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毎週日曜の集会

☆☆コロナウイルス感染防止のために☆☆

各自マスク着用の上、玄関で手指のアルコール
消毒を行ってください。
 発熱のある場合は集会出席を控えてください
・受付で検温し、受付簿に記名と検温結果を記載
願います。

・礼拝堂の人数は15名までとし、超過した場合は
食堂などへ分散します。
・礼拝は10:30-11:45と時間を短縮します。
・席については前後左右を空けるようにし、
1テーブルにつき1名が座るようにします。
・換気扇や人家の無い側の窓を開放するなど、
常時換気を行います。
・各テーブルに週報を置きますので、その位置に
着座してください。
 ↓白紙で例示しました  飛沫防止用のアクリル板
       
・各自水筒などを持参し、水分補給してください。

昼食や午後の集会は当面見合わせ、状況を
見ながらそれ以降の対応を判断します。


 
9:30〜9:45  教会学校
(乳幼児から中高生が対象)月刊誌「ハッピー月号掲載
 
10:30〜11:15 礼拝
  

1月24日聖日伝道礼拝
  10:30〜11:15
説教題
「立ち止まる時に」
聖書箇所
使徒27章18〜26節
  


1月17日聖日礼拝
  10:30〜11:15
説教題
「主の晩餐にあずかる」
聖書箇所
ルカ22章17〜20節
  
イエス様は、十字架に掛けられる前の晩、過越の食事を弟子
たちと共にしました。過越の食事は、かつてイスラエルがエジプト
で奴隷であった状態から、神の恵みによって救い出されたことを
記念し感謝するものでした。

 イエス様は弟子たちにパンとぶどう酒を分け与えました。
パンはイエス様が十字架上で裂かれ、そのことによって永遠の
いのちが信じる者に与えられること。ぶどう酒はイエス様が血を
流されることにより、信じる者の罪が赦されることを表わして
います。
 これをイエス様が地上に来られるまで行うよう弟子たちに
お命じになり、現在まで世界中の教会で「聖餐式」として継続して
来たのです。

 イエス様が来られる前の時代(旧約時代)には、動物を
いけにえとしてささげれば、神はその人の罪を赦されました。
 しかし、動物の血は完全に人の罪を取り除くことは出来ず、
毎日毎年繰り返さなければなりませんでした。

 しかし、今やイエス様はたった一度全人類の罪を背負って
十字架で血を流されたことによって、罪を取り除いて下さった
のです。イエス様の十字架は、私たちと神との関係を正しい状態に戻して下さいます。

 私たちはこの恵みを忘れないよう、繰り返しパンとぶどう酒
(聖餐式)によってイエス様の十字架による救いの恵みを覚え
続けなければなりません。イエス様の十字架のもとにへりくだり、
砕かれる時こそ神との関係が正しくされる恵みの機会なのです。


1月10日聖日礼拝
  10:30〜11:15
説教題
「喜んで与える(施す)」
聖書箇所
Uコリント9章6〜11節
  
使徒パウロは、諸教会の代表と共に献金を持ってエルサレム教会
へ行こうとしていました。かつて福音を伝えてくれたエルサレム
教会が迫害下で経済的に困窮していました。パウロは同教会
からの霊的な恩義に対し、経済的(物質的)なお返しをしようと
献金を呼びかけたのでした。

パウロは6節でこの献金を種蒔きに例えました。「少しだけ
蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は豊かに刈り取り
ます。」 この「豊かに」という言葉は「祝福をもって」という意味も
あります。この原理は昔も今も変わることがありません。他者
への祝福をもって献金する人は、経済的な祝福だけでなく、
生き方や品性までも神様に祝福されるのです。

次に、献金の姿勢が7節に示されています。「心で決めた通り
にしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」 
自発的な思いで、神を愛し他者を愛する姿勢を、神はご覧に
なっておられるのです。

神はそのひとり子イエス様を、私たちの救いのためにお与え
になりました。富んでおられたイエス様が、貧しい人の姿と
なって地上に来られ、やがて全人類の罪を背負って十字架に
掛かって下さったのです。神の動機は愛のゆえです。神は
惜しみなく私たちに分け与えるお方です。

神は私たちに種まき用の種と食べるパンとを備えて下さいます。
種まきという献金を通し、実際に経済も祝され、品性や愛の
行いという義の実を増し加えて下さいます。その結果、
私たちは「あらゆる点で豊かに」なる(11節)と約束されています。
この恵みを覚え、ぜひますます喜んで与える者とされたい。


1月3日聖日礼拝
  10:30〜11:15
説教題
「日々祈り、神のみことばを学ぶ」
聖書箇所
ルカ18章1〜8節
  
イエス様は祈りとみことばを学ぶ姿勢について、次のように
教えています。

@祈り
いつでも祈る姿勢でいること、失望しないで祈ることです。
不正な裁判官ですら、やもめのうるさい(しつこい)求めには
ついに求めを聞き入れます。ましてや夜昼(いつも)神を呼び
求める民のためには祈りを聞き、応えて下さるのです。

神は私たちに最善(ベスト)のものを与えようとされます。
私たちの求めが第二、第三番目のものであったら、あえて
その通りにはなさらないのです。

また、困難に直面すると祈れなくなってしまうことがあります。
その時には「祈りの友」の存在がとても大きいのです。
教会生活の中で自然に祈り合えることは大きな恵みです。

A神のみことば(聖書のみことば)
 イエス様は神の真理をたとえを用いて語られました。
祈りと同じく、毎日聖書のみことばを読み、思いめぐらすなら、
「すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた
者となる」(Uテモテ3:17)のです。

 また、みことばが心に蓄えられて行きますと、他の人々に
イエス・キリストを証しする助けになります。(詩篇119:9〜13)


2021年1月1日(金) 元旦礼拝
  10:30〜11:15
説教題
「破れ口に立つ者」
聖書箇所
エゼキエル22章30節
  
昨年より現在に至るまで、私たちはコロナ禍の中で様々な破れを
経験しました。神はこうした破れを通し、私たち一人一人に"破れ
口に立つ者は誰か"と呼びかけています。本日の聖書個所は
イスラエルが南北に分裂した時代に、北に続いて南も罪を重ねて
滅ぶ直前に神から発せられたみことばです。

「破れ口に立つ者(修理する者)」とは、イエス・キリストに他なりま
せん。イエス様は罪と死の入り混じるこの世において、十字架上
で私たちの身代わりに死んで救い出して下さいました。自分の
破れをイエス様に修復して頂いた恵みを知っているのがクリス
チャンです。
 私たちもイエス様のしもべとして、破れが覆われるよう祈り、
みことばに従って行動を起こす者としてこの1年間を歩んで参りたい。


12月27日聖日礼拝
説教題
「神の祝福に生かされる」
聖書箇所
イザヤ30章18〜26節

神は、世的な力に傾くのではなく、ご自身に立ち帰る時、大いに
祝福することを約束してくださいました。神は「待っておられ」
「あわれもうと立ち上がられる」「答えてくださる」「主は必ずあなた
に恵み」くださるお方です。

@神の言葉を聞く
神は羊飼いのように、私たちを後ろから見守り、導いてください
ます。私たちは、神の言葉によって生かされる祝福に生かされて
いるのです。

A真理を知る
神の言葉を聞いていく時、私たちは、真理を知らされます。真理を知
る時に、私たちは、人間が作り出した偶像、自己中心的な考え
などから、神中心の生き方へと方向転換するのです。

B主の栄光があらわされる
大いなる虐殺の日…とは、イエス様が再びこの地上に来られる
再臨の時です。キリスト再臨の時、神の敵はすべて滅ぼされます。
そして、主の栄光で輝き、月も日も必要ないぐらいの輝きで満た
されるのです。私たちは、日々の生活において、主の栄光を待ち
望むと同時に、いつその日か分かりませんが、必ず来られる
キリスト再臨の時を待ち望んで行こうではありませんか。


12月24日(木) イブ礼拝
    16:00〜17:00

 特別賛美ゲスト 大塚  満師・治美師(竜ケ崎教会)

  メッセージ   大塚  満師
    
『大きな喜びの知らせ』
         ルカ2章10,11節

 


12月20日クリスマス礼拝
説教題
「この上もない喜び」
聖書箇所
マタイ2章1〜12節

「この上もない喜び」を博士たちはなぜ、体験できたのでしょうか。

@救い主を求めていた(1-2節)
 神様のことについて十分な知識も無かった。けれども、博士たちは、
人づてに聞いた神様の救いの約束を信じていたのです。信じて
いた・・からこそ、「その方の星」の存在に気づき、はるばる砂漠も
こえる長旅を行動にうつしたのです。博士たちは「救い主を求めて
いた」という目的があったからこそ、この上もない喜びへとつな
がったのです。

A星に導かれた(9節)
 博士たちは、星をよく観察し、星の動きによって人や出来事を
占ったり、夢のなぞを解いたり、知識人ともいわれる存在でした。
 10節「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ」とあります。
不安が多い長旅の中で、ベツレヘムまで、自分たちを導いて
くれた星に、平安と救い主に必ず会える!と言った確信に博士
たちは、この上もなく喜ぶことができたのです。
 今を生きる私たちにもその、星が与えられているのです。
私たちを救い主イエス様に出会わせてくださる星、それは神様です。

Bひれ伏して拝んだ
 博士たちは、イエス様にお会いして、ひれ伏して拝んだのでした。
この方こそ救い主、ユダヤ人の王である!だからこそ、自分たち
が持っていた、高級な黄金、乳香、没薬を捧げたのです。イエス様
に用いて下さい!とささげたのです。博士たちのこの上もない喜び
が伝わってきますね!
 救い主を求めた、星に導かれた、ひれ伏しておがんだ・・・
今の時代に生かされている私たちも、常に救い主を求めること、
星‥神様に導かれること、日々イエス様の前にひれ伏して拝むこと
によって、自分が想像もしていないほどの「この上もない喜び」に
満たされますように。


12月13日アドベント(第三週)礼拝
説教題
「平和の君」
聖書箇所
イザヤ9章1〜7節

@救いの宣言(2節)
 預言者イザヤの時代、イスラエルは神様に背を向け、悪を行って
いました。国同士の戦いにおいても、神様でなく強くて大きな国に
助けを求めていたのでした。そして、イスラエルは苦しみ、やみの中、
死の陰にいました。そのようなイスラエルにイザヤは、後に回復
して光栄を受ける「救いの宣言」をしました。大きな光を見た、光が
照った、と。
 暗闇にいると光は大きな救いとなります。
 「暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に
導く。」ルカ1:79

A神による勝利(3〜5節)
 神の勝利は、刈入れ時の喜び、獲物を分かつ時の喜びに例え
られています。神様が、重荷のくびきと、肩のむち、しいたげる者の
杖から解放してくださった。神様の勝利は、人間の知恵や力、
軍備によらず、徹底的に神の力により頼んだところから生じます。
そして、その結果は、完全な平和となるのです。

B万軍の主の熱心
  やみから光へ、争いから平和へ。これは「ひとりのみどりご」の誕生
によって、完成されるのです。神様が私たちを愛してくださっている
からこそ、私たちの救いのためにイエス様を与えてくださったのです。
 イザヤは、救い主イエス・キリストの姿を伝えました。
「不思議な助言者」…私たちの悩み苦しみを聞き、アドバイスをくだ
さる。
「力ある神」…どのような戦いにも勝利に導くことのできるお方。
「永遠の父」…いつまでも神様が、私たちのお父さんでいてくださる。
「平和の君」…どのようなことがあっても、それを乗り越える平安を
与えてくださる。
 私たちの救い、平和のためにお生まれくださったイエス様を、
心にお迎えしようでは、ありませんか!


12月6日アドベント(第二週)礼拝
説教題
「その名はインマヌエル」
聖書箇所
マタイ1章18〜25節

 マタイの福音書は、系図から始まっています。この系図の意味は
「始まり」の意味が含まれています。そうです、新しい時代イエス・
キリストの誕生によって「インマヌエル」の時代が始まったのです。
インマヌエル(神は私たちとともにおられる)とは、どういうことか。
ヨセフの姿から見ていきたいと思います。

@思いを巡らしたヨセフ
 ヨセフとマリヤは婚約をしていました。イスラエルにおいての婚約は、
法律上において、完全な「夫婦」でした。その中にあって、マリヤが
身重になっていることがわかり、ヨセフはマリヤを思い、内密に去ら
すべきなのか、思い巡らしていました。ヨセフは正しい人だった、
とあります。正しい人は、律法を守る人、憐れみ深い人の意味があります。
神様を信じていたヨセフは、憐れみの心を持って、マリヤのことを思い
巡らしていました。

A主の使いの言葉を聞く
ヨセフが思い巡らしていた時、主の使いが夢に現れて言われました。
・恐れず、妻マリヤを迎えなさい。
・胎に宿っているのは聖霊によるのです(神様のみわざ)
・男の子を産む、イエス(神は救い、の意味)とつけなさい。
・この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。
・その名はインマヌエル(神は私たちとともにおられる)と呼ばれる。
 み言葉が実現する
 主の使いの言葉を聞いたヨセフは、命じられたとおりにしました。
すると、子どもが生まれ、名前をイエスとつけたのです。まだ人として、
理解することが難しく、多くの疑問があったことでしょう。しかし、その
疑問を盾にせず、主の使いの言葉を盾にしました。
 そこで、救い主イエス様が産まれる旧約時代からの神様の約束が
実現したのです。

 クリスマスを迎えるにあたって、もう一度「その名は、インマヌエル」
として、お生まれくださった恵みを心に留めたいと思います。そして、
神様がともにあって下さる、日々の生活において、み言葉が実現
していく時となりますように、お祈りいたします。


11月29日アドベント(第一週)礼拝
説教題
「平和をつくるイエス様」
聖書箇所
ゼカリヤ9章9,10節

 ゼカリヤが預言した王様はロバの子に乗るお方です。ロバは
人や荷物を載せても、戦いには行かないため、平和の象徴です。
 
 本当はお互いに武器が要らない世界が一番安全安心なのです
が、現実を見るとそれが一番難しいのです。平和の王は武器を
すべて無くして真の平和をつくるお方なのです。

 平和の王は、イスラエルだけの王ではなく、世界の国々に平和を
つくる王としてやって来られます。そして私たちの心に平和の王と
して来られるのです。まだ最終的には実現していないが、部分的に、
また信じる者のうちに一部が実現して時の経過と共に完成へと
進んでいるのです。

 イエス様は子ロバにのってエルサレムへ入られました。しかも
まだ人が乗ったことのない子ロバに。これは手なずけるのが大変
なのだそうです。
 しかし、イエス様は子ロバを落ち着かせ、安心させてお乗りに
なられました。この出来事は、私たちの心も武力や権力による支配
ではなく、十字架の愛とあわれみによって治められる時に、平和と
柔和な人生へと向かわせて頂けることを物語っているのです。

 まず神と人との平和を実現するために。つぎに人間同士の平和の
ために。イエス様は十字架に掛かって私たちの罪の贖いを成し
遂げて下さいました。
 それだけでなく、十字架上で死なれてから3日目に、死に打ち
勝って復活されたのです。イエス様は、信じる私たち一人一人の
心に平和の王として住んで下さっておられます。

<祈り> イエス様、あなたは軍馬にまたがる王ではなく、ろばに
乗る平和な王・柔和な王として来て下さいました。私たちも自己中心
やプライド、傲慢、自分へのこだわり、怒りや裁きという目に見え
ない馬に乗ることがあります。こうした軍馬から降りて、子ロバに
乗って私たちのもとに来られた主イエス様を日々、自分の心に
お迎えすることが出来ますように。不満や不安で一杯の時にも、
どうぞ私の心をイエス様の平和で一杯に満たして下さい。アーメン


11月22日聖日伝道礼拝
説教題
「神の気前良さ」
聖書箇所
マタイ20章1〜16節

 イエス様は、天国をぶどう園にたとえて語られました。
神はぶどう園の主人であり、そこで働く労務者を雇いに朝早く
市場(この世)へ出かける姿にたとえられています。

 パレスチナではぶどうの収穫時期が9月で、そのあとすぐに
雨期が来ます。そこで一刻を争って人手を必要とし、たとえ1時間
しか働けない人でも歓迎されたのです。午後6時の定時を前に、
午後5時まで雇い主が現われなかった労務者はどれほど真剣に
雇用を待ち望むでしょう。その人が雇われたならば、どんなに
感謝し喜んで1時間の作業に取り組むことでしょう。

 一日の労務が終わり、主人は後から雇われた人から順に報酬を
支払います。後から雇われた人も、先に雇われた人も同じ1デナリ
でした。このたとえは私たちに次のことを教えさとしています。

1)弟子たちへの警告
 早い段階から、教会とその交わりの中に入る特権を与えられ
ました。後になると他の人たちがイエス様の十字架を信じ、罪を
悔い改めて救われ、この交わりに入って来ます。その時、最初
からいた者として特別な地位や名誉を得ようと思ってはなりません。
神の前にはすべての人の魂が等しく大事なのです。

2)ユダヤ人への警告
 彼らは絶えず自分たちが"神に選ばれた民族"であることを
意識し、異邦人を軽蔑し、滅亡を願っていました。役割が
異なっていても、神に特別に愛される国民は存在しません。
これがイエス様によって明らかにされた福音の恵みなのです。

3)私たちへの指針
 神の国(救い)に入る時期は早い時期の人もいれば、晩年に
なる人もいます。神の立場からは、救いに早すぎるとか遅すぎる
ということはないのです。報酬を考えずに神と人とのために
喜んで奉仕するならば、天国では必ず素晴らしい報酬が与え
られるのです。



☆☆ YouTube動画の更新は暫くお休みします ☆☆

YouTubeの当教会チャンネルアドレス:
 https://www.youtube.com/channel/UC-fFJZs-MuQDsQI5iPKu8Bg

9月6日聖日礼拝
説教題
「とどまる」
聖書箇所
ヨハネ15章7〜10節


ショートメッセージ動画(9/6午前10:30公開)


8月30日聖日礼拝
説教題
「死からいのちへ移っている」
聖書箇所
ヨハネ5章24〜25節


ショートメッセージ動画(8/30午前10:30公開)
https://youtu.be/GwLfrxE6Wus

8月23日聖日伝道礼拝
説教題
「一粒の麦」
聖書箇所
ヨハネ12章24節
 伝道礼拝は教会へ初めて来会される方でも、分かりやすい
内容になっております。どなたでもお気軽にご参加ください。

ショートメッセージ動画
https://youtu.be/DmgpEpS0m5w

8月16日聖日礼拝
説教題
「しばらく休むがよい」
聖書箇所
マルコ6章30-32節

ショートメッセージ動画
https://youtu.be/6z4hMTycl78

8月9日聖日礼拝
説教題
「平和を追い求める」
聖書箇所
へブル12章14節

ショートメッセージ動画
https://youtu.be/Mg271Ir6D28

8月2日聖日礼拝
説教題
「最後にきよめる」
聖書箇所
Uテモテ2章20〜22節

ショートメッセージ動画
https://youtu.be/JuZ58qhcUXU

7月26日聖日伝道礼拝
説教題
「あなたも家族も救われます」
聖書箇所
使徒16章29〜34節
 伝道礼拝は教会へ初めて来会される方でも、分かりやすい
内容になっております。


ショートメッセージ動画(7/26午前10:30公開)
https://youtu.be/D2l2LL-KYfk


7月19日聖日礼拝
説教題
「試練と同情心」
聖書箇所
へブル2章17〜18節、4章15〜16節

https://youtu.be/ebfJMo9WYX4


7月12日聖日礼拝
説教題
「涙の谷を泉へ変える主」
聖書箇所
詩篇84篇5〜7節

https://youtu.be/N4T5Qb65c0A

<説教要旨>
この詩の作者はエルサレムから遠い外国におり、エルサレム
神殿への巡礼の旅を想像します。彼は自分の人生の歩みをこの
旅路に重ね合わせます。神が祈りに応えて力を与えて下さり、
ついに天の都に到着する様子を歌っています。

@神により頼み、神を思い求める人は幸い (5節)
「その力があなたにあり」とは自分の力に頼らず神の力に頼る姿勢。
「シオンへの大路」とは神を思い求める心、天国の代名詞。

A人生の苦難が恵みに変えられる (6節)
「涙の谷」とは全く水が無く、流す涙しか無いような荒涼とした土地
のこと。そこから人生の苦難を表わします。
「泉のわく所」「初めの雨」とは、秋の初めに降る雨のことで、夏には
一滴も雨が降らない乾ききった土地を豊かに潤してくれまし。

以上から、私たちは人生の途上でまったく水の無いような谷間を
通ることが示されています。しかし、心は常にシオンの大路(天国)
を歩いているから、希望が湧いてくるのです。神により頼み、神を
思い求めていくと、時が来て苦難が一気に恵みへと変えられるの
です。

イエス様はこのことを語られます。「わたしが与える水はその人の
うちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネ4:14)
イエス様の十字架のゆえに、私たちに決定的な滅びをもたらす罪悪
は取り除かれているからです。

B神の力をその都度頂きつつ天国へ行ける (7節)
作者は神の力をその都度頂きつつ、ついには天国に入れられる。
これは私たちも同じです。天国では神の御前で直接顔と顔を合わせて
礼拝し、永遠にお交わりすることが出来ます。神にある目標を持つと、
その人の人生は輝いて来るのです。



7月5日聖日礼拝
説教題
「イエスはすべての人の主」
聖書箇所
使徒10章34〜36節

ショートメッセージ動画
https://youtu.be/BqhK1CGYAbQ


<説教要旨>
イエス様の福音(十字架と復活の良き知らせ)がエルサレムから
世界へ向けて広がる中で、教会は3つの偏見を解決しました。

@民族
 ユダヤ人はクリスチャンになっても、外国人(異邦人)を「汚れて
いる」と言って、交わろうともしませんでした。しかし、神はローマ
帝国の百人隊長コルネリオの信仰と施しを例に挙げられました。
「神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても神を恐れ
かしこみ、正義を行う(神のみことばに聞き従う)人なら、神に
受け入れられる」(34,35節)ことが示され、民族的な偏見が取り
除かれました。
 
A食物
 神はペテロに幻を通し、食物の偏見を取り除かれました。「神が
きよめた物を、きよくないと言ってはならない」と声が掛かりました。
旧約聖書の律法の規定で汚れた食べ物であっても、神によって
きよめられ、食べて良いとされたのです。
       
B職業
 たとえユダヤ人同士であっても職業による偏見がありました。
皮なめしのシモンは、人々からの偏見のゆえに街の片隅で
ひっそりと生計を立てていました。
 しかし、そんな差別に苦しむ彼の家で異邦人のローマ百人隊長
たちと、ペテロたちユダヤ人クリスチャンが出会い、交わることに
なりました。イエス様の十字架と復活のゆえに、ユダヤ人も異邦人も
共に神を礼拝し交わる…これは教会のひな型でした。
 
 私たちもイエス様の十字架のゆえに、先ず罪が取り除かれて
神と平和な関係にされます。そして人間同士の狂った関係も
イエス様が介在して下さる時に、平和な関係にされるのです。
 イエス様こそ全ての人の救い主(36節)であり、救いにおいては
ユダヤ人と異邦人との区別が、イエス様のゆえにもはや存在しない
のです。


6月28日聖日伝道礼拝
 伝道礼拝は礼拝へはじめて出席された方でも
安心して礼拝できるような内容になっております。
説教題
「ひとり子を与えるほどの神の愛」
聖書箇所
ヨハネ3章16〜17節

ショートメッセージ動画(6/28午前10:30公開)
https://youtu.be/aFnRYsKxo9k

<説教要旨>
「そのひとり子」「御子」(16節)とはイエス・キリストのことです。
「世」(同節)とは罪に汚れたこの世界と人間のことです。
神の愛は具体的に次のような形で現わされます。

@関わる
 人は神を知りながら神に背いて罪を犯し、それが全世界に
広がりました。その結果、死と滅びを招きました。しかし神は
世を愛され、どこまでも人と関わろうとされます。神の愛は
様々な恵みの形で、イエス様を信じる人・信じない人、すべての
人に対し今も注がれ続けています。

A応答を求める
 神は人の幸せをひたすら願われます。神はイエス様を
十字架上に付けて、私たちにイエス様を救い主として信じるよう
求めておられます。なぜなら人が神から離れることは自ら滅びを
招くことになるからです。神の御心は私たちがイエスを信じ、
ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つことです。

B怒る
神は罪に対して、不正に対して正義の怒りをもって裁かれます。
神は愛なるお方であると同時に正義のお方でもあるからです。
罪や不正をいつまでも放置することは決してなさいません。
イエス様をこの世に遣わしたのは、世を裁くためではなく
救われるためだと言われます。イエス様は私たち人間を滅びから
救い出すためにそのすべての罪を背負い、十字架上で神の
怒りを身代わりに受けて死なれました。

ここで"裁き"には「滅びる」あるいは「決断」という意味が
あります。イエス様の十字架は私たちにイエスを救い主として
信じるか、信じないかの決断を迫っておられます。
 なぜなら、神の愛の場合とは違って、永遠のいのちはイエス様と
無関係には与えられないからです。驚くべきことに、イエス様を
信じる人は、今この瞬間に永遠のいのちを受け取ることが
出来るのです!


6月21日聖日礼拝
説教題
「神に義と認められる人」
聖書箇所
ルカ18章9〜14節

ショートメッセージ動画
https://youtu.be/O90Eyo-qHyw


<説教要旨>
 イエス様は自称義人で他の人を見下してしまうことへの警告と、
神に義と認められる人の姿勢をたとえ話で語られました。たとえ
では二人の人物が祈るために神殿に上ります。一人はパリサイ人、
もう一人は取税人です。

パリサイ人◇ ・社会的なリーダーで尊敬を受けている
     ・良い行いに励んでいたが、虚栄であり自己防衛の人
     ・お祈りのようだが、実はひとりごと
     ・神を見ずに他の人と自分を比較し、見下した

取 税 人◇ ・職業柄、人々から敵視され嫌われていた
     ・自分の罪を自覚し、神の前に自分を飾らない人
     ・他の人を見ずに、神のみを見上げた
     ・自分を飾らずに素直に神に憐れみを求めて叫んだ

 二人のうち、取税人が神に義(正しい態度)と認められ家に
帰りました。イエス様はこのたとえを通し、私たちは自分が罪人
だと徹底的に知らされる必要があることを示しています。
 イエス様の十字架以外に救いはないことを信じると、「罪の支配」
から解放されます。すると今度は、「復活の経験」をします。
「復活の経験」とは、イエス様にある新しいいのち(生き方)です。
 
 ですから、神の前に自分には「欠け」があること認めることは
恵みです。「欠け」があるから祈れるようになるからです。具体的
には、病になると祈らざるを得ません。人生に嵐が吹くような
問題が起きて心に平安がなくなると祈らざるを得ません。すると、
イエス様がこの欠けを埋めて下さり、平安を与えて下さいます。

 イエス様は「自分を低くする者は高くされる」(14節)と語られます。
神の前で自分を高く見せようとするのは高慢の表われです。
神の前にへりくだってお祈りする人を神は豊かに祝して高くして
下さいます。それは天国での神からの報いにつながっている
のです。


6月14日聖日礼拝
説教題
「信仰と御霊とに満ちた人」
聖書箇所
使徒6章1〜7節

ショートメッセージ動画
https://youtu.be/M6OWAZkVs_Q


<説教要旨>
 初代教会(エルサレム教会)が成長すると、大きな
2つの問題が起きた。一つは、人数の急増による
コミュニケーション不足によるパンの問題。
もう一つは使徒たちが食卓のことで時間が取られ、
神のみことばの奉仕が後回しになってしまったこと。
これは教会の危機であった。

 この背景には、すでに1万を超える人々が教会に
集い、外国生まれでギリシャ語を話す少数派の人々と、
イスラエル国内で生まれ育ち、ヘブル語を話す主流派
の人々との間では言葉や習慣が異なっていたことがあった。


 使徒たちは問題解決のため、「御霊と知恵とに満ちた、
評判の良い人たち7人を選」ぶ(3節)ことにした。
相応しい人物を立て、食糧配給の役割を委任した。
 相応しい人物の不和しい状況は、
・御霊  神に自分を委ね、聖霊のご支配にある
・知恵  神からの知恵に満ち、実際問題に対処できる
・評判  「よく証しされている」が原意。社会生活で信仰と
     人格の証しが立っている

 そして使徒たちは「祈りとみことばの奉仕に専念する」(4節)。
この提案を全員が承認し、使徒たちは祈って手を彼らの
上に置いた(按手した)。
 これらは新しい役割が7人の上に与えられたことを公にし、
必要な恵みが神から与えられるよう祈り、協力していくことを示す。

 今日も教会に集う一人一人には、神からの尊い役割がある。
それは人と優劣を比べるものではない。神は各教会に適材適所、
人を配置しておられる。
 
 ここで問題が何もないのが教会や私たちの人生で理想なの
ではない。教会は宣教を通して様々な人々が集い、養っていく上で
必ず問題は起きていく。
 大事なことは、こうした問題が教会や私たちの人生に起きて
来た時に、神の御言葉に従って問題に向かうこと。
神はむしろ問題や挫折、失敗や病などを通して私たちに悔い改めや
向かうべき道を明らかに示して下さることが多いから。

 初代教会(エルサレム教会)は、起きて来た問題を神からの
聖霊とみことばによる知恵とによって乗り越え、教会が強められた。
 すると、7節には「神のみことばはますます広がって行き、
エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの
祭司たちが次々に信仰に入った」とある。
 かつてイエス様を十字架につけた人々のいるエルサレムで、
本来反対勢力である祭司までが救われ、信仰に入れられたことは
驚くべき出来事であった。


6月7日聖日礼拝
説教題
「初代キリスト者の生活」
聖書箇所
使徒2章40〜47節

    ショートメッセージ動画
    https://youtu.be/dZYZuk1Ap-w


<説教要旨>

 ペンテコステ(聖霊降臨)によって誕生した教会では、初代
キリスト者たちによって次の4つのことが特徴的に行われ
ました。(42節)

@使徒たちの教えを固く守った
 「使徒たちの教え」とは、今日で言う新約聖書を指します。
使徒たちを通して伝えられたイエス様の教えに聞き従いました。
聖書の教えを整理し、また実際生活を学ぶことで神に近づく
ことが出来ます。

A交わりをした
 「交わり」という言葉には「共有」という意味もあります。
お互いに与えられているあらゆる祝福を共有するという、
深い霊的な交わりをしました。

Bパンを裂いた
 通常の食事とは区別し、イエス様が行うように命じられた
パン裂きの儀式(聖餐式)を行いました。そのことを通し、
イエス様の十字架の贖いを思い起こしました。イエス様にあって
一つの家族とされた、親密な交わりをしました。

C祈りをした
 彼らは集まるごとに祈っていました。祈りに真剣でした。

 これら初代キリスト者たちの生活ぶり、その姿は私たちの
模範です。「主も毎日救われる人が仲間に人々を仲間に加えて
くださった」(47節)ほどの著しい成長の理由は何だったのでしょうか?
 それは神を心から敬う敬虔さと温かい交わりだったからです。
その背後には、彼らがイエス様に信頼されるに相応しい魂の
状態にあったからです。

 現代の私たち一人一人も、初代キリスト者たちの生活を手本と
して心に刻みましょう。イエス様に信頼されるにふさわしい魂の
状態にされるよう、悔い改めと祈りをもって願い求めて参りたいもの
です。


5月31日ペンテコステ(聖霊降臨)説教
説教題
「聖霊が注がれる」
聖書箇所
使徒2章1〜4節

https://youtu.be/lBpVc_-pbbc

<説教要旨>

 天から注ぐ太陽の光と熱、降り注ぐ天からの雨に
よって地上のすべての生物が生きています。
 同じように、親の注ぐ愛情によって子供は成長し、
親の注意や保護によって子供たちは守られています。

 愛なる神から遣わされたイエス様は、十字架上の
死をもってご自分の愛をこの世に示されました。
 そして、いのちの水である聖霊を注いで信じる者を
聖霊の宮、すなわち生きた神殿として下さいます。
 このことはエゼキエル47章などのみことばによって
約束されていました。

 父なる神は、「わたしの霊をすべての人に注ぐ」と
約束され、ついに五旬節(ペンテコステ)の時に、
聖霊が弟子たちにくだり、約束が成就しました。
 本日の聖書個所にあるように、この聖霊の働きに
よって教会は誕生し、育てられ、二千年後の今日に
至っています。

 「風」(2節)は、息や霊とも訳される言葉。
息は人にいのちを与えます。息(あるいは風)が死んだ
ような人にいのちを与えることを象徴しています。

 聖霊を受けた使徒たちは、たった一回聖霊を受けた
だけではなかった。その都度、聖霊の感動と証しの力
を頂いて、イエス様の十字架と復活を唯一の救いとして
証しをし、力ある働きをしたのです。

 また、いつでも求める時に注がれます。人は注がれて
いる聖霊によって、未来に対する神の御心を知り、
無くならない希望を与えられています。そして豊かに
注がれる聖霊によって、神の愛を知らされています
(ローマ5:5)。
 
 「他国のことば」(4節)とは、聖霊に満たされると
外国語を話すようになる、というのではありません。
 クリスチャンだけに分かる会話ではなく、相手が誰で
あれ伝わる話をすることが出来るという意味。聖霊に
満たされる時に!
 その確信が来るまで、平安が与えられるまで聖霊に
満たされるよう祈ることが必要です。

 また、この神の愛を注がれた者は、自分の子のため、
子孫のため、若者たちのため、すべての人のために
心を注いで祈らなければなりません。(哀歌2:19)

 ペンテコステ以来、神の国が完全に実現するまで、
教会は聖霊によって働き続けるのです。
 神は霊の子(信仰の子)をこの世に生み出すために、
生みの苦しみをされます。陣痛をさえれる神です。
 先に救われ聖霊を頂いている人は、他の人のために
苦しみの祈りをし、また自分自身も良き聖霊の器と
されるよう苦しみの祈りをしなければなりません。


5月24日説教
説教題
「エルサレムにとどまる」
聖書箇所
ルカ24章45〜50節
   YouTubeオンライン伝道礼拝 

https://youtu.be/fxYZAS2b-AU
   
<説教要旨>

 イエス様は弟子たちに約束の聖霊を受けるまでは、
エルサレムの都にとどまるよう命じられました。

ではなぜ、エルサレム以外の所へはいけなかったので
しょうか。

@エルサレムは、イエス様が十字架上で死なれ、
全人類の罪の買い戻し(贖い)が実現したところだから


Aエルサレムはイエス様が死んで復活されたところ
だから

 人が救いの恵みを受けるためには、イエス様の十字架の
身代わりの死を信じると共に、イエス様が死から復活された
ことを信じなければなりません。

Bエルサレムとは、「神の平安」という意味だが、真の平安は
イエス様を信じて受ける平安だから

 それはイエス様の十字架を信じる信仰のゆえに、神の裁きから
解放された平安と、復活の希望による死の恐怖から解放された
平安だからです。

 このようにエルサレム、つまり「十字架・復活・平安」に留まる
時に、それぞれの人生また家庭に平安が満ちるのです。


5月17日説教
説教題
「舟の右側に網をおろしなさい」
聖書箇所
ヨハネ21章1〜31節
   YouTubeオンライン礼拝

https://youtu.be/wvaWe2RASd4
   
<説教要旨>

 弟子のペテロたちは、故郷のガリラヤに戻りそこで元の
漁師の仕事をしていました。彼らは夜通し働いたが何も
取れませんでした。収穫が無く、疲れ果てた時に、復活
されたイエス様が現われました。
 イエス様は彼らに「舟の右側に網をおろしなさい」と命じ、
彼らがその通りにすると大漁でした。

 彼らはかつて、同じような経験をしています
    (ルカ5章1〜11節)。
 また彼らの召命のみことばは「わたしについて来なさい。
あなた方を人間をとる漁師にしてあげよう」
    (マタイ4章18〜22節)でした。

 ペテロたちはその時のことを思い出し、再度召命に
導かれたことでしょう。そしてこのイエス様のみことばは、
以降のすべての宣教の働きの根幹を表わしていると言えます。

 また、人を救いに導く宣教の業は、人間の力だけでは
いくら働いても何の実を結ばないことを示しています。

燃え尽きたところへ、イエス様が来て下さいます。
 私たちもイエス様に助けを求め、指示されるお言葉通り
に従うことによってのみ実を結ぶことが出来ます。

 この経験は、その後の弟子たちの働きと歩みにとって
大きな支えになったことでしょう。結果が残らず働きに疲れを
覚える時、すでにイエス様がそばにおられ、助けを用意して
下さっていることを信じることが出来ました。世の終わりまで
共におられる主を見ることが出来ました。

 多くの魚がかかっても網が破れなかったのは、教会が
いつもイエス様によって守られていることを指します。また、
これ以降多くの弟子たちが全世界に出て行って人のたましいを
救いに導き、イエス様にあって一つとされることの約束です。

 さらにイエス様は、彼ら弟子たちのために炭火を起こし、
魚とパンを用意して待っておられた。主のために働く者に
休みと力を与えて労って下さる。行く先々に恵みを用意して
下さっている。
 またこの食事は、イエス様を中心とする聖餐の場であった。
聖餐は、十字架で死んで復活されたイエス様からの招きです。
それゆえ喜びに満ちたものです。


5月10日説教
説教題
「見ずに信じる者は幸い」
聖書箇所
ヨハネ20章24〜31節
   YouTubeオンライン礼拝

https://www.youtube.com/watch?v=nm0pTHCvMg4&t=73s

<説教要旨>

 復活されたイエス様は日曜日に弟子たちに姿を現わされました。
しかし、そこに「デドモ:双子」というニックネームのトマスが
居合わせませんでした。彼は直接イエス様にお会いすることが
出来なかったのです。今、集会を中止しているこのとき、改めて
集会の大切さをかみしめたい。

 他の弟子たちが「私たちは主を見た」(25節)と証ししても、
トマスはそれを信じることが出来ませんでした。彼はイエス様に
触って確かめることを求めました。

 このヨハネ20章で、マグダラのマリヤは復活されたイエス様に
お会いしているのに最初気づきませんでした(14節)。
弟子たちはイエス様を見てはじめて喜ぶことができました(20節)。

 トマスは自分には見えないと思っていたイエス様は、実は彼の
嘆きと悩みをお聞きになっておられたのです。イエス様は
一週間後の日曜には、再び姿を現わされました。それはトマスの
ためと言っても過言ではありません。

 イエス様はトマスに十字架上での傷跡をお見せになり、
「見ずに信じる者は幸いです」(29節)と言われました。トマスを
咎めるのではなく、トマスのところまで降りて来て、彼が信じられる
よう助けて下さいました。現代においても、その人が信じられるように
イエス様は寄り添って下さる場面を度々拝します。

 ここまでして下さったイエス様に対し、トマスはもはや触ることは
しなかったことでしょう。彼は「私の主、私の神」(28節)と告白しま
した。単にイエス様の復活を認めるだけではなく、「私の主、私の神」
と呼ぶ関係になること・・・これこそが31節に記された本書の目的
です。

31節「イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、
また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るため
である。」

 この栄誉がトマスに与えられた。彼はイエス様を信じ、自分の救い主・
神であると告白しました。まさに後なる者が先になった瞬間です。
 これは現代においても変わりません。イエス様を見て信じたトマスたち
よりも、見ないで信じた者の方がより幸いなのですから。


5月3日説教
説教題
「平安と派遣」
聖書箇所
ヨハネ20章19〜23節
   YouTubeオンライン礼拝
 
 https://youtu.be/rrGe5OgcEXY
 <説教要旨>

 復活されたイエス様が弟子たちに第一になさった
ことは平安を与えることでした。弟子たちはユダヤ人を
恐れ、固く戸を閉めて恐怖におののいていました。
 突然、イエス様が彼らの真ん中に立たれました。
復活されたイエス様は物質や時間に関係なく自由に
お働きになられます。

 イエス様は弟子たちに「平安があなたがたにある
ように」と言われました。これは通常の挨拶であり
ながらも、「神があなたがたにあらゆる良いものを
備えて下さるように」という意味が込められています。

 イエス様はこのみことばに続き、弟子たちに手と
脇腹を示されました。イエス様は十字架に釘打たれ、
ローマ兵に槍で脇腹を刺されました。しかし、イエス様は
復活された証拠として、その傷がいやされた跡を弟子
たちに見せたのです。弟子たちはそれを見て喜びました。
 現代でもイエス様にある復活の約束と喜びは、
私たちに不安と困難を乗り越える力になります。

 イエス様は弟子たちに平安を与えると、続いて遣わす
ことを宣言されました。今日でもキリストの弟子とされた者
には、神様からの尊い役割が与えられています。
 イエス様から派遣されるために必要なのは、聖霊を
受けることです(22節)。神は、人類の最初の人アダムに
のちの息を吹き込まれて、彼は生きる者となりました。
しかし、彼は罪を犯して栄光と地上における永遠の
いのちを失いました。

 そこで神はイエス様を通して私たちの罪を赦し、
イエス様と共に死に打ち勝つ「新しい人間」として
再創造してくださいました。イエス様はそういう私たちに
十字架による罪の赦しを伝える尊い役割を与えて
くださいました(23節)。

 私たちは呼吸を絶えずしていないと窒息してしまうように、
この役割を果たすためには絶えず聖霊の助けを頂か
ねばなりません。自らが罪赦され、きよめられた恵みの
体験を家族や周囲の人と分かち合って参りましょう。


4月26日説教
説教題
「共に歩まれるイエス様」
聖書箇所
ルカ24章25〜32節
    YouTube説教動画

 https://youtu.be/a1U_VM_MV9I

   <説教要旨>

 イエス様は聖書からご自分について二人の弟子に解き明かし
されました(25, 27節)。聖書全体がイエス・キリストを救い主だと
証言しています。イエス・キリストとは「イエスは救い主」という
意味です。神はイエス・キリストをこの地上に遣わし、罪から救わん
とするご計画を聖書に記し私たちに与えて下さいました。聖書
全部が大事です。聖書を千歳飴にたとえますと、どこを切っても
キリストが出て来ます。
キリストは必ず十字架の苦しみを受け、死んで復活される。
これが旧約聖書に予告されたことでした(26節)。

まずイエス様の方から二人の弟子に近づき、交わりを求められ
ました。今度は彼らがイエス様に一緒に泊まって下さるよう無理
に願い求めました(28,29節)。この切なる求めと深い交わりを
イエス様は喜ばれ、祝福して下さいます。

 夕べの食卓でイエス様はパンを割いて彼らに手渡されました
(30節)。イエス様は十字架で裂かれ、ご自身をいのちのパン
として私たちに与えようとされます。日ごとの食卓でイエス様を
覚えたいものです。

二人の弟子にイエス様のお姿が見えたり、見えなかったりする
のは、イエス様がいつも一緒にいて下さることを分かるように
されたからです(31節)。

二人はイエス様との交わりや聖書を開いて下さった時に、心が
燃えました(32節)。今日の私たちも祈りを通してイエス様と交わり、
神が聖書を通して自分に語って下さると受け止める時に、心が
燃やされます。私たちの心を燃やして下さるのは、イエス様の
私達人類への愛の炎です。


4月19日説教
説教題
「イエス様に目を開いて頂く」
聖書箇所
ヨハネ20章14〜18節
    YouTube説教動画

 https://youtu.be/wFA4WMNO1B4

   <説教要旨>

 復活されたイエス様が最初にご自身を現わされたのは、
マグダラのマリヤでした。なぜ彼女はイエス様の復活を
目撃するという栄誉に与かることが出来たのでしょうか。
 彼女はイエス様の体が納められたお墓が空っぽに
なっているのを確認しても、そのまま家に帰ることが出来
ませんでした。彼女は墓のそばで泣き続けていた。
 イエス様は涙を流してご自身を慕い求める者を決して
おろそかにはなさりません。イエス様は彼女の切なる
求めに応えて下さったのです。

 しかし、マリヤは復活されたイエス様にお会いしても、
それがイエス様だとは分からず園の管理人だと思い
ました。生前と復活後ではイエス様のお身体が違っている
からでしょう。
 イエス様が「マリヤ」(16節)と声を掛けられると、彼女は
イエス様だと気づきました。そして「ラボニ:私の先生!」と
返事をしました。現代の私たちもイエス様に目を開いて頂か
ねば、たとえイエス様と出会ったとしてもそれを認識できない
者なのです。

 マリヤがイエス様にすがりつこうとすると、それはよしなさい
と言われました。まだイエス様が父なる神の御許に上って
いないからだと理由を述べられました。そのことを弟子たちに
伝えるようマリヤに命じられました。彼女は確かにイエス様を
慕いつき従っていましたが、人間的な愛情の関係に留まった
ままでした。そうではなく、より高い霊的な関係に引き上げ
なければなりません。イエス様が父なる神の御許に上られると、
今度は助け主として聖霊が与えられることが予告されていた
のです。

 イエス様はもはや「ラボニ:私の先生」ではなく、「復活された
救い主」でした。科学が発達した現代においても、私たちは
死に対して無力です。愛する者の死の現実を前にマリヤと
同じように泣くしか出来ない者です。しかし、イエス様はこの
死という巨大な岩を打ち破って復活して下さいました。イエス様
の復活を世界で最初に目撃した証人として、彼女は弟子たちの
もとへ遣わされました。

 私たち一人一人もマリヤと同じように、きょう聖書を通し
イエス様から名前を呼ばれています。皆さんは何と応答される
でしょうか。それが神と自分(私)という人格の交わりであり、
信仰の原点なのです。イエス様は復活の新しい命を私たちに
与えんとしております。それは信仰を通して受けることが出来る
のです。

          

<過去の礼拝説教要旨はページ左側の
「過去の礼拝メッセージ」からご覧ください>



寺田末治牧師 召天賛美の集い
   2/23日 11:30〜12:00

 20日に召天された寺田師の遺言に従い、
 23日の礼拝に続いて記念会を行いました。



《久保川教授ご講演会について》
  
  時期をみて再度日程調整を行います。


  <昨年(2019)年の催し>


《マジックショー 12月1日()
 プロマジシャンフーガさん&はるかさん
  
 昨年に続き、今年もプロマジシャンのフーガさん・
はるかさんご夫妻がマジショーを行って下さいました。

☆9時30〜10時 教会学校にてテーブルマジック
☆10時30〜12時 礼拝の中でお証し
☆13時30〜14時30 マジックショー
☆14時30〜15時30 ティータイム

           
             
           
                   


 《一般高齢者向けの講演会》
  
日本保健医療大学教授の久保川真由美先生による
一般向けの講演が当教会で行われました。

 ◇タイトル「健康に老いるために
          ――老いと老年病――」
 ◇日時 10月27日(13:30〜14:30
 ◇会場 幸手キリスト教会
 ◇入場無料 

《久保川先生からのメッセージ》
 長寿社会日本では、100歳高齢者が7万人を超え、
国内最高齢が116歳と、人間の限界寿命に達する
状況になって来ました。「ピンコロ」と逝きたいもの
ですが、しかし、高齢期になると、老年病に罹りやすく
健康を害することが多くなります。健康長寿を保つに
秘訣はあるのでしょうか? 一緒に考えてみましょう。

《講師プロフィール》
 日本保健医療大学保健医療学部看護学科 教授
 老年・在宅看護額領域


                     



※当教会はエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教、統一教会とは一切関係ありません。
お困りの方はご相談ください。

幸手キリスト教会

〒340-0121
埼玉県幸手市上吉羽97−4

TEL 0480-42-1075