宣教の幻(ビジョン)
1994年夏にオーストラリア日本人教会の働きを終えて、帰国後間もなく私たち(林田和博牧師夫妻)は今後の働き先を求めて祈っていた頃、妻にイエス様からの幻が見せられたのです。
それはイエス様が名古屋を示されてそこが燃え、次に大阪を示されそこも燃えるというものでした。
すでに名古屋の教会から牧師としての招聘(しょうへい)を受けていましたので、名古屋が燃えるというのはある程度分かるものの、次に大阪が示された理由について当時の私には全く理解できませんでしたが、なぜか心の中で思いめぐらしていました。
名古屋の祝福
名古屋に遣わされたのは95年春。
幻の通りに名古屋では多くの神の家族が与えられて、大きな教会堂建設の祝福にもあずかり、あっという間に9年が経ちました。
宣教のみことば(聖書のことば)
そんなある夜、突然私に次のみことばが示されました。
彼らは昔の廃墟を建て直し、先の荒れ跡を復興し、廃墟の町々代々の荒れ跡を一新する。
旧約聖書 イザヤ書61章4節
何度も読んだみことばでしたが、その夜は衝撃と感動が走りました。
この「廃墟の町々」こそ、消滅して今は無き私の母教会があった大阪府豊中市庄内と示され、以前に妻が見た神様からの幻と重なって、初めて神様のみこころを理解できました。
準備
それからというもの、所属団体である日本福音教会(JEC)と、牧会する(牧師を務める)名古屋グレイスキリスト教会役員会の承諾を何とか取り付けて準備を進め、廃墟となった約束の地に2004年春、やっと踏み出すことが出来ました。
約束の地へ
宣教の働きに先立って、「会堂(教会の建物)」「経済」「教会員」という3つの無いものがありました。
しかし、神様が遣わされるならばサイドビジネスをしなくとも養われると信じて、フェイスミッションによって踏み出したところ、そのすべてが備えられ、現在まで必要のすべてが満たされてきました。
「主の山の上には備えがある」のみことばの通りに神様のご真実には変わりありませんでした。
教会オープン
それからというもの、教会開拓経済の必要、集会所の確保、良い住まいの確保、子どもの学校等々、すべての必要が満たされて、2004年9月12日に100名の参加者を迎えて「豊中市立労働会館」で教会開所式を行なって現在に至っています。
どうぞ、お越し下さい。心よりあなたを歓迎します。