日本キリスト教団

2021.07.25 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「主を知ろう」
ホセア書6章1-6節
 預言者ホセアは、北イスラエル王国(エフライム)で活動していました。ホセ アが活動していた頃、アッシリア帝国の軍隊に攻め込まれ、激しく蹂躙されまし た。

 今日読まれた6章1-3節の言葉は、この当時の人々にはよく知られた「懺悔 の歌」の一節です。戦争に負けるとか、疫病がはやるとか、国中が危機に見舞わ れた時に、人々が一ヶ所に集まって歌った歌です。アッシリア帝国によって苦し めらたこの時にも歌ったのでしょう。

  しかし、この時、人々の神様へ向ける真実な思いは込められていませんでした。 前の5章15節「彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め/苦しみの中で、わたし を捜し求めるまで」待つのだと言っています。6章4節には、エフライムの人々 は、苦しい時の神頼み。苦しみが去ると神様のことは忘れてしまう。神への思い は、しっかりせず、はっきりせず、いかに頼りないことかと、神が嘆いています。

  ホセアは、懺悔の歌をここに持ち出して、エフライムの人々の神への気持ちの なさ、はっきりしない信仰を指摘します。そして、さらには、この歌の言葉のよ うに「我々は主のもとに帰ろう」、「我々は主を知ろう」という気持ちを持ってほ しいと願っています。そうすれば、この懺悔の歌の言葉を本気で歌うようになる、 心から神様の慈しみを喜ぶようになれるのです。

  そして、エフライムの人々に、今、何が足りないのかを告げています。6節「わ たしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き 尽くす献げ物ではない。」つまり、形が整えばそれで良いのではなくて、神様へ の思い、目に見えない心が足りない。神様への「愛」と、「神を知る」ことが足 りないのです。神様から一人一人に向けられている愛を知って、神がどのような 方なのか、もっと知るべきだ、もっと神様を愛するべきだというのです。

  「愛」(ヘセド)とは、忠誠心、真実な愛、何があっても変わることのない愛、 人格と人格、人格同士の約束による良き計らい。誠実さ。神様の私たちへの愛は、 何があっても変わることがない。この箇所では、変わることのない神の愛に応え 2 る、私たちからの神への愛のことです。

  「神が喜ぶのは、神を知ること」。神のことを知るとは、身をもって経験を通 して知るのです。私たち人間が「神を知る」ことができるのは、「我々は御前に 生きる」という時です。

 ホセアは、「懺悔の歌」によって、エフライムの人々の神への気持ちのなさ、 はっきりしない信仰を指摘しています。そして、さらには、この「懺悔の歌」の 言葉を、本気で心から本当だと思って歌うように、心から神様の慈しみを信じる ようになってほしいと訴えています。それは、「神を知る」「御前に生きる」こと によるのです。

  残虐な軍隊に苦しめられ、痛めつけられた国の人々が、神を忘れた人々だとし ても、神様は、その人々が神様の慈しみを信じて救われてほしいと願っています。 そして、エフライムの人々には、神への愛、私の神様以外に他に神様はいないと いう気持ちを持ってほしいのです。

  この懺悔の歌を心から信じ、この歌で歌われる神様を私の神様だと信じて、頼 りにしていけたなら、本当に幸せだと思います。私たちは、神様の御前に歩み、 神様を新たに知っていくように、さらに神の愛を見出して喜んでいるようにと 神様から招かれています。

  神を知るという、そのことの大きさ深さは人それぞれでしょう。パウロは、「わ たし自身は既に捕らえたとは思っていません。・・・いずれにせよ、わたしたち は到達したところに基づいて進むべきです。」とフィリピの教会の人々を励まし ています。

  神様を知ること、神様の御前に生きること、神様と共に歩むことに必ず良いこ とがあると、恵みがあると、信じていきたいと思います


   
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