日本キリスト教団

20200816 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「ギデオンの問いかけ」
士師記6章33-40節

  昔、神の民イスラエルには、「士師」と呼ばれる人がいました。神の民に危機 が迫る時に、神様に呼び出されて指導者になり、たくさんの兵隊を率いて敵を追 い払いました。まだ王様がいない時代でした。この6章では、ミディアン人が攻 めてきて、ギデオンに聖霊が下り士師となって敵に立ち向かいました。

 今日の箇所では、士師であるギデオンが迷っています。戦うべきかどうか、迷 っています。それで、ギデオンは神様に問いかけ、今戦うことが神の意志である という証拠を求めるのです。神の意志であるという確証を得たいのです。 この箇所は、何を物語っているのでしょうか。ギデオンは迷っている。躊躇し ている。こういう姿を見せられますと、ギデオンは戦うことに慎重だったと思わ せられます。

 宗教では、聖戦という言い方をします。神様の戦いです。神様は平和の神なの に戦うのかと、私達は違和感を感じますが、旧約聖書を読むと、神様が敵を追い 払うのです。神の民は武器をもって戦うのです。人類の歴史を振り返って、人を 殺してはならない、武力で戦争をしてはならないということを言うようになっ たのは、哲学者のカントあたり、今から200年前です。それまでは、世界中で、 何かあると戦争をしていたのです。兵隊がいて、武器をもって、敵と戦う。従わ ない民衆を力で従わせる。こういうことが普通だったのです。

 宗教改革者のルターも、国家に軍隊があることを当たり前としています。兵士 が救われると言っています。今でもキリスト教の国、アメリカの軍隊に従軍牧師 がおり、戦闘前には、神様に敵をやっつけられますように助けてくださいと祈っ ています。まさに、キリストとアッラーの戦いをしています。

 4世紀のアウグスティヌスも、国家は戦わざるを得ないことがあると認めて います。聖戦の5つの条件を提案しています。明確な侵略の脅威、先制攻撃の禁 止、最高の政治機関による承認、自衛的な限定戦争(戦うだけで、物も領土も何 も取り上げない)、戦後の確実な改善の見通し。

 私達も、迷うことがあります。神の意志であるということを知ることは、人間 にはとても難しいです。迷い、納得がいかない、確信が持てないままです。私達 は人生の旅の途中で、迷います。人生の最後の答えがわかっていたらなあ、知り たいなあと思います。でも、答えがわかっている人生というのも味気ないかもし れません。

 16世紀のドイツ。宗教改革をなしたマルティン・ルター。協力者メランヒト ンに手紙を書いています。改革ですから、国のいろいろな仕組みを変えていかな ければなりません。方向を示して、指導しなければなりません。責任重大です。 メランヒトンは、遠い町に出かけて行って、今、どうするかを問われていました。 ルターは「大胆に罪を犯しなさい。そして、間違ったことに気づいたら、大胆に 悔い改めなさい。」と書きました。失敗を恐れるな。失敗したなら、悔い改めよ。 大胆であれ。前に進むにも、悔い改めるにも、大胆であれ。すべて神に委ねよと いうことでしょうか。ルターは、完全完璧、罪のない人はいない。私達の罪を赦 すキリストを信じて救われる。これがルターの主張したことです。

 人は誰でも迷う。このことを思うと、イエス様の最期の姿を思います。ゲッセ マネの園で祈られました。マタイ 26:39「父よ、できることなら、この杯をわ たしから過ぎ去らせてください。」イエスは十字架が本当に神の御心なのか迷い の中にありました。御心だと信じたい思いもあったと思います。イエスは十字架 の上で叫ばれました。マタイ 27:46「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てに なったのですか。」

 このイエスの姿は、人生の途上でいろいろな迷いの中にある私達、神のみ心を 問う私達の姿です。このイエスは、神のみ心を問う私たちと同じ姿になられ、私 達と共におられます。人は誰でも、迷う。神に問わざるを得ないということを、 わかっておられます。迷い続けることを憐れみ慈しんでくださいます。神のみ心 がわからない。迷い疑う。これは、私達の逃れられない重荷です。そして、本当 に見るべきものに目を向けさせる大切な宝物です。

 第2代国連事務総長、スウェーデン人ダグ・ハマーショルドは、死後、ノーベ ル平和賞を受賞しました。コンゴ動乱の調停のために乗った飛行機が墜落し命 を落としました。重責を担いつつ、道を求めて人知れず綴られた黙想の書(メモ 書き)「道しるべ」(1963年)があります。そこから、抜き書き。「迷いの中 で、問われている。「お前が試みねばならないこと、おまえ自身であること。」「彼 は(イエスのこと?自分のこと?)失敗しても自己憐憫に陥ることなく、成功し ても自己賛美に陥ることがなかった。とうとう最後の一文まで使い果たしてし まったのを自覚してさえいれば、他人がその結果をどう考えようとかまわなか ったのである。」「すべてを得るためには、すべてを与えねばならない。」

 赦してほしい、助けてほしい、しっかりさせてほしい。いろんな思いの渦の中 に、神様にすがった姿が思われます。神様がいつも彼と共におられ、そして、神 様が見るべきものを、人として大切なものを見せてくださったでしょう。二つと ない、かけがえのない人生だったと思います。


 
   
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