日本キリスト教団

2020.11.29 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「思いがけない時に」
マタイによる福音書24章36-44節

  20年ほど前に、クリスマス前の12月半ばごろに、教会に電話がかかってき ました。知らない男の人の声で「今年のクリスマスは中止します。クリスマスは 中止です。本部からの連絡です。」と言うのです。電話の主は、キリスト教を快 く思っていない、それでクリスマスは中止だと勝手に言っているのでしょう。

クリスマスを中止にすることができるのでしょうか。私たちの救い主イエス 様の生まれた日、クリスマスは毎年来ます。クリスマスは中止できないです。救 い主がお生まれになった、神のみ子がお生まれになった、何よりも特別な時です。 クリスマスには、神様の大きな愛が私たちに向けられているのですから、しっか りと受け止めねばなりません。

クリスマスに、私たちの救い主がお生まれになりました。救い主は神の独り子、 神のみ子でした。では、神のみ子をこの世界にください。そういうお願いをした 人はいるでしょうか。旧約聖書を読んでいると、「救い主」をくださいと願った 人はいます。けれど、それが「神のみ子」のことだとは、誰も思っていなかった。 神のみ子がこの世にお生まれになった。これは神様の一存でなさったことです。 これは神の一方的な愛、救いの御業です。神様の思いがどれほど大きいか、強い ものであるかが示されています。

私の知り合いが、こんなことを言っていました。その人はある人から、ある日、 突然に「わたしはあなたのことを赦します」と言われたというのです。とてもび っくりしたとおっしゃっていました。自分が赦されなければならないことをし たことが思つかない。身に覚えがない。「わかんないんですよ」と苦笑いされて いました。

今日の聖書の箇所で、思いがけない時に救い主はやって来るので、「目を覚ま していなさい」と言われています。私たちが救い主を待つ、目を覚ましている。 それは、どういうことを言うのかというと、クリスマスがいかに恵み深くかけが 2 えのない時であるかを思い出していることです。

クリスマスの日に、神のみ子がお生まれになったあの日に、神様は私たちに 「わたしはあなたのことを赦します」と告げておられます。何のことだろうか、 私は神様に何をしたというのだろうか。びっくりさせられるけれども、でも本当 のことです。神様は「目を覚ましなさい」と言われています。

あなたにとても大きな愛が注がれている。あなたは赦された。あなたが今まで にしたことを思い出して、神様からの赦しをしっかりと心の中に受け止めてほ しいと言っておられます。「目を覚ましていなさい」と呼びかけています。

イエスの父親になるヨセフが夢を見ました。夢の中で神の使いは、妻マリアを 迎え入れなさいと告げました。それで、ヨセフは夢から覚めて、マリアを迎え入 れました。眠りから目覚めて、マリアを愛する人になりました。ヨセフの正しさ よりも神の愛をこそ拠り所とすべきだと気が付いたのです。眠っていたヨセフ は、目を覚ましました。

神のみ子イエス様は、ヨセフとマリアの子としてお生まれになりました。この ことは、誰も予想していませんでした。誰も神様にお願いしていたのでもありま せん。思いがけない時に、思いがけないことが起こりました。そして、それは私 たちには思いがけない、すばらしいことをもたらす出来事でした。

中世のドイツの聖職者シレジウスの言葉、「主イエスがベツレヘムの馬小屋に 何度生まれても、私たちの心の中にお生まれにならないなら、それは無意味だ。」 イエスが私たちの心の中に生まれる。それは、イエスのお生まれになった訳を知 ること、神の愛を知ることです。そして、その方を主と信じて、豊かな救いと恵 みに満たされることです。生きる力、勇気をいただくことです。

私たちは、神のみ子イエスのすばらしさ、救いの恵みを改めて思い起こしまし ょう。恵みのすばらしさを思って、目を覚ましていましょう。クリスマスが来ま す。私達の心の中に喜んで御子をお迎えしましょう。
   
 愛隣こども園
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