神の民ユダヤの国はバビロン帝国との戦いに負け、多くの民が連行されまし た。その後、ペルシャ帝国にバビロン帝国が滅ぼされ、連行されていたユダヤの
人々が解放されました。
今日の 50 章は、バビロンがもうすぐ滅びるという時に、預言者エレミヤが、 ユダヤの人々が解放され自分たちの土地エルサレムに帰ると予告しています。
4節「彼らは泣きながら来て/彼らの神、主を尋ね求める。」エルサレムに帰っ てきたユダヤの人々は、自分の信じるべき神は誰なのかを思い出し、神様を信じ
礼拝する生活を取り戻すのです。
6 節では、「わが民は迷える羊の群れ。羊飼いたちが彼らを迷わせ」た。国が 滅んだこと、連行されたこと、その原因はユダヤの国の羊飼いたちの責任である
と語っています。「羊飼い」とは、王様のこと。王様は、羊飼いが羊の群れを御 すように、平和に導かねばならないのです。しかし、それができていなかった。
国や多くの人の集まる集団を治めるべき立場にある人の責任が問われています。
神様を信じることの大切さを身に染みて学んだ人々が、新たな思いで神様を 求めるのです。自分の人生を、信仰生活をやり直すのです。預言者エレミヤは、
エルサレムに戻る人々は、必ずやり直せると励ましたいのです。
解放されたならユダヤの人々は、エルサレムに戻るでしょう。シオンで「彼ら は主に結びつき」、信仰生活を始めます。その時、思い出されるのが「永遠の契
約」です。
旧約聖書で、神は何度も契約を結んでおられます。創世記17章では、神はユ ダヤ民族の祖アブラハムと契約を結びました。神様がユダヤの神であり、ユダヤ
の民は神の民です。神様はユダヤの民を恵み、平和を与えると約束されました。 シナイ山で、モーセは神様から十戒を授かりました。十戒は、神と民の契約(シ
ナイ契約)です。これが、神と民の決定的な契約、絆となりました。
さらには、神様と契約を結んでダビデは喜びの声をあげています。サム下23 「5 神と共にあってわたしの家は確かに立つ。神は永遠の契約をわたしに賜る
/すべてに整い、守られるべき契約を。わたしの救い、わたしの喜びを/すべて 2 神は芽生えさせてくださる。」
そして、預言者エレミヤも、「永遠の契約」ということを語っていました。32: 「40 わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。
またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れることのないようにする。41 わたしは彼らに恵みを与えることを喜びとし、心と思いを込めて確かに彼らを
この土地に植える。」
神様は、神様に背き、神様を忘れた民を、もう一度身元の招かれます。神様は この民の神であることを喜びとしておられます。契約はいつも、神様の方から示
されました。神様が一方的に、あなたと契約を結ぶと近づいてきてくださいまし た。神様はユダヤの民がどんな民であろうとも、ユダヤの民の神であることを決
して辞めません。どんな民でも、恵みを与えることを喜びとしておられます。こ こに、ユダヤの民が神様をもう一度信じること、神の民となることの根拠がある
のです。神様がずっと神様であり続けてくださる。恵み深くいてくださる。この ことは決して変わらないし、これが私達の信仰生活の土台、拠り所なのです。
もし、神様が約束を破ること、なかったことにされるということがあるのなら、 私達は何を信じたらよいのでしょうか。けれど、神様は真実な方です。必ず契約
を全うされる方です。だから、神様なのです。神様との契約は、決して変わるこ とがない。永遠に変わることのない契約です。神様が真実な方である、だから神
の契約、神の約束は永遠の契約です。神様は私達と、永遠に変わることのない絆 を結んでくださっているのです。
イエス様は最後の晩餐の時、弟子たちにブドウ酒を差し出して言われました。 「これは多くの人のために流される私の血、契約の血である」。イエス様が流さ
れた十字架の血は、神様と私達とが交わす契約のしるしです。罪人を赦し御許に 招くためには、罪なき正しい方、イエス様が私達の代わりに十字架にかからり、
血を流さなければならなかった。イエス様の十字架は、神様は永遠に真実である ことのしるし、永遠に私達を愛する方であることのしるしです。
イエス様がその命をもって、神様が真実を貫く方であることを示してくださ っています。私達は神様と永遠の契約、永遠の絆でつながっているのです。
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