えなかった人と共に、信仰告白をするように呼びかかれています。キリストの光の中で自分の人生を送るように呼びかかれています。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会