日本キリスト教団

2021.10.10 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「ふさわしい人はどこに」
マタイによる福音書10章5-15節
神学校日
 今日は神学校日。牧師の養成が十分になされるように祈る日。今日の聖書の箇所は、 12人の弟子たちがいろんな町や村へ、伝道の働きに派遣される場面です。

  「旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。」(10節)弟子 たちは、ほとんど何も身につけないで、自分を守る物を持たず、体一つです。今日明 日食べる物があるかどうかも確かでないまま、細々と命をつないでいる。自分自身を 直に神様にさらしています。神に一切を委ねて旅をしています。
 
  ゲルハルト・タイセンという新約学者は、今日の聖書箇所のイエスの弟子たちのこ とを「放浪のラディカリスト」と呼んでいます。放浪することが大きな目的です。一 つでも多くの家を訪れ、一人でも多くの人に出会うためです。

  キリスト教の歴史を振り返れば、神の御心からそれていた時に、教会は堕落しない ように改革をしました。今日の箇所のイエスの弟子たちの姿に、キリスト教の原点の 姿を見るような気がします。キリスト教が聖なる神様の名の下にある団体ならば、人 の思いではなく神の御心を告げ広めるためには、俗なる世界のあり方と同じ姿ではあ り得ないのです。日常にはない、非日常の存在。この聖なる者は、私たちに日常の考 えを本当にそれが当たり前なのかと問い返させます。

  「放浪のラディカリスト」とは、当たり前が本当に当たり前なのか問い返す、常識 を問い直すというような意味です。方々の町や村を巡り歩き、そこで出会う人たちに、 当たり前が本当は当たり前ではないことに気づかせて、神様のこと、救いのことを思 うように導くのです。

  私たちが今日やっている伝道ということは、ここでいう「ふさわしい人」が誰なの かを探すことだと思いました。放浪する弟子たちが今日宿する家を探します。神の御 心を語ることばに耳を傾ける気持ちがある人がいる。その出会いを大切にしよう、関 わりを持とうと思ってくれる。つまり、伝道は、弟子たちのように、外に出かけてい くということです。一人でも多くの人に出会い、一つでも多くの町に行く、家を訪れ る。次にどこに行くのか、誰に会うかは誰も知りません。出かけてみなければ、家の 玄関を叩いてみなければ、何かやってみなければ、何がどうなるかは何もわからない。 弟子たちにとっては、万事を尽くして天命を待つだけです。やる気を持って事に当た り、後は神様のお導き次第です。

 また反対に、家々を訪ねる弟子たちのことを思いました。弟子がある人の家のドア 2 を叩いて、家の中の人と出会い、挨拶をして、平和があるようにと話しかける。その 弟子は、どんな顔つきをして、どんなにして微笑みかけるのだろうか。どうやってそ の家の人に安心な思いを与えようとするのだろうかと思いました。万事を尽くして天 命を待つのですが、まさに万事を尽くさねばならないのです。「ふさわしい人」を探す ためには、その人自身が救いへと招くのに「ふさわしい人」でなければならないと思 います。そのように心がける人でなければならないと思います。

  マイカル・ジャッジ神父は、ニューヨークのワールド・トレード・センターの近く にある消防署のチャプレンでした。どんな人にも平等に接し、その寛い心、温かい心 は多くの人に向けられ、人々の尊敬を集め、多くの人に親しまれていました。 9月 11日、ワールドトレーディングセンターのテロ事件の際に、消防士達と一緒に、あ の崩れ落ちるビルに駆けつけ、立ちこめる煙の中で息を引き取ろうとする人を見つけ ては、塗油の儀式をしていました。しかし、倒れてくる柱に押しつぶされて死んでし まいました。テロの犠牲になった消防士は343人の中で、最初に死亡が認定された のがマイカル神父でした。

  今もこのマイカル神父を記念して、事故現場には写真やパネルが展示されています。 神父が生活していた修道院と消防署を結ぶ通りは、名前をマイカル・ジャッジ通りと 名付けられました。日本人の牧師が、その足跡を調査し、本にまとめました。今年の 9月11日の日付で出版されました。「マイカルの祈り」という題です。

  マイカル神父は、毎日、決まった言葉の祈りをして1日を始めていました。

  「主よ、あなたが行かせたいところに連れて行ってください。 あなたが会わせたい人に会わせて下さい。

  あなたが語りたいことを示してください。 私があなたの道を遮ることがありませんように。」

  神様に導かれて町や村を巡り歩いた、最初の弟子たちのことを思い出します。神父 や聖職者の大切な心がけを現わしています。そして、すべてのクリスチャンの祈りと しても素晴らしい祈りだと思います。

 私たちがこのような祈りの心でいるなら、神様はどの人をも、イエスの弟子とみて くださるでしょう。伝道のために「ふさわしい人」として用いてくださるでしょう。 弟子たちは、今日はどこに行くのか、明日は誰に会うのか、すべてを神様の導き、 はからいに委ねていくのです。一軒一軒の家を訪ねます。神様の御心を訪ねていくのです。


   
 愛隣こども園
宮城県仙台市青葉区五橋1-6-15
〒980-0022 ℡:022-222-3242