日本キリスト教団

2021.02.07 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「イエスの開眼」
マタイによる福音書15章21-28節
 イエス様は、ある母親の娘の病気を癒されました。それにはハードルがありま した。この母親はユダヤ人ではなく「カナンの女」でした。イエス様の対応は連 れなかった。この女が助けを求めて叫んでも、何も答えません。「わたしは、イ スラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と言われます。あ なたはイスラエルの人ではないのだから、あなたを相手にすることはできない というのです。さらに「子どもたちのパンを取って、子犬にやってはいけない」。

 このイエスの冷たい態度は、多くの牧師や聖書を研究する人たちを悩ませて きました。ある人は、これはフィクション、本当にあった話ではないと受け流そ うと言います。またある人は、ここに出てくるイエスの言葉は、イスラエルの家、 子ども、子犬、どれも家庭に関わる言葉だから、一つの家庭の中のこととして考 えれば、けっしてカナンの女を突き放しているのではない。家庭の中での人々の 立場、秩序に目を向けさせようとしているのだと言います。

  つまり、この世界を一つの家族だとみなし、イスラエルがあり、それ以外の国 がある。この家族を取り仕切っているのは、神の民であるイスラエル。何でもま ずイスラエルが優先。それから他の国々の人々が顧みられる。どの国のどの人も 家族の一人として尊ばれているが、しかし、はっきりとした秩序があり、優先順 位があるとするのです。決してカナンの女が蔑まれているのではなく、存在を認 められ尊ばれてはいるけれども、しかし順序があるというのです。

 ローマの信徒への手紙15:8以下「キリストは神の真実を現すために、割礼 ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証 されるためであり、・・・」ユダヤ人は、この歴史が始まる前、永遠の初めから 神に選ばれた民です。まず誰よりも先に神のみ心が示されるべき人達です。神様 は真実な方ですから、誰よりも先に自分の民に対して御心を現わすべきです。そ ういう意味で、イエス様は神の民に遣わされたのです。パウロは、異邦人が救わ れるために労し働きました。それでも、誰よりも神の民イスラエルこそ神の救い に与るべきだということを言い続けました。ユダヤ人にとって、神に選ばれた民 であるということは、とても抜き差し難いことです。変更がきかない永遠不滅の 決定事項です。

  「放蕩息子」の話では、放蕩を尽くした息子は、ある日、父親のもとにいるべ きだったと気が付きます。そして、もはや正真正銘の息子として父のもとに帰る 2 ことは望んでいません。もう私は息子ではない。父の家の使用人で良い、奴隷で 良いと思いました。私は回心したのだから、もともと家族だったのだから、愛さ れて当然だとは言いません。全く愛されるに足る資格のない者だというのです。 カナンの女の言葉のように、私は「子犬」だと言っているのです。誰もその存在 を気にしないような粗末な存在、いてもいなくても構わないようなちっぽけな 存在、子犬ですよというのです。翻って、カナンの女は、イエス様に、そういう 私だということを承知していますから、顔を向けてください、助けてくださいと 言っているのです。

 イスラエルの家の人々、ユダヤ人たちは、我こそは神の民だ、神に顧みられて 当然だ、愛されて当然だとふんぞり返っています。イエスは、「イスラエルの家 の羊」、しかも「失われた」羊と言われます。この人たちが回心するために、へ りくだることを知るために、イエスは遣わされました。

 イエス様は、異邦人の信仰に驚いています。28節「婦人よ、あなたの信仰は 立派だ。あなたの願いどおりになるように。」マタイ福音書8章では、イエス様 は百人隊長に出会います。ユダヤ人でありません。「わたしも権威の下にある者 ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の 一人に『来い』と言えば来ます。・・・」イエスはこれを聞いて感心し、・・・「は っきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たこと がない。」百人隊長は権威の下にあると自覚しています。とても謙虚です。

  神の民ユダヤの人々が最初に神に選ばれた、神様にとってユダヤの民が優先、 この事実は変えられません。しかし、異邦人だからこそ、私たちは有利な立場に あります。異邦人は、ユダヤ人のように血縁や行いによるのではなく、信仰で勝 負するのです。神様は私たちの心を、内側を見てくださいます。信仰によってこ そ、何よりもしっかりと神様につながっていることができます。これこそが神の 喜ばれること、神様が望んでおられることです。

 イエス様は、伝道活動をされる中で、多くの人、様々な人に出会われたことで しょう。この当時の人々の常識、この世界を理解するための動かし難い大前提 「救いはまずユダヤ人から」、この考え方を訂正する経験をなさったのでしょう。 今日の箇所を読んで、イエス様が異邦人の信仰に驚かれ、新しい事実に「開眼」 されるお姿を思い浮かべます。神様が導かれるこの世界の中で、日ごとに新しい ことが始まっているのです。今日も、私たちは未体験のことを体験します。分厚 い壁を突き壊す人たちがいます。日ごとに自由と平和がもたらされますように。

   
 愛隣こども園
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