日本キリスト教団

2020.12.20 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「神、共にあり」
イザヤ書 7 章10-14節、
マタイ福音書 1 章18-23節

 クリスマスに、インマヌエル、「神は我々と共におられる」という言葉を心に 留めましょう。預言者イザヤが最初に語り、そして、マタイ福音書1章に引用さ れました。

 今、ユダの国に敵が攻めてきます。預言者イザヤは、ユダヤのアハズ王に神の 御心を告げました。防戦一方に徹するべきだと告げました。しかし、アハズ王は、 その忠告を素直に聞き入れないのです。煮え切らない態度をとるばかりです。イ ザヤはアハズ王のもどかしい態度にしびれを切らします。「防戦一方に徹するだ けで良いというしるしを神に求めよ」と言いますが、アハズは「神を試してはな らない」と信仰を盾にはぐらかし、態度を明らかにしません。

  そこで、イザヤは言います。「わたしの神にも、もどかしい思いをさせるの か・・・主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごも って、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」これは預言者の怒りの言 葉です。アハズ王に対する裁きの言葉です。これからユダヤの国にみどりごが生 まれる。その子は、神様からの救いのしるしである。神のみ心に聴く人には救い のしるしです。つまり、神のみ心に聴かない人、アハズ王に対しては、神はあな たがたの側にはおられないということを明らかにするというのです。

  「神は我々と共におられる」、この「我々」は預言者イザヤの側のこと。神の み心に聴く人たちのことです。それで、我々の側には神様がいるが、アハズの側 には神様はおられませんという区別、神を信じる人と信じない人との間に一線 を引いて、神を信じるものの側には神様が共にいますということを言い切った のです。イザヤが言うインマヌエル、これは神に聴く人と聞かない人を区別する 言葉です。神に聴く人に神がおられる、救いがあると断言し、そうでない人には 神はいない、救いはないと断定しているのです。神に聴き従わないアハズ王に対 して、それでよいのか、だめじゃないかと烙印を押す、厳しい言葉です。

 インマヌエルという言葉の意味が変わりました。最初のクリスマスから、神の 子イエスが私たちのこの世界に現れてから、この世界は大きく変わったのです。 インマヌエルは、罪を裁く言葉ではなく、すべての人が救いを喜ぶ言葉に変わっ たのです。罪人が、駄目な人が、神様に慈しまれ救われるようになりました。

 クリスマスにお生まれになったイエスは、私達の罪を赦し贖う方です。21節 2 「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を 罪から救うからである。」イエスは、人々を罪から救う人になる。とても大きな 愛の持ち主です。

  23節「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと 呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」この言 葉に、先ほどの預言者イザヤのような、我々とあなたたちを区別する厳しい気持 ちは感じられません。相手を見下す気持ちもありません。そうではなく、人と人 とが対立する前に、神様と人とが向き合っているのです。我々人間が神様の愛の 手に包まれて一つになっているイメージです。

 神様と私たちの間には違いがあります。それは、私たち人間は罪を犯してしま うということ。けれど、イエス様がおまれになり、十字架にかかって罪を赦して くださった。それで、神様に罪を赦された人たちの群れが生じ、罪を赦す神様が おられます。私の罪が赦されている。この人あの人も赦されています。私たちは 罪を赦された者同士、同じ立場、同じ目線に立っている者同士です。それが、 「我々」というものです。

  預言者イザヤのインマヌエル、人と人とが対立し、人と人との間を分かつ言葉 です。しかし、今、御子がお生まれになった今、インマヌエル、神は我々と共に おられる、だから、私たちは神の御手の内にひとつになるのです。我々は、人間 です。弱い存在です。脆い存在です。罪人です。罪を赦された一人一人です。神 様との隔てはもはやなくなり、どんな時も神様が一緒にいてくださいます。私た ちが弱い時も、一人の時も、「お前、駄目だ」となじられる時も、どんなときも、 神様は大きな愛をもって私たちと共におられます。私たちの長く果てしなく思 えるこの世の旅路を歩んでいる時も、そしてこの世を去ってからも、神様はいつ までも我々と共におられます。

  ドイツのかわいいクリスマスの話があります。〈以下、抜粋〉木彫りの人形が 馬小屋に並んでいるのを小さい坊やが眺めていると、人形の世界に入り込み、人 形の言葉を聞けるようになりました。飼い葉おけの赤ちゃん(イエス)が坊やに 欲しいものを告げます。やり直しと書かれたテスト、壊れたコップ、コップを壊 した時に母親についた嘘、さらに赤ちゃんは言います。「君が怒ったり、嘘をつ いたり、威張ったり、こそこそしたりした時には、僕のところにおいでよ。君を 赦して、そうじゃないようにしてあげるから。そのために僕は生まれたんだよ」。 クリスマス、おめでとうございます。インマヌエル、神は我々と共におられます。

   
 愛隣こども園
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