子どもの日を覚えて、神と人を愛する人になりますように、子どもたちの成長 と信仰の継承を祈りましょう。
国土が海面より低い干拓地であるオランダに伝わる話。海沿いの堤防を監視 する役人だった父親に倣って、少年ハンスは堤防に小さなひび割れを見つける
と、それを指で塞ぎ、誰にも助けを求めることができないままに一晩中耐え、堤 防が壊れて洪水になるのを防いだという話がある。幼い子どものけなげな働き
を讃えている。自分達の国にはこんな少年がいたのだと言い伝え、誇らしく思っ ているという。
今年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校で8人の生徒が死亡するという 事件からちょうど20年。この事件の翌年に、私はその近くの教会に赴任した。
この事件を通して「犠牲」ということの意義、その意義の大きいことを思わされ る。もちろん無念の死だが、その命の重さを思えば、危険をなくし安全な社会を
作ろうという気運が起こったことは記憶すべきことだ。犠牲になった子どもの 友人たち、先生、両親の苦悩や悲しみを思いつつ、神様の慰め励ましを祈る。
聖書で「犠牲」というと、やはりキリストの十字架だ。これは、ユダヤ教の神 殿での犠牲祭儀に基づくことで、レビ記1-3章に記されているように、動物を
焼いて煙と共に良い香りを神様に献げるためになされた。神様を良い香りで宥 めるというのだ。古代の中東の宗教では多くなされていたことだ。神殿で毎日な
された「焼き尽くす献げ物」は、牛や羊を一頭丸々すべて焼き尽くして、その香 りを神に献げる。今日の聖書の箇所に、キリストが「香りの良い供え物」だった
とは、誰よりも神様を宥め喜ばせる犠牲だったことを言っている。キリストの香 りを神様が喜ばれた。つまり、神を愛し人を愛するキリストの生き様は、神の心2
にかなう良い香りなのだ。
今日の箇所では、神とキリストの愛に倣って、あなたがたも愛をもって歩もう と勧めている。キリストが人々を愛されたこと、へりくだられたこと、自分を無
として献げられたことを覚えて、このような愛に倣おうというのだ。フィリピ書 2章のキリスト賛歌を思い出させる。「キリストは、・・・自分を無にして、僕の
身分になり、・・・へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで 従順でした。」(フィリピ2:6-8)
Ⅱコリント書2章15節では、「わたしたちは・・・・良い香りです。」と言わ れるが、今日の箇所では、少し趣旨が違っている。キリストの香りが神を喜ばせ
たとされ、 キリストの 良い香 り、つまり愛の深い生き様に倣おう、私達も愛を抱こう、愛の人になろうと勧め ている。
これまでに犠牲となった人たちを尊び、犠牲となる人たちを覚え、犠牲という ことの意義の大きいことを理解するものでありたい。自己中心、人の上に立つ人
ばかりでは、この社会は成り立たない。犠牲ということがあるごとに、良い社会 にしていくよう促されていることを思い出したい。
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