日本キリスト教団

2021.02.28 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「神に守られている」
マタイによる福音書12章22-32節
 イエスは、目が見えず口のきけない人を癒された。イエスの癒しの業は「善意」に よることだが、それをファリサイ派の人々は「悪意」で応えた。ファリサイ派はイエ スの論争相手であり、イエスに対し無理解であった。イエスを悪霊の頭(ベルゼブル) だと言い、悪霊を働かせて癒しの業をしている悪者だとみなした。自分たちだけが正 しく、まことの救いは自分たちのものだとし、イエスの業は間違いだというのだ。私 たちの周りにも、理由もなく一個人への悪意を向けてしまうことがある。イエスは私 たちが生きているこの世の苦しみを味わってくださった。善意を悪意で返されること も身をもって経験された。

  私たちの悪意はどこから生じるのだろうか。人を見下す気持ち、保身、競争心、嫉 妬心。いろんな思いが隣人に厳しい心を向けてしまう。イエスは、憎まれ、論争し、 十字架への道を歩まれた。世の人々の悪意に耐え、悪意と戦われた。

  ファリサイ派がイエスの癒しの業を悪霊の業とみなすことは、ファリサイ派の癒し の業も悪霊の業と言うことになると、イエスは反論する。それでは、悪霊どもの内輪 もめではないか。イエスの働きは、神の霊によるのだとはっきりとされた。ファリサ イ派の悪意にイエスは心底憤っている。聖霊(聖なる霊)を悪霊と見間違えるとは、 聖霊に対する冒涜も甚だしい。

 私たちが救われるのは、聖霊の働きによる。聖霊がなければ神とのつながりをなく し、広大な宇宙に独りぼっちになるのだ。神との関りはないままに、永遠に見捨てら れるのだ。聖霊がどれほど大切なものであることだろうか。

 そして、イエスは、神の霊、聖霊によって悪霊を追い出しているのなら、あなたが たのところに神の国は来ていると宣言された。イエスはこの世に神の国をもたらす方 だ。この世にはファリサイ派がおり、イエスを理解しない人がおり、病気で苦しむ人 もいる。しかし、そこに神の国はもたらされるのだ。

 神の国を来たらせるイエスは、悪意よりも善意をたくさんもたらしてくださる。憎 み合うよりも平和と寛容をもたらしてくださる。自分だけよければいいという人たち のところにも、あなたも私も神の家族だと言い、分断よりも融和をもたらしてくださ るのだ。病気が力を得ている所にも、癒しをもたらしてくださる。目の見えない人が 見えるようにされ、口のきけない人が話せるようになる。それはつまり、私たちが神 の働き、救いを見るようになるのだ。神の救いを讃える言葉を与えてくださるのだ。 イエスは神の霊で悪霊を追い出し、悪意に満ちたこの世に、善意、神の善意、愛をも たらし、私たちを守ってくださる。

  私たちは、善意よりも悪意を見つけやすくないだろうか。この世に善意はどこにあ るのか。イエスの働きは、どこでなされているのか。神の国は来ているのだろうか。 私たちに見えているだろうか。私たちの病は癒されているか、私たちの目は開かれて いるか、私たちの口は開かれたのか。ファリサイ派は、イエスを悪霊の頭だと言った。 では、私たちはイエスを、どのように見ているのかと問いかけている。


   
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