日本キリスト教団

20200802 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「一握りの小麦粉」
列王記下17章8-16節

  私達の神は、命を授け、与える神です。神様は命の源です。生きとし生けるも のに命を与え、育み支え守り、健やかに生かしてくださいます。

 今日の聖書の箇所では、イスラエルは飢饉の真っただ中。イスラエルの王様ア ハブがイスラエルの神を捨てて、土着の神バールを礼拝するようになったので、 雨を降らせなくして、この不信仰な王様に対して、真の神は聖書の神であること をはっきりとさせようというのです。雨を降らせ、生きとし生けるものに命を与 え育んでいるのは、バールではない、真の神だと示そうとしているのです。

 もし神様が雨を司る神というだけなら、それはバールと同じこと、豊穣多産の 神ということです。しかし、神様はこれだけではないのです。モーセは神の民に 十戒を示して言います。申命記 30:19「わたしは今日、・・・生と死、祝福と呪 いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るよ うにし、20 あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。それが、 まさしくあなたの命である。」神に従う人が命を得るのです。

 私達は命あって生きているので、動き回ることができる、一生懸命に何かに取 り組むことができ、目覚ましい成果を上げることができる。これが、命です。私 達が日々の生活や働きにおいて心の底から充足して生きていくことができる。 これを平安、平和と言います。シャロームです。神の言葉を尊び従う人に命があ ります。命を喜び満喫する、命あって生きていることを喜んでいる、命を思うま まに用いて生きていける、これが平和ということです。私達は、神と人を尊び、 神と人とが、人と人とがあるべき姿にしていき、お互いに厳しい目を向けて妨げ 合うことなく、問題なく命満たされるようにできるのです。平和になるのです。

 もしも、バール神によって畑の作物が豊かに実ったなら、その実りを人はいっ たいどうするのでしょうか。自分の倉の中にしまい込んでしまい、もっともっと 欲しいと欲張るのではないでしょうか。これが私たち人間です。しかし、聖書の 神を尊び従うなら、命が与えられ、平和が与えられるのです。畑の作物だけでは 終わらないのです。

 今この世界は、どうなっているのか。目に見える豊かさ、物質的な恵み、豊か さ、これを追い求め、これがすべての判断基準になっている。バール神を礼拝す るアハブ王のようです。真の神はどこにいるのか。私達は信じているのか。神様 を尊んでいるのか。もしそうなら、命があり、平和があります。

 サレプタのやもめは、預言者エリヤの言うとおりにしました。なけなしの小麦 粉でパンを作り、それをまずエリヤに渡したのです。つまり、やもめはエリヤを 信じたのです。そのようにして、エリヤを遣わした神様を信じたのです。一握り の小麦粉しかありませんでした。しかし、このわずかなものをどうするのか、こ こに、やもめの真実な思いが現わされています。このやもめの真実な思いに神様 は応えて、命が与えられたのです。小麦粉は尽きることはなかった。このやもめ の後に続く人に、命が与えられ、平和が与えられます。

 戦争が終わった時、私の母は5歳でした。疎開先で熱を出し、栄養をつけよう と母親に卵を一つ食べさせてもらいました。卵一つがとても贅沢でした。人に見 られないように、物陰に隠れてこっそりと食べました。兄や姉たちは、勤労奉仕。 若い青春の日々を工場に行って働き続けねばならなかった。命を満喫するなど 許されなかった。命をすり減らして、何とか生き延びた。戦時中、まだ幼い父は、 両親に連れられて教会でクリスマスを祝った。一杯のお味噌汁がクリスマスの 御馳走だった。この時、一握りの小麦粉が、どれほど大切だったことだろう。

 私達が生きているこの世界では、もっとたくさんの物を手に入れようとする 人たちが、戦争をします。しかし、戦争は、ほんの一握りのわずかな小麦粉が、 とても大切なものに変えてしまいます。一握りの人たちが、たくさんのものを求 めることが、その他のたくさんの人々には一握りの小麦粉をすら手に入らない ものにしてしまうのです。

 サレプタのやもめのもとに、神様がエリヤを養いました。やもめは、なけなし の、一握りの小麦粉をまず預言者エリヤに、神様に。今、私達は、平和を願って います。一人一人が生きていることを喜んでほしい。そのために、エリヤにパン を差し出したやもめの心を、ほんの少しでも与えられたい。神様を尊び、神様に 従い、命を平和をもたらす者としていただきたいと思います。
 
   
 愛隣こども園
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