ソロモンが王に即位した初めに、神が夢枕に現れ、「何事でも願うがよい。あ なたに与えよう」と言われました。ソロモンは7節「わたしは取るに足らない若
者で、どのようにふるまうべきかを知りません。・・・あなたの民を正しく裁き、 善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えくださ
い。」と、「聞き分ける心」つまり、神のくださる「知恵」を求めました。
王様として自分の民を治める為には、人の心の底を聞き分ける冷静な心が必 要です。ましてや、神の民の王様になるのです。神様の民を治める王様としての
役目をしっかり果たしたいと願っているのです。その後、「ソロモンの知恵」と 言われるほど、ユダヤの王ソロモンが豊かな知恵を備えている、世界の誰よりも
知恵に恵まれているという噂が広がりました。
ソロモンが王様になる前に、どのようなことがあったかを振り返っておきま す。ソロモンには、兄たちがおり、父ダビデが生きている時からダビデの王位を
奪おうと狙い、次々に殺されていきました。中でも、アドニヤが王となろうとし た陰謀は、ダビデの家臣たちを巻き込んだ勢力争いへと発展します。それに対し
て、弟ソロモンによる、王位を危うくする危険人物の排除がなされます。こうい うことを経て、2章46節に「こうして王国はソロモンの手によって揺るぎない
ものとなった」と語られているのです。本日の第3章に入る前に、ダビデからソ ロモンへの王位継承の際、血なまぐさい争いや粛清、権謀術数がうず巻いていま
した。
ここで、民を正しく治めるための知恵を謙遜に求めるソロモンと、敵対者たち を粛清して権力を固めていったソロモンとを見比べるなら、これらには大きな
隔たりがあるように感じます。いったいどちらが、ソロモンという人の本当の姿 なのだろうかと思わされます。 どちらもソロモンの真実の姿なのだと思います。このようなソロモンの姿こ
そが、私たち人間のありのままの姿なのではないでしょうか。どろどろとした醜 い血なまぐさい面があり、しかし、方や、私たちは、自分に与えられている役割
を神様が与えて下さったものとして感謝して、み心に従って果たしていくために知恵を求めつつ歩むということもしています。
そして大事なことは、このような両方の面を持っている私たち人間を、神様が そのご計画の中で用いて下さるということです。ダビデからソロモンへの王位 の継承は、単に人間の権力の継承ではありません。神様がダビデを神の民の王様 として選び立て、ダビデによってご自分の民を導き守って下さる神様の御心が 実現していくのです。人間の罪や欲望をも含めて、救いのみ心を行われるのです。 他でもなく、バト・シェバを奪った罪を厳しくダビデに問い糾した預言者ナタン その人が、バト・シェバの子であるソロモンを王とするために力を尽くしたのは、 神様のみ心を思ったが為ではなかったでしょうか。
ソロモンは、神様のみ心に従って正しく民を治めるための知恵を求めました。 それは、王になるソロモンに神様が求めさせたものです。ですから、人々の幸福、
平和を願う神様が、ソロモンだけでなく、私たちにも知恵を与えてくださいます。
マタイ福音書12章38節以下には、南の国の女王が、ソロモンの知恵を聞く ために、はるばる地の果てからやって来たことを思い起こして、イエスは「ここ
に、ソロモンにまさるものがある」と言っています。イエスその人が「ソロモン の知恵にまさるまことの知恵」です。イエスに、人を平和に導く知恵が目に見え
る姿になっているのです。
さらに、マタイ福音書11章19節にもイエスは、「人の子が来て、飲み食い すると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、
知恵の正しさは、その働きによって証明される。」と言われています。罪人の友 となるイエスにこそ、神の知恵は現されていると言うのです。Ⅰコリント1章2
4節「ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神 の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」とパウロは言っています。
イエスは、罪人の救いのため、十字架にへりくだるために、この世に来て下さ いました。愛に溢れるイエスの生き様に、神の知恵、本当に必要な知恵を見出す ことができます。イエスは、マタイ20:25「異邦人(神を知らない人々)の 間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あ なたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者 は、皆に仕える者になり、・・・皆の僕になさい。」と言われました
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