イエス様がお生まれになり、東の国から博士たちが訪れ、ヘロデ大王のもとに 行きましたが、その帰り道はヘロデのもとには寄りませんでした。ヘロデは憤り、
不安に襲われ、イエスを亡き者にできないなら、ベツレヘム周辺の2歳以下の赤 ん坊をことごとく殺してしまうという残忍なことをしてしまったのです。王様
の命令で虐殺事件が起きたのです。
エレミヤ書31章15節が引用されています。創世記35章にありますよう に、昔、イスラエルの族長ヤコブの妻ラケルは、息子ベニヤミンの出産はとても
難産で、ベニヤミンを産み終えると息を引き取ってしまったのです。そして、ラ ケルはラマという地に埋葬されました。ですから、引用されたエレミヤの言葉に、
ラマで激しく嘆き悲しむ声がするというのは、母親ラケルが一度も赤ん坊の顔 を見ることなく死んでしまった、そのことを母ラケルがとても悲しみ悔やんで
泣いているというのです。
エレミヤは、「慰めてもらおうともしない」といっていますが、よくわかりま す。そういう母親の嘆き悲しむ泣き声がラマの空に響き渡っているとエレミヤ
は語ったのです。この母ラケルの泣く声と、ヘロデ王に殺された赤ん坊の母親の 泣く声が重ねられて、その悲しみの深さを訴えているのです。こういうことは起
こるものだとか、仕方がないのだというのではありません。悲しみの深さを訴え ているのです。なんと悲しいことか。
もともとエレミヤは何を語っていたのでしょうか。ラケルが埋葬されたラマ という場所は、エルサレムから北に歩んで10キロのところですが、このラマと
いうところはユダヤの人々にはよく知られた場所でした。エルサレムからバビ ロン帝国へと歩む道の途中、このラマにバビロンに連れ去られる人々(捕囚民)
がユダヤの国の方々から、ラマに一旦集められたのです。隊列を整えて、ラマか らバビロンへと歩み出したのです。
ユダヤの息子たちがバビロンに連れされていく。連れ去られる息子たちの母 親の悲しみがあります。その悲しみをラケルの悲しみと重ね合わせているので
す。ラマを通るたびに、人々はラケルの悲しみを思い起こし、バビロンに連れ去 られる人々の母親の悲しみを思い起こす。悲しみがいかに深いものかというこ
とをエレミヤは訴えているのです。
そして、エレミヤの言葉の続きを読んでみましょう。「31:16 主はこう言われ 2 る。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、
と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。17 あなたの未来には希望 がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。」バビロンに連れ
去られた人々、その子孫が再び帰ってくる日が来る。神様がその日を来たらせて くださる。神様は苦しみの報いられる日が来ることを約束しています。マタイ福
音書に引用されたエレミヤの言葉を読んだ人は、続くこの希望の言葉までを思 い出していたのでしょう。
19節以下で、エジプトに逃亡していたイエスと父母は、エジプトを出てガリ ラヤ地方へと戻りました。この出来事は、イスラエルの人々が苦しみの地エジプ
トから指導者モーセに導かれた、出エジプトと重なります。救い主イエスは指導 者モーセに導かれた大勢の民の一人となってくださいました。
ラマで母の嘆きの声が響きます。しかし、苦しみの報われる日が約束されてい る。この神様の約束は、この箇所のエジプトに逃げなければならなかったイエス
様、エジプトから歩み出したイエス様、人々の苦しみを背負うイエス様にも向け られています。十字架を背負われるイエス様、その重荷も神様は報いてくださる
のです。十字架は復活へと続いています。
私たちのこの世に、悲しみが絶えません。けれど、私たちは苦しみが報いられ る日が来ると約束する方がおられます。死はよみがえりに、悲しみは喜びに、苦
しみは大きな実りとなる。よみがえられたイエス様が共にいてくださるからで す。
詩編126編「5 涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。6 種の 袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうた
いながら帰ってくる。」イエス様がよみがえり、私たちの思いを超える奇しきみ 業をなしてくださることを思い出します。 新しい年を迎えました。この一年、もしもラケルのように嘆くことがあっても、
神様は苦しみに報いてくださいます。主イエスはよみがえられたことを思い出 しましょう。主イエスは、ラケルの悲しみ嘆きを共に嘆き、エジプトの重荷を共
に背負い、神様の愛によって希望の未来へと導いてくださいます。
「涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。」重荷を背負う日々に、 喜びの歌を歌う日々が続くことを信じます。救いの喜びの歌、神様の救いを讃え
る「新しい」歌を歌って、神様と共に歩む幸いを感謝して参りましょう。
皆さんの新しい年の歩みが、神様の御手の内に守られるよう祈ります。
|