日本キリスト教団

20200927 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「愛を知るために」
エフェソの信徒への手紙3章14-21節

  先日、保育園の礼拝で、インドで働いたマザー・テレサの話をした。子どもたち から質問があった。「マザー・テレサのような愛の人は、仙台にもいるのか?」私 が思い出したのは、仙台市の『光ヶ丘天使園』という児童養護施設のブラザー・サ ルト・ベランジェ(カナダ人、宣教師)。戦争直後のこの孤児院に、小説家・井上 ひさしがいた。ここでキリスト教と出会った。

 宣教師たちの生きざまを見て神の愛を知った。『私が信じたのは、遥はるかな東 方の異郷へやって来て、孤児たちの夕げをすこしでも豊かにしようと、荒地を耕し 人糞を撒き、手を汚し爪の先に土と糞をこびりつかせ、野菜を作る外国の師父たち であり、母国の修道会本部から修道服スータンを新調するようにと送られてくる 羅紗の布地を、孤児たちのための学生服に流用し、依然として自分たちは、手垢と 脂汗と摩擦でてかてかに光り、継ぎの当たった修道服で通した修道士たちだった。 別の言い方をすれば、私は天主の存在を信ずる師父(修道会の神父様)たちを信じ たのであり、キリストを信ずるボロの衣服の修道士たちを信じ、キリストの新米兵 士になったのだった。』(『道元の冒険』あとがき)

 さらには、進駐軍の兵隊が施設にやってきて、ピストルを握って、子どもたちに 向けた。その時、神父が体を張って守ってくれた。神の愛を知った経験だった。こ の時のことを、「初めてアイスクリームを食べた時のようだった」と回顧している。 食べてみて初めて、アイスキャンディートアイスクリームの違いが分かった。生ま れて初めて分かった。想像を超えたものだった。この驚き、これぞ神の愛を知ると いうこと。味わってみて知るもの。

今日の聖書の言葉「愛に根差し、愛にしっかりと立つ。」頭の中でわかっている というのではなく、私たち一人一人が日々の生活の中で経験することを通して、実 際の経験として愛を知ることです。

 実際に人を愛することがきっかけとなって、それまで知らなかった神様のこと や、隣人のこと、さらには自分自身に目を開かせられることがある。実際の経験を 通して、つまり、私はちゃんとできているのか、いや、できていないか、あるいは、 予想もしていなかったことが起こる、そういう経験をして、神様は愛なのだと知 る、愛が必要だと知る。私達には、こういう道筋があるのだと呼びかけている。

 私達の人生には思い通りにならないことがあり、不条理があり、悔しいことも悲 しいこともある。しかし、そういうことを通して、キリストの愛を感じたり、神様 の導きを感じることができるならば、それは掛け替えのないことです。このことを 2 信じて、パウロはこの手紙を書いています。4章1節「囚人となっているわたし」。 パウロは、獄中でこの手紙を書いている。そして、14節「こういうわけで・・・ 祈ります。」パウロは、獄中で神に祈る。神に兄弟姉妹を託す。

 キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知るようになりますように。上下左右、 四方向に神の愛が広がっていくイメージ。キリストの愛が宇宙全体に膨れ上がっ ていき、この地球、この世界を包み込み、覆いつくすかのようなイメージ。キリス トの愛が、計り知れないほど大きく、知れば知るほどにさらに大きいことを知る。 こうして、キリストと共に、キリストに愛され、生かされ、その人生がキリストに よって計り知れないほど良い人生、満たされた人生になるようにと祈る。

 パウロは、明日も知れない獄中でこういう願いを抱いているのです。信仰の友の 幸せを願い、信仰生活のもたらす良いものに満たされることを祈る。パウロ自身、 キリストのような人。愛に満ちた人だ、愛を知る人だと思う。

 『教会を必要としない人への福音』(W.H.ウィリモン)という本を読んだ。神様 やキリスト、ましてや神の愛は必要ないと持っている人のことをめぐっての本。私 の見聞きしたことを、いくつか。あるご婦人が、洗礼を受けることに抵抗していた。 神様の完璧な愛を、今すぐに実践しなければならないと強いられているように感 じていた。周囲になだめられ誤解が解かれ洗礼を受けた。また、ある壮年が、「私 の妻は、神様の愛は余計なものだというんですよ。そんなものなくても、と言うん です。」とおっしゃった。もう一人。あるご婦人が洗礼を受けた理由。ある日台所 に立っていて、ハッとわかった。私には愛がない。そう思ったので、すぐに牧師さ んのところに行って洗礼を受けたいと言ったのだそうです。

 神の愛に対する気持ちの持ち方の違い、これはどういうことなのでしょうか。同 じ世の中にいても、神の愛に対して気持ちが違う。ならば、愛を知る、それは神様 の働きによって可能であるということでしょうか。神の愛を知ることができます ようにと、パウロは神に委ね祈っているのですね。

  キリストの愛が何よりも私達にとって良いものだと信じているので、パウロは 信仰の友、兄弟姉妹にもキリストの愛を知ってほしい、キリストの愛によって強め られ支えられ慰められ、キリストの愛を力として、希望として、しっかりと人生を 生き抜いてほしいと願っている。これがパウロの願いであり、神様の願い。全ての 人に対して愛に満ちた神様の願いです。

 私は、信仰の兄弟姉妹に、そして愛する人たちに、願うことは何か。それぞれの 長い人生を、何を心に宿して歩んでほしいと思っているのか。どういう歩みが幸せ だと思っているのか、思い巡らせました。

 
   
 愛隣こども園
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