今日の創世記4章は、アダムからレメクまでの 7 代の系図と、レメクの子孫 の系図が記されている。「カインは町を建てていた」(17 節)、さらにレメクは、
家畜を飼う者(ヤバル)、竪琴や笛を奏でる者(ユバル)、そして青銅や鉄でさ まざまな道具を作る者(トバル・カイン)の父となった。
つまり、レメクの子孫は畜産、芸術、工業の開祖だ。ある学者は、この箇所 を「都市と文明、技術と芸術の起源を説明する文明史的な視点を持つ点で注目
すべき文献」とする。ついに人類の文明の夜明けが来たのだ。
アダムから 7 代目はレメク。レメクという名は、「強い若者」という意味。 レメクは歌う。「わたしは傷の報いに男を殺し/打ち傷の報いに若者を殺す。
カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。」(23-24 節)。 レメクの歌、または剣の歌と呼ばれている。古くイスラエルの民族に伝わる歌
だったと言われている。
「目には目を、歯には歯を」と同害報復(目を奪われたら、目を奪うだけで 済ませる)を説くハンムラビ法典もあるが、レメクは、ほんの小さな傷でさえ
も殺すのだと強い復讐心を表わす。鋳物師トバル・カインが作った刀を振り回 し、得意満面に荒々しく復讐を歌う姿を想像する。それは、とてつもなく野蛮
な姿だ。
つまり、人の技術は進歩するが、心の持ち方、道徳は進歩していないことが 露わだ。今日の世界はどうだろうか。大量に人を殺す道具を持ち、大国同士対
立し張り合っている。憎しみに駆られては多くの人の命を奪い、暴虐は絶える ことがない。
アダムもエバも、そしてカインも、人は裸であっては身の危険があり、衣服 で身を包み身を守る必要があった。そこで、神は衣服を与え、人を守られた。
しかし、衣服を作る技術を手に入れた人間は、自らの力を頼み、神に反抗する 思いを抱くようになった。
弟アベルを殺したカインは、自らの罪を神に指摘され、罪の大きさに恐れを なし、神に保護を求めた。それが、「カインを殺す者は誰であれ七倍の復讐を
受ける」(15 節)という神の慈しみによる約束だった。カインは罪を恐れ、謙 虚だった。しかし、その一方で、レメクはどうか。神を恐れることをせず、神
に成り代わるほどの傲慢な思いに満たされている。
神と人間の関わりに、文明、文化、ひろく人間の業は何をもたらすのか。神 を忘れ、神無きが如くに錯覚し、おごり、自ら神になるように、人を誘惑する。
禁断の木の実を食べたアダムに、神は「土は呪われている」と告げた。神を忘 れた人の働きは、巡り巡って人への呪いとなってはいないだろうか。
パウロは言う。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて くださったのは神です。ですから、大切なのは、・・・成長させてくださる神
です。・・・わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがた は神の畑、神の建物なのです。」(Ⅰコリント 3:6-9)
人の働きは神のため、人の業は神に献げるなら、その価値を増す。自らの存 在の根拠である神を土台とするなら、私達の存在と業は豊かに祝福される。西
洋の中世の美しい礼拝堂、素晴らしい音楽に酔いしれる。私たち人間の豊かな 能力の結晶だ。しかし、それは、人間の力を誇るのではなく、神への精一杯の
献げ物である時、本当の意味で美しいのだ。
4 章では、カインは神に捧げ物をした。もしも同じようにレメクが神への献 げ物をするとすれば、それは感謝のしるしではなく、神を利用するための取引
となることだろう。
この箇所の最後に、初めの人アダムが、カインとアベルの兄弟となる子ども セツを得た(25 節)。このセツの子孫たちが「主の御名を呼び始めた」(26
節)。 セツの息子は、エノシュ(「死すべき弱い人」の意)。そして、エノシュの子孫 に、ノアの箱舟に乗るノアが生まれた。彼は「神に従う無垢な人」(6:9)だ
った。
この後 6 章で、世界は大洪水に襲われ、罪深い人々が滅ぼされる。果たして レメクの子孫たちは、生き残
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