2011年5月22日
イエス様はいわれました、「わたしは道であり、真理であり、命である。」このテーマで、三つぐらいの説教をする事が出来るでしょう。先ず、「道であるイエス様。」そして来週は「真理であるキリスト。」そして次の週は「命であるキリスト」です。まとめると、ひとつの説教で、「命への誠の道であるイエス様」。又、「誠の命への道であるキリスト」や「誠の生き方であるイエス様」。又、「真理の生き方」。「正直な人生の道」などです。又は、「誠の命への誠の道を表すイエス様」。
イエス様は最後の晩餐の時に弟子達に話しました。その時から起こる事の為に弟子達の心を準備しようと思いました。イエス様が逮捕され、裁かれ、十字架につけられます。そして、復活して、天に昇って、聖霊を送ります。最後の晩餐の時、弟子 達にはよく分かりませんでした。私達がよく理解出来るのは、私達はその出来事を知っているからです。しかし、イエス様の話を理解する為に、一生懸命にした弟子達と同じように、私達も、私達自身の為に、イエス様の話を理解する為に一生懸命に努力します。それで私達は、その最後の晩餐の言葉を読んで、私達の信仰は強くなります。
イエス様は弟子達に話しました、「14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」 弟子のトマスはイエス様がどこに行くか分かりませんでした、どのようにその天国の住まいに行くかも分かりませんでした。又、弟子のフィリポもイエス様の説明が分かりませんでした。
どのようにイエス様の話を理解しましょうか。それは、イエス様は御自分の死と復活、と同時に、御自分の昇天と再臨について話していると思います。何故ならば、死んで甦られなければ、救いも天の住まいもありません。ですから、弟子達の為に場所を用意する第一歩とは、十字架上で死ぬ事です。それは、天国への道の第一歩です。世の罪を赦す事が出来るのは、イエス様だけです。ですから、イエス様だけが命への誠の道です。彼は道です。その上、イエス様が道であるのは、彼は父なる神様と一番親しいからです。イエス様は言われました、「14:11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる」と。このように説明しました、「14:10わたしの内におられる父が、その業をいっておられるのである。」と。一時的な事ではなくて、父はずっとイエス様の内におられますので、イエス様の中で住む事のようです。そうでしたら、イエス様は神様の神殿になり、神様の住まい、天国の住まいです。その意味とは、イエス様が話す時、父なる神様の言葉を言われます。その意味とは、イエス様の働きが父なる神様の業です。ですから、福音の言葉、その約束は確かなもので、真理です。ですから、イエス様の死と復活には、救いがあります。
イエス様は言われました、14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」私達は神様を信じる時、私達は命への真理の道を歩いています。不信仰の心は神様の道を歩こうと思いません。それは、イエス様が永遠の命の道であると信じないからです。ある人はイエス様や福音を全然知りません。それで、私達は彼らをキリストに導く必要があります。そのような道路標識が伝道や証しと呼ばれています。
一度、この道に入ったクリスチャンの一つの問題とは、その道を続けて歩く 事です。道から離れたり、迷ったりします。又、ちょっと罪の誘惑にまけて、遠まわりをして、あと戻りします。私はこの道に戻る事は、信仰の力だと思います。私達はいつも狭くて真っすぐな道を歩みません。しかし、私達はイエス様を信じるので、いつも正しい生き方に戻りたいと思います。ルーテル教会の中の神学的な表現と言いますと、“simul justus et pecator, 同時に罪人であり聖徒です。” 私達はトマスとフィリポのようです。私達はイエス様の話を理解する事が出来ません。神様の律法が分かりません。神様のやり方が分かりません。神様の御計画の細かい所を知りません。しかし、自分の人生の計画を神様がいないように立てましたら、それは天国への道になりません。
ですから、イエス様は弟子達に言われました、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」その信仰は私達のコンパスと地図になります。私達の人生はイエス様と同じようになります。言われました、「14:12 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」どのように私達人間がイエス様より優れている業をする事が出来るでしょうか。世の罪を赦す為に十字架上で死ぬ業より大きな業がありません。しかし、教会の偉大なる働きとは、全世界に福音を述べ伝える事です。イエス様のように、私達は狭いイスラエル地方に限られていません。又、イエス様が私達の祈りを聞くように約束したので、私達はその働きをする事が出来ます。又、出来るのは、神の国を述べ伝える業を続ける為に、イエス様が聖霊を送ったからです。
アーメン
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会