日本キリスト教団

20200614 説教ダイジェスト
礼拝説教要約「なんと美しいことか」
 ローマの信徒への手紙
10章5-15節
  今日は、15節の言葉、「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」 を心に留めたいと思います。

 パウロは、私たちが神様のみ言葉や、神様の話を聴いて信じることで、信仰を与えられると記しています。今日の個所で、私たちに神様のことを語り伝えた人がいるはずだと言って、その人はなんと尊いことか、美しいことか、と言うのです。パウロもそうですし、私たちも、福音の伝達の流れの中にいます。

 信仰を伝えたい。ちゃんと伝えられたかどうか、焦らなくていいと思います。何十年も祈り続けて、そして私が死んでから、やっぱり信じますと言う人が現れる、これも素晴らしいことです。公民権運動を指導したキング牧師の夢、いつ実現しますか。たくさんの人が、その日が来ることを信じています。その時を、神様は備えていてくださいます。口語訳の伝道の書3章「1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。・・・11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。」

 「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」。イザヤ書52章の言葉の引用です。ある一人の預言者が遠くバビロンから、はるばるエルサレムにむけて砂埃の舞い上がる砂漠の中、遠い道のりを歩みとおし、「エルサレムにあなたがたの神は世界の王になった」と告げるというのです。神の都、神殿の都エルサレムの威信、神の威信が取り戻され、これ以上嬉しい知らせ、誇らしい知らせはなかったでしょう。良い知らせを告げる人は、それまで気が付かなかったこと、神の救いの中にあることに気づかせるのです。この人の存在はかけがえなく大切で尊く、美しいのです。とても素晴らしいのです。

 「美しい」という漢字は、上は羊という字、下は大(おおきい)です。二つ合わせて、大きい羊ということを表す字です。一説では、小さいよりも大きいものが善いとされ、大きい羊を捧げた。神様が喜ばれる完璧な捧げものは、大きい羊。それで美しいということを表すようになった。他の説では、羊は、古代中国では日常的によく食べられていた。おいしい羊が、さらには大きいということが何より善いことであった。それで、大きい羊が美しいとなったというのです。


 口語訳では、この「美しい」は「麗しい」でした。「麗しい」という漢字、下は鹿。上は鹿の角。鹿の角が立派に並んでいる、整っていることが良いこととする、そういう美しさを表す漢字です。見た目のこと、外見の美しさを言うのです。

 ですから、「美しい」は内実のある美しさ、「麗しい」は外見の美しさです。羊は美味しいのです。美しい味です。見た目でなく内実があります。心に訴えるものを備えているのです。

 思い起こせば、不信仰な私を神様の方に引き戻してくれた人がいます。本当に感謝です。私の人生の中で、美しい存在です。高校3年の倫理社会の授業を担当してくださった先生を忘れることができません。哲学の祖ソクラテスの話を聴いて、私は自分がクリスチャンであることを思い出したのです。ソクラテスは、私たち人間は、突き詰めていくと何も知らない、知っているような顔をしているが理を尽くしていくと本当は知らないのだということを暴き出し、だからこそ、知ること、考えること、知恵を持つことの大切さを説いたのです。哲学の始まりです。自分が何も知らないということ、無知であることを知る自覚する、このことの大切さを説くのです。「無知の知」という言い方をします。私の心に、何も知らない、無知の知という言葉が響きました。

 私は思いました。人間は何も知らないのだ。私も何も知らないのだ。でも、神様はどうか。この世界を作った神様なら、すべてを知っておられる。そして、私は、神様がおられることを知っている。神様を信じているんだ。これは、私の特徴であり、掛け替えのないことだ。神様を知ることによって、私は何も知らないことを知らされながら、私の人生の長い道のりを通してわからないことがあっても、神様がわからせてくれる、知らせてくれることを知っていくことができるのだ。神様の真実さと愛を知っていくことができる。まとめていうと、こういうことで神様を知らせる人になろう、それが私にとって良いことだと思ったわけです。それで、神学部を選んだのです。

 公立の高校でも、クリスチャンの先生がおられました。日本史の先生が私のことを覚えてくださり、年賀状をくださいました。そこに、「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」イザヤ書52と記されていました。多くの人にとって美しい存在になれとお励ましの言葉と受け止めました。これは、大変ですね。無知の知です。私には知らないことがたくさんありますから。何が大切なことか、最も善いことなのか、神様の御心なのか、皆さんと一緒に取り組んでいけたら嬉しいです。


  私たちに良い知らせ、イエスの救い、神様の慈しみに気づかせてくれた人がいます。教会で出会う人たち。私達にとって、どの人も美しい存在だと思います。私たちの出会う人、どの人も神様が私たちに遣わしてくださった人です。神様の声は思いがけない時に、思いがけない人から聞こえてくるもののようです。讃美歌461「さびしき野べにも にぎわう里にも たえなるみめぐみ 日に日に受けつつ みあとを行くこそ こよなきさちなれ」。日ごとの出会いや関りの中に神様が大切なことを、私達にささやきかけておられます。


 
   
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