日本キリスト教団

20200906 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「世の光、命の光」
ヨハネによる福音書8章12節

  お寺の玄関に「一寸先は闇」と書かれた看板がありました。その看板を見るた びに、一寸先は闇だとしても、私にはイエス様がおられる。闇では終わらないの だと思いました。ヨハネ福音書1章1節「初めに言があった。言は神と共にあっ た。言は神であった。1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」。
 
一寸先は闇。そして、イエス様は「私を信じるものは闇の中を歩まず」とおっ しゃいます。ヨハネ福音書では、「世」とは人間の私利私欲、利己心、神への反 抗、罪、そういうもので渦巻くところ。この世は闇の世界。

 私達を待ち構える闇。不安、生きていくための悩み、生きていることでの悩み、 明るい未来は信じられない絶望、心の痛み、体の痛み。どうしても治せない病。 自分ではないも問題を解決できなくなる八方塞がりや不条理。憎しみ、嫉妬。ひ とりぼっち、孤独。自分のことばかりを思う利己心。そして、老いることや命の 終わり、死。新型コロナウイルス感染症。昨年はこんなことになるとはだれも思 っていませんでしたから。しかし、イエスは世の光。世を照らす光です。闇に覆 われているこの世を照らして、神の救いをもたらします。

 ヨハネ福音書の中で、イエスはご自分のことをいろんなものに喩えられます。 私はぶどうの木である。私は良い羊飼いである。私は命のパンである。そして、 私は世の光である。ご自身が神様である、神の子であるということを伝えようと なさるときには、「私は」ということを言って、「私は〇〇である」と言われます。 私は世の光である。私は神様がこの世を照らされている本物の光、神様の救いを この世にもたらす光である、ということです。イエスは、この世に神様の光を照 らしています。神様の愛の光が、見るべき目にはこの世を照らしているのです。

 クリスマスに、イエスの誕生を祝います。世の光イエス、救い主の誕生です。 毎年のクリスマスに、イエスを信じる人の心の中にイエス様はお生まれになり ます。私達の心の中に、世の光イエス様が青生まれになるのです。イエスは仰い ます。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を 持つ。」
 
  私達一人一人がイエスの光、命の光を持つのです。神様から光を与えられるの です。この世の光、真の光を信じる人は、頼りにする人は、世の光に支えられ慰 められ、道を示され、闇の世の中をも歩むことができます。「あなたがたには世 で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」世 を覆う闇に、主なるイエスは今、既に、打ち勝たれている。イエスの愛を全身に 受け、救いに導く光に照らされ、神様の確かな御手の内に守られて歩むことがで きる。イエス様は、私達を招いておられます。世の光、救いの光の中を歩みまし ょう、と招いてくださっています。

 NHK の特集番組で、ロシアの田舎のある村にあるロシア正教の教会で礼拝を している様子が映されました。あたりが暗くなった夜に、教会の周りの人たちが 集まってきます。手に手にランプを持っているのです。礼拝堂には照明は一つも ありません。けれども、たくさんの光が集まり、礼拝堂の中は程よい明るさにな ります。礼拝堂の前にはイコン、キリストの姿が描かれています。真っ暗な礼拝 堂に、皆が持ち寄るランプの光が揺れて、キリストの姿が映し出されていました。 厳かな礼拝がなされていました。

  ロシアの冬の時代、ソビエトの宗教統制の日々。信仰を否定されて、何百人と いう、たくさんの修道士や司祭が殺されました。そういう冬の時代を生き抜いた 教会、信仰です。一人ひとりの信仰の光が礼拝堂を照らし、キリストの姿を映し 出すのです。苦難の時代を生き抜いた信仰、信仰を守り抜いた人々の姿を映して いました。一人一人が手に持つランプの光が揺れる礼拝堂。たくさんの明かりが ともる礼拝堂。闇の中を生き抜いた光だからこそ、心に迫るものを感じました。 「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」 この言葉を思い出したことです。

 イエス様の愛を信じ、救いを信じて、心を確かにして歩みましょう私達の心の 中にイエスの光、世の光が輝いています。この世の命が終わっても、イエスの光 は私達の内に輝き続けます。この世を歩む時。そして、この世の命を終えてから。 私達の内で輝く光は、命の光、永遠の命に導く光です。決して消えることはあり ません。

 
   
 愛隣こども園
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