日本キリスト教団

2020.12.13 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「神にささげた人」
士師記13章1-7節

 イスラエルの士師サムソンは、母の胎内にある時からナジル人とされていま した。ユダヤには、特別に神にささげた人として生きる、そういう誓いを立てる、 ナジル人という習慣がありました。ナジルとは、選ばれた聖なる人という意味。

 ナジル人は、神にささげた人なので聖なる生活をします。ブドウ酒を飲まず、 汚れたものを食べず、神の毛を切らない。汚れたものに触れてはならない。

  ナジル人であるサムソンは、神様から豊かな賜物を授かっていました。怪力の 持ち主でした。クマに襲われたら一人で熊のからだを真っ二つに引き裂いてし まいます。イスラエルを苦しめる敵、ペリシテ人が千人も建物の中にいる時に、 そんな大きな建物も壊してしまいました。しかし、ナジル人のなすべきことを守 らないと力を失いました。うっかり髪の毛を切られてしまった時は、怪力は失わ れ、すんなりと敵に捕らえられました。けれども、何日も経って髪の毛がだんだ ん伸びてくると、また怪力が戻ってきました。

 救い主イエスのことをナジル人だと見ていた人々がいたことが、福音書に記 されています。マルコ福音書1章に、イエスが宣教活動を始めた頃、カファルナ ウムのユダヤの会堂に悪霊に取りつかれた人がいました。その人はイエスの姿 を見て怯え「ナザレのイエスよ」と呼びかけ、お前は「神の聖者だから」近寄る なと言いました。「神の聖者だから」つまり、ナジル人だから、神にささげられ た聖なる人、神の霊に力に豊かに満たされた人だからというです。

  救い主イエスが十字架にかけられた時、イエスの頭の上の方に「ナザレのイエ ス、ユダヤ人の王」と書かれた板が掲げられました。イエスは、世の人々から「ナ ザレのイエス」と呼ばれていました。マタイ福音書によるとイエスの家族は「ガ リラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。『彼はナザレの人と 呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。」 (2:22-23)とあります。イエスはナザレ出身。そして、ナジル人。ナザ レとナジル。発音が似ています。ナザレのイエスとは、ナジル人イエスというこ とを連想させます。

 私は、イエスは自覚的にナジル人だったとは思いませんが、ナジル人のように 生きた人だということは言えるでしょう。イエスは、その生涯を神にささげて生 きたのです。神の子であり、神との強いつながりを持ち、神の力、聖霊に豊かに 満たされた人でした。こういうイエスの生き様に、ユダヤの人々は、ナジル人の 姿を見たのでしょう。

 ナジル人という以外にも、イエスはナザレのイエスだったということに、大き な意味を見出します。ユダの国の中心エルサレムではなく、中心から遠く離れた 辺境の地ガリラヤのナザレのお育ちだということに意味があります。気仙沼の 人、山浦玄嗣さんが、ケセン語に聖書を翻訳されましたが、この国の標準語、中 心地の言葉ではないということに大きな意味があります。マタイ福音書4章に も、ガリラヤは「異邦人のガリラヤ」と書かれています。イエスは、中心から離 れた土地、辺境の土地のこと、そこで生きている人々のことを知っていてくださ いました。イエスは、ナザレのイエスだから、全ての人の救い主です。

  ヨハネ福音書1章46節に書かれているように、当時のユダヤの人々は「ナザ レから何か良いものが出ようか」と言っていたのです。しかし、そのナザレとい う場所が、神の子が私たちと共におられる場所だったのです。

  イエス様が、ご自身のことをこのように仰っています。「『家を建てる者の捨て た石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたち の目には不思議に見える。』」世の人は、「ナザレから何か良いものが出ようか」 と言いました。しかし、ナザレのイエスは、私たちに救いをもたらすなくてはな らない方になりました。私たち人間の思いを超えた、神様の計らいがありました。 王様の宮殿ではなく、貧しい馬小屋で生まれました。エルサレムに現れた時には、 馬にまたがる勇ましい姿ではなく、ロバに乗って柔和な姿で現れました。この方 が、救い主でした。

  コロサイ1:19「神は御心のままに、満ちあふれるものを余すことなく御子 のうちに宿らせた。」Ⅱコリント 8:9「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キ リストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたの ために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになる ためだったのです。」

 パウロは、イエスが十字架にかかってくださったことを、主イエスが私たちを 救うためにへりくだられた。主は貧しくなられた、乏しい者になられたのだとい っています。神の子としてご自身が豊かであることも、自分のために用いません でした。ご自身の豊かさをご自身のものとはなさらず、私たちの救いのために、 罪人の救いのために用いてくださいました。神様が私たちを愛しておられるか らです。
 
クリスマスに貧しい馬小屋に現れた方こそが、私たちに救いをもたらしまし た。貧しい馬小屋の飼い葉おけに救い主がおられることを見出す心と目を与え られたいと思います。
   
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