神様は、土の塵で人間を造られました。そして、エデンの園に住まわせられま した。古代では、神の園には神が大切にしている木が植えられていると考えてい
ました。
1本目は「命の木」。不死をもたらす木。アダムはこの後、罪に墜ちて、園か ら追い出され、これを失いました。死ななければならなくなりました。しかし、
楽園から追い出されたアダム、人間の罪を赦してくださるのが、神のみ子イエス 様です。人は罪のために死ぬのだという人もいますが、イエスの救い、罪の赦し
を受ける私たちは、もはや罪の故に死ぬのではありません。土の器、弱く脆い肉 体を持つ被造物だから、死ぬのです。イエス様がこの「命の木」を私たちに取り
戻してくださったと、ヨハネ黙示録は告げています。イエスの十字架と復活は、 永遠の命をもたらし、失った命の木を取り戻したのです。
2本目は、「善悪の知識の木」。「善悪」とは、「この世のすべてのこと」を指し ています。つまり、神のように全べてを知る力を得るということです。そして、
「善悪の知識」とは、その全知の力によって知り得ることをもとにして、価値判 断をすること。この世のすべてのことについての良い悪いは、最終的に神が決め
ることですが、人間が勝手に決めることになりかねません。
神様は人を作られ、最初に命じられたことは、「善悪の知識の木からは決して 食べてはならない。食べると死んでしまう。」ということです。アダムは神では
ない、被造物である。神のように全知の力を得て、神のようになってはならない。
また、神は「園のどの木からもとって食べなさい」と言われました。アダムに は、どの木の実をとって食べるかを自分で判断する自由を与えられています。し
かし、その自由には、1つだけ、してはいけないことがある。全知の力を得るこ と。神のようになることです。被造物であることを忘れて、高慢になることです。
「心を新たにして 自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善い ことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」
(ローマ12;2)パウロが、礼拝を捧げることを通して、何が善いことで、神 に喜ばれることなのかを知るようになれと勧めています。
神の造られた被造物である私、土の塵で造られた土の器、卑しく弱く脆いこの 体なのですが、この体によって神を尊ぶ思いを現わすことができます。そのため
に神のみ心が何であるかを知りなさいというのです。
神の喜ぶ善いこと、それは善悪の知識の木になる実を食べないということ。神 様が神様で、人間は被造物であることを知ることです。さらに、どうして土の器
が救いにあずかることができるのかということを知ることです。それは、人の姿 をしてこの世に来てくださり、十字架にかかった方のお陰です。
フランスに伝わるクリスマスの童話に、「最後の訪問者」というお話がありま す。禁断の木の実を食べて罪に墜ちた最初の人間、その一人エバが、生まれたば
かりのイエスに自分がかじった木の実を渡すために馬小屋に現れたという話で す。食べてはならなかった、その木の実を、イエスが受け取りました。禁断の木
の実を食べた私達を救うために、イエスはお生まれになりました。
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