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毎週日曜の集会どなたでもお気軽にお越しください。         
 
9:30〜10:00  教会学校
(乳幼児から中高生が対象)月刊誌「ハッピー月号掲載
 
10:30〜12:00 礼拝
  
 11月17日聖日(日曜)礼拝
説教題
「もはや私でなくキリストが」
聖書箇所
ガラテヤ2章20〜21節


 
《マジックショー 12月1日()
 プロマジシャンフーガさん&はるかさん
  
 昨年に続き、今年もプロマジシャンのフーガさん・
はるかさんご夫妻がマジショーを行って下さいます!
         
             
           


12月22日(
 10:30〜12:00 クリスマス礼拝
 12:15〜14:30 クリスマス祝会(食事を囲んで)

12月24日(火)
 16:00〜17:00 クリスマスイブ礼拝
              賛美リード:大塚満師・治美師
                終了後にティータイム

 いずれも入場無料です。どなたでもお越しください。


 《一般高齢者向けの講演会》
  
日本保健医療大学教授の久保川真由美先生による
一般向けの講演が当教会で行われました。

 ◇タイトル「健康に老いるために
          ――老いと老年病――」
 ◇日時 10月27日(13:30〜14:30
 ◇会場 幸手キリスト教会
 ◇入場無料 どなたでもお気軽にご参加ください。

《久保川先生からのメッセージ》
 長寿社会日本では、100歳高齢者が7万人を超え、
国内最高齢が116歳と、人間の限界寿命に達する
状況になって来ました。「ピンコロ」と逝きたいもの
ですが、しかし、高齢期になると、老年病に罹りやすく
健康を害することが多くなります。健康長寿を保つに
秘訣はあるのでしょうか? 一緒に考えてみましょう。

《講師プロフィール》
 日本保健医療大学保健医療学部看護学科 教授
 老年・在宅看護額領域





<過去の礼拝説教要旨>

7月14日聖日礼拝
  「おおう愛」
       Tペテロ4章8節

「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は
多くの罪をおおうからです。」

 「おおう(覆う)」とは臭いものに蓋をしたり、罪を放置
することではありません。神は人の罪をすべてご存じ
です。神は罪を裁く前に、人を救うためにイエス・
キリストをこの世に送られました。イエス様は私たちの
すべての罪を背負い、十字架で血を流して神の刑罰を
受けて下さいました。神の私たちに対する愛は、
イエス様の十字架刑に現わされたのです。イエス様は
私たちの罪による痛みの過去を覆い包んで下さいます。
 神はこう宣言されておられます。

「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの
そむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さ
ない。」(イザヤ43:25)

イエス様の十字架を信じ、罪を悔い改めて赦しを体験した
人には著しい特徴があります。他者の赦された過去を
あばいて、いつまでも攻め続けることがないのです。
私たちは過去の罪に縛られることなく、イエス様にあって
明日の希望を持つことができるのです。

その人の罪の赦しの実感は、神への愛の度合いに比例
しています。少ししか罪を赦された感覚がないと、少し
しか神を愛さないからです。(ルカ7:47参照)
反対に、たくさんの罪を赦される恵みを味わうと、より神を
愛し従うようになるのです。

私たちはイエス様の十字架による罪の赦しを「ただ」で
頂きました。「ただ」で受けたものは、「ただ」で他者に
与えて当然です。「熱心に愛し合う」とは「互いに謙遜に
なって、心から仕え合いなさい、赦し合いなさい」と言う
意味です。この模範をイエス様は残されました。たらいに
水を入れ、腰に手ぬぐいをまとい、弟子たちの汚れた
足を洗って拭かれたのです。
 私たちも互いに足を洗い合う、つまり赦し合うことに
よって、神から頂いた愛をこの世に表わして参りたい。


7月7日聖日礼拝
  「自己愛から十字架の愛へ」
       マタイ22章36〜 40節

ひとりの律法(旧約聖書)のユダヤ人専門家が、
イエス様を試そうとして質問しました。「律法の中で、
大切な戒めはどれですか。」 彼は律法を丸暗記して
おり、すべて守り行っていると誇示したかったので
しょう。
 
 しかし、彼にとって神の戒めは「義務」であり、
「重荷」だったのです。神は戒めを語られる前に、
こう語られました。「わたしは、あなたをエジプトの国、
奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」
神を知りながら意図的に反逆し、罪の奴隷となった者
を救い出したと、そのご愛を示されたのです。

 人は神の前に罪人です。これがあるがまま、裸の
自分です。滅ぼされて当然の存在です。しかし、
人は神の愛を注がれて、はじめて神を愛し、喜んで
従うようになります。その戒めが「心を尽くし、思いを
尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主(救い主)
を愛せよ」なのです。
これは愛ゆえの恵みです。この神の愛はイエス・
キリストの十字架によって、罪の身代わり(贖い)の
愛としてすべての人に明らかに示されました。

 イエス様は第二番目に大切な戒めとして「隣人を
あなた自身のように愛せよ」を引用されました。程度の
差はあれ、誰でも自己愛(自尊心、自己中心性)を
持っています。自己愛が強いと必ず周囲との関係が
崩れていきます。しかし十字架の愛を注がれると、
神を愛すると同時に、自己愛が必ず隣人への愛へと
転換・発展させられるのです。

 けれども自己愛が未熟のままでいると、神より自分
中心、隣人より自分中心のままになります。神は
すべてを見通されるお方です。この律法学者は自分を
良く見せようと偽装していました。神の前に罪を隠す
自己保身の態度です。これはクリスチャンであろうと
なかろうと、年数が経つことでは決して解決できません。

先ず神の前にあるがままの自分として罪を悔い改める
姿勢を取ることです。神はそうする人を必ずご自身の
かたちに似るよう、すなわちイエス様の姿へと内側から
変え続けて下さいます。


6月30日聖日礼拝
  「使徒たちの祈り」
       使徒4章23〜37節

 本日の聖書箇所には初代教会における使徒たちの
祈りが記されています。これは祈りのひな型です。

@祈りの友のところへ
 使徒ペテロとヨハネはユダヤ人指導者たちに捕まり、
これ以上イエス様の福音を語ってはならないと脅迫
されました。二人は釈放されると、すぐ仲間のところへ
行って自分たちが言われたことを残らず報告しました。
 すると、これを聞いた人々はすぐに神に向かって祈り
始めました。
このことは、私たちも困難や試練に遭った時に、先ず
祈りの友のところ行くべきだと示しています。

A神は全てにまさる主権者との告白
  彼らは「主よ」と神への呼びかけで祈り始めました。
神こそ、どのような権力者にもまさる真の主権者であり、
敵対者も自分たちも神の御手の中にあることを告白
しました。

Bみことばに基づく祈り
  彼らは旧約聖書の詩篇のみことばを引用して祈り
ました。"神は聖書を通して何と言っておられるか"を
祈りの軸にしたのです。みことばを通しイエス様の
十字架刑による救いとこの世の反逆を証ししました。

C宣教の前進のため
 彼らの祈りの結びは「願い」でした。第一は「大胆に
みことばを語れるように」、第二は「癒やすことができる
ように」という内容でした。彼らは自分たちの安全を第一
に求めたのではなかったのです。
 イエス様の御名によって、力あるわざが行えるよう
求めたのでした。

 こうして心と思いをイエス様にあって一つにしていた
結果、すぐに祈りは応えられ、大いなる恵みが彼ら
一同に注がれました。教会における十字架の愛の
交わりの生活こそが福音伝道の原動力となったのです。
                          



※当教会はエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教、統一教会とは一切関係ありません。
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