日本キリスト教団

2021.10.24 説教ダイジェスト
礼拝説教要約 「キリストのもとに」
創世記1章1-3節
エフェソの信徒への手紙1章3-10節
 教会のあるグループで聖書の話をしていて、「今の時代の人たちには、神様の 救いの日、終わりの日が来るということは、すぐには信じられないのだと思いま す」と話しました。すると、ある方が「この世界に初めがあるなら終わりがある んです」と言われました。

  初めがあるから終わりがある。誰が始めたかわかっているから誰が終わらせ るかもわかる。救いの日、終末が来るというのは、こういうことです。

  創世記1章1節、天地の初め、神様が「光あれ」と言われると光が創造されま した。これがこの世界の初めです。

  そして、終わりはどうなっているのでしょうか。エフェソ書1章10節「時が 満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのも とに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに 一つにまとめられるのです。」

  キリストがこの世界のすべてのものを御手の中に収められて、すべてを救っ てくださる。贖ってくださるのです。

  宗教改革者ルターの言葉、「人間は愛する人を探す。しかし、神は愛するもの を創造される。」神様は、御自分がお造りになったものすべてが愛おしいのです。 神様は創造し、そして、愛しておられます。愛するために創造したのです。この 神様の愛が明らかになる日、救いの日が来るのです。

 天地創造の6日目に、神様はすべてをご覧になり、「それは極めて良かった」 のです。しかし、人間の欲望は際限がなく、争い、殺し合い、奪い合う。神様が お造りにあった森や山や海、傷つき傷んでいます。

  今日、世界の国々はカーボンニュートラル、二酸化炭素の量を減らそうという 目標を掲げています。極めて良い世界が、傷ついている。とても大きな問題です が、すぐに出口は見えてこないように思います。終わりの日に明らかにされる神 様の隠し持っている答えは何なのか、神様の御心を探ることとして取り組むこ とができるでしょう。

 エフェソ書1章には、天地が創造される前から神様と共にキリストがおられ たとしています。「先在のキリスト」と言うのです。つまり、神様はこのキリス トがこの世界の救い主だということを決めておられて、この世界をお造りにな った。すべてのものが救われる、贖われることを神様は用意してくださっていた のです。

  さらに、私達が創造の前に選ばれたとはどういうことでしょうか。たとえば、 「あなたが生まれる前から、あなたのことを愛しています。」と言えば、その人 のことをそっくり全部愛していることが伝わります。神様は私達に「あなたが生 まれる前から、いやこの世界が創造される前から、私はあなたを愛している」と 言われます。そして、「いつまでも、どこまで、最後まで愛している」と。

  私達人間には、「初めがあるから、終わりがある。」しかし、神様には、初めの その前があるのです。終わりのその後があるのです。神様は永遠ですから時間と いうものを越えています。始めも終わりも越えて、すべてを治めておられます。 この世界は、その始めから終わりまですっかり神様の愛の中に包まれているの です。

  神様は、私たち人間の命の終わりを終わりとせず、それを命の初めにしてくだ さいます。キリストの十字架の贖いの業がありましたから、私達は永遠の命に活 かされるのです。この世の命の終わりを越えて生きるのです。

  天地創造のその前から、神様はこの世界のすべて、この世界のすべての人を愛 しておられます。だから神様は、すべての初めに「光あれ」と言われました。「光 あれ」、この短いことばに、神様のとてつもなく大きな愛が言い表されていま。


   
 愛隣こども園
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