神は「新しい天と新しい地を創造する」(17節)と言われる。創世記1章 に神が天地創造をされたと書かれている。無から有を呼び出す神、全能の神
だ。そして、再び創造するという。しかも、地だけでなく天も。どういうこと だろうか。「初めからのことを思い出す者はない」(17節)。神が人を創造し
て以来の、神と人間が関わりを始めてからのすべてのことが忘れ去られる、つ まり、私たち人間の罪が赦されるというのだ。
イザヤ書では、神が「新しいこと」をなすと繰り返し言われている。人間は 神に背いてばかりで、この世では苦しみばかり。ユダの人々の罪の故に国は滅
び、バビロンに連行され苦しめらた。そして、エルサレムに帰還して神殿を建 てても不正に満ち、救いはあるのかと嘆くばかり。そこで、この65章では、
神は将来に救いをもたらすと約束される。そして、この約束を成就させたの が、イエス・キリストの十字架と復活だった。神は御子イエスを十字架にかけ
復活させ、私たち人間、罪人との関わり方を新しくされた。
イエス・キリストが十字架にかかり、復活した。死者を復活させるというこ と、これが神の創造の業だ。無から有らしめる力の業だ。神は、十字架で、何
より大切な愛する御子を捨てられた。神は、私たちを愛されるので、大切な御 子を捨てられた。これが私たちとの関わりを新しくするために神のなさる創造
の業だ。パウロはイエスの復活について、「死者に命を与え、存在していない ものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたち
の父となったのです。」(ロマ書4:17)と記している。
神は「見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして/その民を喜び楽し むものとして、創造する。」(18節)と言われる。再度の創造の業がなされて
から、十字架と復活の後には、つまり、今この時、神にとって私達人間一人ひ2 とりが喜びであり楽しみであると言われる。私たちが存在していること、神と
共に生きていることが、神の喜び楽しみだと言われる。私たちにとって、とて も嬉しいこと、希望の湧くことだ。21節以下では、神様が新しい地をもたら
され、救いをもたらされる日には、一人ひとりを豊かに祝福してくださると述 べられている。神の創造の業、イエス・キリストの十字架と復活が、私たちの
罪を赦し、贖い、神と私たちの関わりを新しくするのだ。
今4月に、新入生、新入社員がたくさんおられる。学校や会社では新入生、 新入社員、けれど家に帰ればいつもの家族の一人だ。学校や会社では新しくて
も、家族の中ではいつものままその人。つまり、周囲の人との関わり方が新し い、一人ひとりの心の持ち方が新しいのだ。パウロは「割礼の有無は問題では
なく、大切なのは、新しく創造されることです。」(ガラテヤ6:15)と記し ている。目に見える姿、形ではなく、心の持ち方が大切。 私たちはイースターを迎えて、一人ひとりが救われていること、神が新しい
関わり方をしてくださることを自覚して、新入生、新入社員のように希望を持 って、救いに期待して、新しい心で歩み出そう。
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